上海では銀行に鉄格子がまっていた。これについて大学訪中団を引率していた大学院生が、
「本当に泥棒も犯罪もないなら、あんなものあるはずない。現代中国にも犯罪はある。ただ外国人に手を出すと反革命罪になって厳罰だから、外国人には手を出さない。だから外国人にとっては中国は治安がいい」と解説。
これも”中国へ行くと落としたお金が戻ってくる”式の、当時の感激型訪中レポートではわからない、裏事情だった。
上海ではミュージカル「桜海思情」を見た(当時の中国旅行では必ずこの手の”友好の夕べ”的なプログラムがあった)。日中戦争をはさんだ日本人女性と中国人男性との悲恋物語で、一種のプロパガンダ作品だろうが、ガイドさんは泣いていた。途中故周恩来総理の電話の声が流れる場面があり、一般に批評をしながら観劇するので騒がしい劇場内が一瞬静まり返った。
同行のみなは口々に、「日本の印象、てあんなだったのー。あのディスコは何よ一体」「あの鶴がなんともいえないね」などと言う。院生らは隣に座った3人の中国人にいちいち、”着物はあんな着方はしない、セーラー服は学校の制服だからあんなときに着ない、第一緑のセーラー服なんて見たことない”等々解説していて、さすがの中国人も逃げ出したとのことだった。
さらにバスの中でもガイドさん相手に「あれはまったく日本と違う」と言っていた。
「どこがですか。服装ですか」と彼女。
「着物の型とかはいいんだけれども、着物の着こなし方とかね、動作とかがね、日本人じゃないんだよ」また最後の花笠踊りの振袖についても、「あんな時に振袖は着ない」とさかんに言っていた。