沖  縄  2010  余談

 大東島に興味を持ったのは、かつてパソコン通信がさかんだった頃、某フォーラムに掲載されたむちゃくちゃ面白い「南大東島紀行」がきっかけだった。まともな出版物ではお目にかかれないような辛らつさと偏見を恐れない正直さに満ちた文章は、逆に島への興味を駆り立てた。ちなみにこの紀行の筆者「がくちゃん」は島に数ヶ月滞在し、某公共施設でバイトした経験を持つ。以下、1995年当時の話いわく:

・「この船、乗る際に予約も何も無いみたい。基本的に貨物船だし」「乗客を客扱いしないのは 南西諸島の船にありがちなことなので、乗り方を聞いてもマトモに誰も説明してくれない」仕方なく南大東島の役場で聞いたところ「黙って船に乗り込んでしまえば、船内で料金徴収しにくるのだそうです」このため、定員オーバーもあったという
(注:今はそんなことはない。予約は必要、料金も前払い、上下船時の切符チェックもある)

・店で売られている食品のほとんどが正味期限が切れ。「噂によると、沖縄本島で売れ残った商品を、この島に運んできて売りさばいているのだという」(賞味期限切れ問題は沖縄に限らず、航路が1週間に1回程度しかない日本中の小さい離島である)

・島の家はトタン屋根の粗末な家が多く「スラムかバラックかという程の粗末な建物。収入が少ないのか、現代の日本にあのような住居に住んでいる人々がいるとは……」
 やがてお金がないわけでもないことが判明してくる。かつてサトウキビの収入は良く「農家の平均年収は1千万円を越していたというのだから恐れいる」今では価格が落ちたが、それでもそこそこの年収はある。島の農家の多くは、収入が良かった時代に那覇に家を建てて持っている。結局、大工や左官等の職人が少なく土建屋が家まで造る、それで「まるで素人が作ったような簡素な住宅にならざるを得ない」。建築材料の搬入コストもかかる、まともにやりたければ職人を島に住まわせる必要がある。瓦屋根が1軒もないのも、瓦葺き職人を呼ぶと高くつくためだった。
  「スラムかバラックかという程の建物。床には擦り切れたムシロを敷いてる。そんな上に、大画面テレビが置かれていたりするのだから違和感が甚だしい。この島の人は収入が悪くないのですが、住宅にお金をかけたりする習慣がないのでした。江戸時代の百姓の家の、人間と家畜が一つの屋根の下に住んでいるという、ああいう住居の中に、大画面テレビやビデオが置かれているのを想像してもらえば当たってる」

・島の図書室で見かけた沖縄本島(内地でない)の某大手新聞社の南大東島取材レポートについて、「それとこちらは極めつけだったのですが、これもまだ空港ができる前の話」「これが目を疑うような論調。乞食のような住居に住み、腐りかけの食物を食べている。これは人間の生活とはいえない。地獄の島だ。なんて事が書かれているのだ。」「まあ、今ではある程度は改善されているとはいえ、当たっている。でも、新聞がそんなことを書いて昔は良かったらしい。」

・XXへバイトに行く。8時半出勤のはずがみな30分くらいは平気で遅刻してくる。「係長からして遅刻。これが噂に聞いていた、ウチナータイム(沖縄時間)なのかと思ってしまった」不思議なことに、しっかりとタイムカードはありみな押している。連日遅刻すれば減給と思いきや、その程度は許容範囲なのだという。なんの為のタイムカードなのか「内地の人間にはウチナータイムというのは理解するのは難しい」

・島に来てしばらくは能率の悪さにイライラされっぱなし。しかし、やがて慣れ「べつに内地で5日でできることが、この島で一ヵ月かかったって、それはそれで問題無いんならいいんじゃない?」みたいな考えになってきた。この島に「能率」だなんて概念を持ち込んでも仕方がない。「しばらく生活してると、それがわかってきて、イライラもしなくなってきました」

