中国 1980:黄浦江/街
上海大厦裏の駄菓子屋の少女(O氏撮影)


上海

バス待ちの人々。この短パンが当時っぽい(K氏撮影)

黄浦江。ここに浮かぶ船の中でトランプに興じていた人々にカメラを向けるとさっとトランプを隠した。賭けていたのだろうか。

上海大厦裏の通り

グラサン姿の男性がいた。国内での中国礼賛報道から、みな教条的な言葉をのべそうした生活をしているものとイメージしていたので、けっこう驚いた。







市内を散策したが、当時思いのほか貧しい国だった。平日なのにぶらぶらしている男性が多く、背中から完全に裂けたシャツ、破れたシャツを着て道端にへたり込んでいる者もいた。
現代中国の政治専攻の院生の話では、「要するに中国人はひまなんだよ。だから集まってくる。彼らは三交代制だなんて言っているけれど、現在、電力不足で工場も動かせないでいる」

麺工場があり、堤防沿いに麺の玉を干したざるが並んでいた。その隣にぼろぼろのつぎあてだらけ布団が置かれおり、誰かが捨てたのかな、と思った。すると橋のたもとの小屋から老人が出てきて、その布団を大切そうにはたき、まるめてまたその小屋に引っ込んだ。
ずっと文革礼賛関係の記事を多く目にしていたせいか(当時とっていた新聞は”赤い赤い”で有名な全国紙A)、この光景も驚きだった。実際に来てみると、町全体に広がる不機嫌な感じと貧しさをひしひしと感じた。

買い物帰りのおばさんと目が合い、できるだけ中国人と中国語で話してみようと思い、話しかける。しかし彼女は警戒したようにting bu dong と言った。まわりに急に人が集まってくる。院生らから、町を歩いていて人がたかりはじめたら、さりげなくその場を離れるように、人が集まるとちょっとしたことで喧嘩や暴動になりやすく、巻き込まれる危険だと言われていたので、「対不起」と言うとそのおばさんもうなづき、さっと離れた。
外国人と話したり接触を持つと、あとで公安がきて取り調べられる、と噂には聞いていたが、想像以上の警戒心だった。

団体でバスに乗っているとき、一人の男の子が珍しげにバスの中をのぞき込んでいる。
みなで話してみようと、「中学生?」と聞く。2年生だという。語文が好きだ、などと聞いていると、また周りに人が大勢集まってきた。そこへ自転車に乗った白無地シャツだがきちんとアイロンをかけた青年が寄ってきて「今日本語を勉強しています」と日本語で言う。上海工業大学の1年生だそうで、彼が日本語で日本人たちと話すのを、回りに集まった人たちは押し黙ったまま興味深げに聞いている。さきほどの中学生も、中国語のできる何人かと「バスケットやっているんだけど、あんまりうまくない」等話していたそうだ。







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