戦時中の日記

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一九四四年

六月十五日 會社から帰って夕餉の時までと『静かなるドン河』を讀んでゐると、五時半ごろ、サイレンらしい音が遠くで鳴りだした。しかし遠くの音だけで、近所の東横のサイレンは鳴らないので、空襲警報でなければよいがと思ってゐると、間もなく『警戒警報!』とふれ廻る聲が聞こえた。数日前から米機がマリアナ群島のサイパン、レイテ、グワム等に攻撃を加へてゐるので、この日の警戒警報は取りわけ気持ちを暗くした。

六月十六日 今度の警戒警報は気がかりなので、いつもこんな事はしないのであるが、この日はゲートルを捲いて出社した。実は鐡兜も出して見たのであるが、これは置いて行った。社に行ってみると、今朝北九州が空襲されたといふ話である。土師は僕のゲートルを見て、豫見が當ったのだなといふ。その中に高橋専務が出て来て、昨日米軍がサイパン島に上陸を企て、三度目に成功したようだといふ話を傳へた。北九州の九州は八時の臨時ニウスで傳へられたのであるが、高橋の話は號外を見たものらしい。
 きん藤の雜炊食堂は休業。號外を買って見た。北九州来襲の敵機二十機内外のうち十機を撃墜破したとあるが、四月十八日の公報を思出した。サイパン島にも、上陸されたとは書いてない。納豆を買ひ、新平の分三十ケを娘に持たせてやった。

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