2002:チベット:リンク 最新事情 |
チベット関連の本を多数出している長田氏の専門的なサイト。チベット文化に興味のある方におすすめ。 | |
チベット難民支援のNG0、LUNG-TAプロジェクトの会員向けのページ。会報を見ることができる。 | |
チベット自治区ではなく、珍しく東チベットの青海省で活動するNGO。現在でも馬でしか入れない、伝統的な文化が受け継がれている村での活動だとのことで、興味深い。 |
最近、チベット関連の活動を行っているNGOの方や、チベット問題に詳しい方の話を伺う機会がありました。そのとき、聞いた話で興味深かった点をいくつか。
・チベット自治区はまだそうでもないそうですが、四川省、青海省あたりのチベット仏教寺院のお坊さんは、漢民族の人が多いそうです。詳しい知人いわく
「漢民族の人は”はまる”人は”はまる”。チベット人はチベット仏教をもちろん信仰しているんだけど、ああいう何もかも捨てたようなはまり方はしない。生活の中で信仰しているけれど、ユーモアも解するというか、高僧のスキャンダルなども笑って話すようなところがあるけど、漢民族のお坊さんはひたすらストイック。五体投地とかも苦行のようにやっている人はたいてい、漢民族。チベット人はそういう見るからに辛そうなことはやらない。」「漢民族の人は、はまるとまっしぐら、ていう感じ」と語っていた。
この話に、オウムや新興宗教にはまる日本や欧米の若者と似たものを感じた。都市部の中国人が憧れて出家しに来るのだという。チベット人の素朴な宗教感覚の話は、日本の農村のお爺さんお婆さんの宗教観に通じるものがあるように思った。民族的なものもあるだろうが、都市の精神的な歪みと古い社会との違いもありそうな気がした。
・最近、チベット自治区に漢民族が増えていると聞くが、お互いの結婚も増えているのかと聞いたところ、そう多くはない、と言っていた。ただ、「確かに自治区内に漢民族の人が増えていて、そこで生まれた2世とかも、もういる。知っている人で、両親とも漢民族なんだけど、もうほとんどチベット人のような人もいる。ラサで育ってチベット語もわかるし、彼女もチベット人だし、どちらかというとチベット人に感覚が近い」とのことで、在日の人たちのアイデンティティー探し(韓国に留学してもしっくり来ない、でもやはり日本人でもない、ただ母国語はもう日本語だから、日本に戻って日本語で発信しよう、などといった話)に共通するものを感じた。
いっぽう、仕事でチベット人と中国人が一緒に働いていることはときどきあるが、チベット人は中国人を本当には信頼していないようだ、仕事は一緒にやれるが、と言っていた。この話には、映画「KT」の中の韓国特務機関の人の日本人自衛官に対する台詞、「友達かもしれない。でも仲間じゃないかもしれない」を思い出した。
・チベット自治区だけでなく、青海省、雲南省、四川省、甘粛省、そしてブータンやネパールの一部、ラダックなども含めた独立その他の考え、動きはあるのか聞いたところ、
「ラサの人はそのあたりまで含めてチベットだと考えている。でもその対象となるブータンとかの人たちは嫌だろうね。ラサ中心で下に見られている感じがあるから」「ラサを離れた青海省などの人たちの中には、もともと民族的にも異なるのではないか、と思われるチベット仏教を信仰するグループもいる」と言うので「それがなぜ同じチベットの範疇に入るの?同じ宗教だから?」と聞いたところ、吐蕃の頃一緒になった事実があるのと、もう一点最近の条約だか(失念)の話をしていた。
また、もともとチベットはそう統一されていなかった、カムだのそれぞれ部族ごとに分かれていた、との話に、少数民族問題にはこの部族制社会と近代国家の衝突の話が多いな、と再び感じた。この問題は、結構大きい、というか根本的な気がするので、興味のある方は別記を参照してほしいし、またこれからも考えてゆく予定。
・最近、留置されて二十数年になる、というチベット人政治犯の受刑者が続々釈放されている、とのこと。これは江沢民政権の人権問題対策であるらしい。ほかにも政治犯の受刑者は大勢いるのだが、運動にしやすい、シンボル的な人を選んで釈放しており、アムネスティなどの活動に影響が出ているという。「中国もよく考えているよね」と言っていたが、この話も興味深かった。
確かに、「運動になりやすいシンボリックな人」という考え方、というのはある。以前、NGOに勤めていた頃、事務所にN○Kのディレクターから電話がかかってきて、
「日本国内の外国人問題に取り組む若者を取材した番組を作りたいので、誰かいい人を紹介していほしい。できれば女性がいい、さらにできればカメラ映りのいい人がいい」と言っていたと聞き、へえ、ああいう番組、てそうやって作られているのか、と思ったが、それに似たものを感じる。もちろん、これにも理由はあって、理想としては地道に事実を伝えてゆけばよいのだが、それではなかなか一般の人の心に届かない。シンボリックな人がいると、一気に問題があることが浸透してゆく。邪道のようにも感じるが、その力は否めない。
・最近の中国人の国内旅行熱の話になり、もはやラサだけでなく、ツエタンなどにも大勢来ている、という。カイラス山詣でもいるだろう、などと話しているときに、一人が「そういう中国人は沿海部の比較的裕福な中国人?」「そうだね」「ということは、まあチベット問題にも理解のある層が来ているのね」と話ていたのも、面白かった。ちょうど、日本人にも戦争問題に取り組む人もいれば国粋的な人もいるように、現在は中国人の中にも、リベラル的考えの人もおり、チベット問題に一定の理解を示す層がいる(つまり何でも中国が正しい、というのでもない)、ということらしい。