母  島  2
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 母島は縦に長い島で、沖港を中心に北は北進線、南は南進線が伸びる(両者とも都道)。
 上の写真は北進線のようす。右上の写真に示すように、北進線の西浦にはゲートがある。たまに左右の森に入る道があり、畑や養蜂地があるが、基本的に畑は南に多く北は森ばかり。
 戦前は島の北端に北村があったが、現在は沖村以外に集落はない。それでも結構車の通りがあり、きいてみると北港の建設作業などに通う車だという。軽トラの荷台に、牛にやる桑の葉を積んでいるのもみかけた。

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 この4枚は、南進線沿いの写真。
 南進線の両側には畑が多い。畑の土は沖永良部のような赤土。左上写真の気根はガジュマルの木。父島のある農家の土は黒土だったため、きいてみると元は赤土だったのを1メートルほど客土したと言っていた。別の果樹栽培農家の人の話では、この赤土はすぐにカチンカチンに硬くなるという。
 ハウスでは島トマト、パッション、マンゴー、バナナなどが栽培されていた。沖村のJA出荷場ではこの時期、パッション、ジャガイモ、とうもろこしなどを持ち込んで選別していた。

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 左は中平あたり、右は南進線終点、都道最南端あたりから母島南を望む。
 この先は歩いて南端まで行かれる。南端には日本でもっとも南にあるふるさと富士、小富士があり、宿で一緒だった女の子が「晴れた日の小富士がお薦め!そこからの展望がすばらしい。絶対小富士は行ってほしい!」と言っていた。この日は時間がなく、また曇りだったため小富士は断念した。最後垂直の梯子を登ると言っていた。

 ところで、母島には結構、出国手続きを済ませ、自分の船でいったん日本の港を出たものの、なんだかのトラブルで母島に寄った、という話がときどきあるようだ。宿の人の話では、入管手続きは父島でする、母島のほうが父島よりも甘いそうで、このあいだ、日本人でもいた、上陸について買い物は黙認されたがあまり歩きまわらないように、と言われたらしい、という(外国人は確信犯ではという人もいる)。滞在中も、東港に欧米人がいるのを島民が見つけ、沖港までヨットと共に来てもらっていた。



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