中国 1980:上海1


上海大厦からみた上海

ホテルは現地へついてみないと、どこになるかわからない。このときは上海大厦、当時上海で一番いいホテルで、次が和平飯店だった。



朝の虹口公園朝の公園の名物、太極拳をする人々(A氏撮影)

虹口公園ではアイスクリームを食べようと売店に寄ると、売り子の少女はお金を受け取ると乱暴に投げてよこす。話には聞いていたが、目撃するとさすがにどきりとした。
魯迅記念館では受付や監視の女の子たちが本を読んでいたが、股を大きく広げスカートの上(椅子の上)に本を載せて読むなど、格好がすごかった。中国政治専攻の大学院生の話では、ずっとズボンだったためスカートに慣れていないとのことで、夏はバスの中でスカートをまくりあげて扇ぐ、という話も当時有名だった。





上海の繁華街、南京西路のようす。当時も繁華街だったが、店の品数も限られ、夏は白いシャツ姿が多く、質素。
市内は街路樹がよく茂り、日本の道より暗い感じがした。のどかで南方のどこかの町のようだった。








上海では銀行に鉄格子がまっていた。これについて大学訪中団を引率していた大学院生が、 「本当に泥棒も犯罪もないなら、あんなものあるはずない。現代中国にも犯罪はある。ただ外国人に手を出すと反革命罪になって厳罰だから、外国人には手を出さない。だから外国人にとっては中国は治安がいい」と解説。
これも”中国へ行くと落としたお金が戻ってくる”式の、当時の感激型訪中レポートではわからない、裏事情だった。

上海ではミュージカル「桜海思情」を見た(当時の中国旅行では必ずこの手の”友好の夕べ”的なプログラムがあった)。日中戦争をはさんだ日本人女性と中国人男性との悲恋物語で、一種のプロパガンダ作品だろうが、ガイドさんは泣いていた。途中故周恩来総理の電話の声が流れる場面があり、一般に批評をしながら観劇するので騒がしい劇場内が一瞬静まり返った。
同行のみなは口々に、「日本の印象、てあんなだったのー。あのディスコは何よ一体」「あの鶴がなんともいえないね」などと言う。院生らは隣に座った3人の中国人にいちいち、”着物はあんな着方はしない、セーラー服は学校の制服だからあんなときに着ない、第一緑のセーラー服なんて見たことない”等々解説していて、さすがの中国人も逃げ出したとのことだった。
さらにバスの中でもガイドさん相手に「あれはまったく日本と違う」と言っていた。
「どこがですか。服装ですか」と彼女。
「着物の型とかはいいんだけれども、着物の着こなし方とかね、動作とかがね、日本人じゃないんだよ」また最後の花笠踊りの振袖についても、「あんな時に振袖は着ない」とさかんに言っていた。







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