バス
バス


韓国旅行ではバスをよく利用した。慶州から釜山、扶余からソウルなどの長距離移動にも使ったが、高速道路だけでなく町や村を結ぶバスでの移動もあったので、悪路のことも多かった。80'当時、田舎は未舗装道も多く、最後部に乗っていたとき何度もジャンプして頭をぶつけたり、座席が外れていていっしょに飛んだり、ということもあった。

市内バスなどでは、慣れるまでは乗るのも結構命がけ、的なところがあった。追い越し車線でも平気で停車し乗り降りするし、まだ人が乗っているのに動きはじめる。車掌のアガッシがバスが動きだす中、掴んでのせてくれたことも何度か。人が降りるときもそうで、その扶助をするアガッシも、ときに落ちそうになっていた。

バスの中ではアジュモニたちから「どこへ行く、どこから来た」とよく話しかけられ、ゆで卵やヨーグルトをもらったりした。
あるときは「コヒャンを訪ねに来たのか」と聞かれ、コヒャンという単語、よく聞くけどなんて意味だっけ、と一瞬戸惑っていると「あれ、コヒャンの意味がわからないよ」と他のおばさん達と笑う。何人か聞かれ、日本人と答えるとするめをくれた。(コヒャンは故郷の意味)
またあるおばさんに座席をゆずったらひどく感激され、それ以降、荷物をひざの上におけと示されたり、降りるまでずっと世話を焼いてくれたこともあった。

1982年に旅行したとき、ちょうど釜山でアメリカ領事館爆破事件があった。その影響で、あちこちでバスやタクシーの検閲があった。タクシーでは兵士が顔をのぞかせ、運転手や同乗者に質問する。バスでは銃を持った兵士が入ってきて、ぐるりと乗客を見回し、敬礼をして出ていったり、公安警察の人が乗ってきて、旅券提示を求められたりした。

このあとのページでは、バス旅行の沿道で撮った風景をアップする。


このページは1980年代の韓国旅行に関するページです

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