中国 1980:南京/中華門




中華門。日中戦争における日本軍の南京での行動について、その内容、規模に関する評価はさまざまだが、日本人として南京に来たら避けては通れない場所。




梅園は周恩来ゆかりの地で、説明してくれた美少女も高中卒業後下放されたと言っていた。
当時(というか文革中は特に)三つ編とおかっぱ頭が多かった(2枚ともD氏撮影)





莫愁湖。緑の多いきれいな公園。ここで年配の中国人から「日本人ですか」と話かけられ、「こうして日本の学生さんたちが中国へいらしたことを歓迎します」と言って、笑顔で握手してくれた。




中山陵。孫中山(孫文)は大陸系、台湾系を超えて広く中国の人達から尊敬されている。知人の華僑も日本に帰化するにあたって苗字にナカヤマを選んだ。南京大学の運動部の学生たちが、この階段を使ってトレーニングしていた。







南京では「日本人が宿泊する外人用ホテルの入り口には、銃を構えた解放軍兵士が立っている。日本人観光客を不測の事態から守るためで、こんなところは中国でも南京だけだ。それだけ面白く思っていない中国人がいるわけだから、気をつけるように」と言われた。

宿泊した丁山賓館の服務員の話。いつもTシャツ姿の若い青年らで、文革中、一人は3年、もう一人は2年半下放されていたと言う。状況について、どうだったか尋ねると、何も言わない。具体的に仕事はきつかったか、食料事情はどうだったか尋ねると
「日本的農民生活苦不苦?」と聞き返された。文革時代の経験を軽々しく、興味本位の他人に語る気にはなれない雰囲気があった

中華門で3人の中国人に話し掛けてみた。2人は黙って去ってゆき、一人は苦笑してそっぽを向いた。中華門は日本軍の南京進軍の際、進入路となったところ。ここからいわゆる南京大虐殺が始まったとされる。見晴らしのよいところなので、地元の人達が憩いに来ていたが、彼らは私達を見て露骨に舌打ちをしたり、鋭い目つきで見ていた。







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