写真館:台湾 とミャオ(廟)

80年代、台湾各地を回って旅行した当時の写真です。おもに廟(ミャオ)の写真を中心にアップしています。

台湾の廟についてはさまざまな研究がなされていますが、国分直一氏の本が閲覧可能であれば、お薦めです。戦前の調査記録もあり、台湾の文化に愛着をもって記されています。また、現在ではほとんど漢民族と同化したと思われる平埔族の信仰に関する貴重な記録も残しています(解説に抜粋)。

写真は1981〜1986にかけてのもので、「主譜壇」と「働く」の部分のみ友人撮影分が入っています。残りはシアル撮影分です。

廟の写真は後半に多く掲載されています。廟に興味のある方は下記のメニューをご活用ください。

記事      ・1980年代の台湾旅行
             ・廟の解説
             ・台湾の寺廟の主神全131傑
             ・2000年台湾旅行(少数民族プロジェクト)
             ・2009年の台湾

(2002.02.03)

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■台北    目次

竜山寺付近の康定路には通称”泥棒市”という小さいバラック造りの店の並ぶ通りがあった。そのそばには、当時生徒数1万人以上で世界一といわれた老松小学校がある。西には赤線地帯の萬華。華僑の知人の話では、4交代で授業を行っているとのことだった。どうやってそんな時間割が組めるのかと思うと「夜間もある」という。始め聞き間違いかと思い確かめると
「あるよー、昼間働いてんだよ」
「小学生で?」
「そうだよ、小学生でだよ」
ほかにも夜間のある小学校はいくつもあると言った。(1981年の話)
2000年に台湾を訪問したときには、竜山寺の周囲は更地となっており、都市再開発が始まろうとしていた。

竜山寺は乾隆3年(1738年)建立の古刹。1981年当時留学中の知人の話では、夜の竜山寺は別世界のようで見事だという。ただ2000年に行った時は周囲が広々として整備されており、かつての建て込んだ中に廟の線香の煙の立ち上る下町的猥雑さは失せていた。

雙蓮駅から台北乗換え萬華まで鉄道に乗った。雙蓮駅の切符売り場の人や、台北駅の改札係は「日本時代からの鉄道マンだ」と誇らしげに言っていた。

萬花の写真は、市場の青草の店。亀の首を切り落としていたり、下町的なところだった。
ところで、屋台で売っているジュースに仙草茶というのがあり、甘苦い。このほか屋台の飲み物として、個人的に梅ジュースや木瓜牛乳(パパイヤ牛乳)、グアバのジュースがお薦め。



泥棒市
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泥棒市
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竜山寺
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竜山寺
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淡水線
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萬華
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■嘉義    目次

嘉義には北回帰線が通る。つまり嘉義以南では、季節によっては太陽が垂直に照らすときがある。ここは友人の地元でもあり、よく訪れた。中規模のおちついた、人が暮らすのにちょうど良い大きさの街。
写真の2廟はいずれも地元の廟で、嘉義でも大きい。2将軍の写真は城隍廟のもの。城隍廟は都市の守護神(小さい町は伽藍公、村は境主公が守る)。早朝に行ったとき、一番前で5,6人が楽器を打ち鳴らし、その後ろで数十人の善男善女がお経というのか祝詞というのか、何かをろうろうと独特の節回しで歌っていた。解説    131傑
太子廟は那屯太子を奉る。131傑



城隍廟
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城隍廟
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城隍廟
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謝将軍
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范将軍
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太子廟
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太子廟
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■台南    目次

台南は台湾でもっとも古い町、好きな町の一つ。明朝末期以降だが、古い建物もよく残っており、ミャオも多い。赤レンガの塀も有名。台南の人は金好きで、金細工の店があちこちにある。3番目の写真は菩提樹信仰のようでもあり、面白いので撮った。最後の3枚の写真は街中にいきなりある、けっこう古そうな建物や門。石の牌楼には、清朝乾隆四十二年(西暦1777年)の年号がついていた。兌悦門は道光16年(1836年)のもの。

台南の廟については写真の数が多いため、別途後ろに詳しく載せています。



屋台の出る通り
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屋台
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菩提樹信仰?
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金の店
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赤れんがの塀
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学校
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石の牌楼:
西羅殿近く
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道の上にかかる門:
集福宮近く
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鐘楼:事務所に使用
西羅殿近く
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■墾丁    目次

墾丁は台湾の最南端、日差しは強いが空気はさらりとしており、太陽が高いため水平線に近いほど青空が濃くなり、まるで全天ドームのように見える。当時の墾丁は鄙びており、台北、台南、高雄から来ると観光客も少なく、逆に商売を心配してしまうほどだった。夕食に入ったお店でも、女店員はギターをつまびき、男二人は碁を打っていた。別にお客に聞かせるでもなく、手持ちぶさたに鳴らす物悲しい音色に、思わず旅情を感じた。

墾丁で泊まった民宿のお爺さんは面白かった。話好きで、アメリカ人が大嫌いだ、アメリカ人には貸さない部屋を日本人に300元(1981年)で貸す、と言う。なぜ嫌いかというと、細かくてこすいから。お爺さんはもともと花蓮近くの日本人の植民村で働いていた。洗濯屋を開業していたという。見せてくれた27歳当時の写真はとてもハンサムだった。老人いわく、「戦争は嫌いだ、人民がつらい」。窓の鉄などを全部供出させられたらしい。子供らは4人いるが全員台北に出ている。でも都会は嫌いだ、ここは空も広く地も広い。
お爺さんは墾丁公園等に出かける際には、知り合いのタクシーを紹介してくれた。紹介された運転手は、かつては船員で東アフリカその他さまざまな国へ行ったが、どこでも日本人に会った、台湾も日本人でいっぱいだと言っていた。宿に戻ると、お爺さんは昼間から近所の人を集めて、マージャン大会を開いていた。

地元の人から、毎年冬になると墾丁に3ヶ月か4ヶ月ほど滞在する日本の老人がいる、ここが気に入って十年以上もそうして通ってきている、という話を聞いた(1981年)。

墾丁ではよく子供が、西瓜の種で作ったアクセサリーを売ったりして働いていた。



墾丁への道
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台湾最南端
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農家
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地元のお寺
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墾丁の子供達
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C O N T I N U E

代天府・文武廟・指南宮・主譜壇・南沙宮・城隍廟(台南)


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