写真館:台湾 とミャオ(廟) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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■台北 目次 竜山寺付近の康定路には通称”泥棒市”という小さいバラック造りの店の並ぶ通りがあった。そのそばには、当時生徒数1万人以上で世界一といわれた老松小学校がある。西には赤線地帯の萬華。華僑の知人の話では、4交代で授業を行っているとのことだった。どうやってそんな時間割が組めるのかと思うと「夜間もある」という。始め聞き間違いかと思い確かめると 竜山寺は乾隆3年(1738年)建立の古刹。1981年当時留学中の知人の話では、夜の竜山寺は別世界のようで見事だという。ただ2000年に行った時は周囲が広々として整備されており、かつての建て込んだ中に廟の線香の煙の立ち上る下町的猥雑さは失せていた。 雙蓮駅から台北乗換え萬華まで鉄道に乗った。雙蓮駅の切符売り場の人や、台北駅の改札係は「日本時代からの鉄道マンだ」と誇らしげに言っていた。 萬花の写真は、市場の青草の店。亀の首を切り落としていたり、下町的なところだった。
■嘉義 目次 嘉義には北回帰線が通る。つまり嘉義以南では、季節によっては太陽が垂直に照らすときがある。ここは友人の地元でもあり、よく訪れた。中規模のおちついた、人が暮らすのにちょうど良い大きさの街。
■台南 目次 台南は台湾でもっとも古い町、好きな町の一つ。明朝末期以降だが、古い建物もよく残っており、ミャオも多い。赤レンガの塀も有名。台南の人は金好きで、金細工の店があちこちにある。3番目の写真は菩提樹信仰のようでもあり、面白いので撮った。最後の3枚の写真は街中にいきなりある、けっこう古そうな建物や門。石の牌楼には、清朝乾隆四十二年(西暦1777年)の年号がついていた。兌悦門は道光16年(1836年)のもの。 台南の廟については写真の数が多いため、別途後ろに詳しく載せています。
■墾丁 目次 墾丁は台湾の最南端、日差しは強いが空気はさらりとしており、太陽が高いため水平線に近いほど青空が濃くなり、まるで全天ドームのように見える。当時の墾丁は鄙びており、台北、台南、高雄から来ると観光客も少なく、逆に商売を心配してしまうほどだった。夕食に入ったお店でも、女店員はギターをつまびき、男二人は碁を打っていた。別にお客に聞かせるでもなく、手持ちぶさたに鳴らす物悲しい音色に、思わず旅情を感じた。 墾丁で泊まった民宿のお爺さんは面白かった。話好きで、アメリカ人が大嫌いだ、アメリカ人には貸さない部屋を日本人に300元(1981年)で貸す、と言う。なぜ嫌いかというと、細かくてこすいから。お爺さんはもともと花蓮近くの日本人の植民村で働いていた。洗濯屋を開業していたという。見せてくれた27歳当時の写真はとてもハンサムだった。老人いわく、「戦争は嫌いだ、人民がつらい」。窓の鉄などを全部供出させられたらしい。子供らは4人いるが全員台北に出ている。でも都会は嫌いだ、ここは空も広く地も広い。 地元の人から、毎年冬になると墾丁に3ヶ月か4ヶ月ほど滞在する日本の老人がいる、ここが気に入って十年以上もそうして通ってきている、という話を聞いた(1981年)。 墾丁ではよく子供が、西瓜の種で作ったアクセサリーを売ったりして働いていた。
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