・「今日も退屈な1日が終わって、5時からはフリータイムになります。すると、何やら農協の職員が来て、新しいパソコンを入れたので設置してくれないかと言う。全然面識のない人」
全く面識のない農協や商工会議所の人までが来て、パソコンの使い方教えろだの表計算のワークシートを作ってくれだの、あれこれ頼みに来る。「XXにバイトに来ている人間なのに農協に頼み事をされる。この島では珍しいことじゃない」「暇だからやってあげたが、面識がない人だろうと、同じ島にいる人間ということで、共同で助け合って生きてゆくという、そういう習慣らしい」

・島の土建業について(聞いた話として)「何でも、(当時)建設中の新南大東空港ですが、内 地の大手建設会社と島の土建屋とで共同で建設しているらしいけど、島の土建屋が仕事をしないので工期が大幅に延びてるんだという。予定通り、来年の8月に開港は無理だという。なんでも、ちょっと仕事をしたら座り込んで無駄話を始め、ちょっと仕事したら座り込んで無駄話を始め………、その繰り返しらしい。内地からきた大手建設会社の人もほとほと困ったらしく、こんな土建屋だと内地では、たちまちつぶれるとおっしゃっていたそうだ。(^^;)」

・ある農家で夕食をご馳走になったときのこと。様子のおかしい人が一人いる。「なんとその人は東京のヤクザの親分。事情があってあちらに居られなくなって、島に隠れ住んでいるのだという」このほかにも、「沖縄本島で悪いことをして住めなくなり、この島に逃げてきている」爺さんを見かける。「島ではこういう人がときたま来て隠れ住むのだそうで、珍しいことではないらしい」島では悪いことをして来た人でも分け隔てなく接する、「ヤクザに仕事の手伝いなんてしてもらわない方がいいと思うけど、そのあたりもウチナー的アバウトなのか。恐らく、かつての八丈島で罪人が流されて、島民と一緒に生活していた際にもこんな感じだったのではなかろうか。ほんとに凄い島に来てしまった」

・八丈出身者と沖縄出身者の違いについて「現在でも沖縄には本土の人達と、沖縄系住民の間では民族的感情のしこりがありますが、この島でもそれはあるらしい。元々、この島での沖縄系住民は、八丈島出身の人達が開墾した畑の下働きとして移住してきた経緯があり、その主従の関係が今でも本土の部落差別のように残っているという」「でも、今では沖縄系住民の方が多いので、八丈島系の人もあからさまに偉そうにすることは無いのだそうです。相互の結婚も自由ですし、そもそも若い女性の少ない島ですから、そんな事を言っている場合ではないそうですが」

・病人が出て飛行機が飛べない場合、自衛隊のヘリで空輸される。多くの島民がこの世話になっているため、ここの島民は沖縄本島と異なり自衛隊には好意的。「余談ですけど、自衛隊反対を唱えていた島の中学校の社会科教師が、急病で自衛隊のヘリで空輸。その後、自衛隊賛成派に変わったそうです。(^^;)」

・釣りをしていると沖合から大波が押し寄せてきた。釣り人は慌てて高台に逃げるが、「岸壁を越えて押し寄せた波は、岸に止めてあった車を飲み込み、岸に当たり、数台海に落っこちてしまった」これが嵐でもなんでもない晴天の日に突如起こった。「南大東に台風が来ると地震計が触 れて、地鳴りがするんだという。途轍もない波のエネルギー」

・さいごに
「正直言って、褒めようのない島だった。島の人に、この島はどうかと聞かれても、「暖かくていいですねぇ〜」くらいしか言いようのない島でした。それでも珊瑚礁の美しいリーフや真っ白な砂浜のある島なら意識も違っていたかもしれないけど、この島には美しい風景も存在しないのだから。
 それにしても特異な体験をした。この島のアバウトさは、私にはついてゆけなかったけど、インドを目指すような旅人クンには肌に合ったかもしれない。この島は日本の離島というよりも、フィリピンやインドネシアの離島だと言ってしまった方が当たっている。国内にこんないい加減な村があったとは……。何にしろここは言葉が通じる外国状態でした。アメリカ人やイギリス人が、同 じ英語を話すインド人と接したら、恐らくこの島のような調子に見えたに違いない。」



 私自身は1日だけの超短期滞在、島で仕事もしておらず現在の内情はわからない。一過性の旅人としてみたぶんには、宿も店も役場も親切だし機能しておりすこぶるまともに見えた。



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