忠武 |
韓国南の海沿いにある港町、忠武に行くには釜山から船に乗る。高速船のエンゼル号と普通便とがあり(1982年)、普通便に乗った。ちなみにエンゼル号は日立造船製だった。
釜山の港で、扶餘に連絡しようと四苦八苦していると、日本語のできるおじいさんが出てきて、日本語で内容を聞きとって代わりに電話してくれた。別の日本語のできるおじいさんも普通便の切符を買うのを助けてくれた。お爺さん達は、私達が無事乗船したあと、波止場から手を振りつづけてくれた。
船室は人が大勢いて、寝ていたりする。酒を片手にしゃべっている男達もおり、たどたどしい韓国語で少しだけ会話する。はじめ警戒したが、実は人なつこい一家で途中のグジェ島に家があるらしい。彼らは兄弟、奥さんと女の子、老人もいる。女の子は船に揺られながら、それこそ船を漕いでおり、かわいかった。降りる際「自分の韓国語がつたなくてすまなかった」というようなことを言ったが、客観的に見れば私のほうがまったくしゃべれていないはずで、親切からか、自分はなまっていてすまない、という意味だったのか。(それとも聞き間違い?とにかく何か言葉のことで謝っていた)
友人たちは乗り合わせた釜山大学の学生たちと英語で話していた。でも帰国子女の友人いわく、発音が悪くて彼女の英語じゃ通じないという。「私達はコリアンフライドを持っている」と言われ、フライになった韓国人、てどういう意味だろうと思ったら、Korean Pride のことだったという。
船内で熱心にマンガを読みふけっている少女がおり、のぞくと「ガラスの仮面」だった。
当時日本人(特に女性)観光客が珍しかったのか、船長さんが操舵室を見せてくれた。彼は東亜商業高校出身で、「大日本帝国時代、日本に住んでいた」という(会話は日本語)。
町の魚市場のようす
(S氏撮影)
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