1980年代の台湾旅行2


外省人と内省人:
ある年配の台湾人と話していたとき、声をひそめて外僑はきらいだ、と言った。中国語は話したくない、台湾語ならいい、日本語話したい。心なしか眼に涙を浮かべて「私中国人嫌い。とても嫌い。私日本人好き」。その人いわく、台湾人は蒋介石、蒋経国きらい、しかし崇めないと思想犯になる、とのことだった(1980年代)。
別の人の話では、子供たちは親に聞かれたくない話を英語でする、親は子供に聞かれたくない話を日本語でする、と言っていた。ある友人の母親の世代は、幼馴染とよく、子供時代に学校で付けられた日本語名を使って呼び合っている(「キヨコちゃん」etc)という。
同世代の友人は、中学時代に好きになった人が外省人だった、それで「ああ私この人とは結婚できないね」と悲しく思ったという。ただ、現在では外省人内省人の差は昔ほどではなくなり、結婚に反対する人もあまりいなくなったと聞く。
日本語についてだが、当時学校に行かれなかった層の人は、当然日本語はできない。お手伝いさんや道端の物売りは台湾語しかしゃべれない等はよく聞いた。韓国でも、日本統治時代、完全な日本語化から守ったのは、逆に学校に行けない人達の存在だったという話を聞いたことがある。

台北の博物館に行ったとき、反共の展示物があり、説明文のいくつかが薬品で焼かれた跡があった。「やっぱ頭にきた奴がいるんだろうな」と同行の華僑の友人(1981年)。

台湾の人と話していて面白かった人生観:
ある友人の妹さんは非常に優秀な人で、大学生当時英語もドイツ語もぺらぺら、奨学金を取ってドイツ留学が実現しそうだ、という状況にあった。友人一族と皆で食事中に、
「将来どうするんですか?」と聞くと
「おばさんになる」
一瞬意味がわからず
「でも留学までして勿体なくないですか?」
「だけど女の子でしょ」
「仕事はしないんですか?」
「もちろん、仕事はする」
「ああ、仕事をしながら結婚して、おばさんになるんですね」
「そう」
なんと健全な考えか、と当時感心した。その後彼女は本当に留学して、台湾に戻ったあとドイツ系の外資に勤めている。

もう一人の友人からも、こうした台湾の人たちの健全な家庭観を感じたことがある。慶応大学の理工系に留学していた友人も非常に優秀な人だったが、台湾に一時帰国すると「とても忙しい」と言った。
「勉強して忙しいのですか」と聞くと
「毎晩、家族皆で集まっていろいろ話をしたりね、何でかよくわからないけれど、家族と一緒にいるだけで楽しいし時間もあっというまに過ぎて行く。何も特別なことはやっていないけれど、とても忙しい」
一緒にいて時間もあっというまに過ぎるほど忙しく楽しい家庭。なんて羨ましいことだろう。彼女に限らず、泊めてもらった台湾の人の家庭はどこも明るかった。家族が笑って会話があった。

安易に日本の生活を悪く言う気持ちはないが、インドへ行っていたとき知り合った、現地でベンガル文学を研究していた日本人夫婦の言葉、
「インドの子供は2歳の子とは思えないほどの表現力で、笑顔を見せたり訴えかけてくるでしょ。日本にいる甥や姪はそういう覇気のようなものが弱い気がする。日本の家族、てなんか楽しくないね。ちょっと障害を持った子が一人いるだけで真っ暗になる。インドの家庭はそういう点でもタフだよね」
と語っていたことを思い出す。

(2002.01.07)

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