戦  跡  2

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 夜明山近辺から林の中に入ると、軍道(トラックが通れる)と塹壕の跡が続く(写真左、塹壕跡と軍道)。
 二見湾を見下ろす高台中腹に、14センチ高角砲がきれいな形で残っている。敗戦後、日本軍は武装解除され武器は破壊されたが(ニュース映画などでもよくゼロ戦を燃やす様子が流れている)、ここは偶然か破壊をまぬがれ、きれいに残っている。他にも3基あるが、ほかはすべて破壊されているという。どの高角砲も境浦を見下ろす崖の中腹にあり、弾は水平線まで飛ばすことができる。船の位置、速さ、弾の飛ぶ速度から計算して砲撃して船に命中させる。ここからアメリカの軍艦を撃沈したため、以来米軍は父島沖を避けるようになったそうだ。
 ちなみにこの14センチ高角砲は有名になり、その写真は何度も雑誌等に掲載されている。

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 左は破壊された14センチ高角砲。
 右は電気関係のものを貯蔵した施設。この周囲には、ほかにも水をためるタンクだのいろいろあった。

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 写真左は7センチ加農砲(カノン砲の当て字)。この場所は深さ15メートルの竪穴を降りた先にあるが、今はそこから降りる必要はなく、脇道からこのコンクリート部屋に入ることができる。
 このそばに、食糧、弾薬を貯蔵し、兵も隠れたという広い窪地がある。一見したところ、自然の窪地かとも思いかねない地形で、こうした戦跡は、詳しく知っている人がいなくなるとわからなくなってしまうのではないか、という危惧を覚えた。
 ガイドしてくれた人も、一度行政から委託され、こうした戦跡の写真をとってまとめて渡したが、その後何の連絡もなくそれっきりだ、と言っている。陸軍や海軍の発電施設のビルも、高角砲や加農砲のある穴も、各種トンネルも、立て札一つあるわけでもなく、もちろん説明書きもない。

 右の写真は水利施設。山の水をためて濾過し、ポンプで送るものでかなり大規模。爆撃を受け、コンクリート製の大きな水の貯蔵タンク2箇所に穴があいていた(片側から入ってぬけた)。タンクには今でも澄んだ水がたたえられている。後にアメリカ軍が入ったときは、本土から船で水を運び、こうした施設は使用しなかったという。

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 自衛隊の通信基地の近くにある大きなコンクリートビルは、かなり爆撃を受けており、入り口の鉄扉が曲がっている。中に入ると、壁から入った砲弾が中で炸裂したため、天井が落ち、鉄筋がむきだしになり、壁が外に向かって湾曲していた(写真左)。
 さらにその先には、海軍の発電施設がある(写真右)。発電機を2基設置する構造は陸軍のものとそっくりで、「共用したらいいのに」と言うと、陸軍と海軍は暗号も異なりたがいに別行動、これはアメリカでもどの国でもそうだ、その中間を埋め、どっちにでも動けるのがアメリカでは海兵隊、日本軍にもそれにあたる部隊があったという。
 さらに東の太平洋側の海を臨む高台に監視所がある。ここも状態がよく、最近まで学校の音楽教室に使われていた。

 ところで、外から入りやすいところにある、陸軍の発電施設と海軍の監視所には落書きが多かった。英語で書かれているものもあり、「頭にきたアメリカ人かなあ」と言うと、違う、というので「日本の若者ですか」と聞くと「日本のばか者た。アメリカ人はこんなことしない」と言っていた。



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