1980年代、BCLで親しんでいたよしみで、何度か韓国を旅行した。行く前は、反日感情が強いと聞いていたので、不愉快な経験をすることもあるかと予想していたが、実際行って見ると親切な人が多かった。
また当時は男性天国のイメージが強かったため、逆に女性どうしで行くと歓迎され、好意的に見てくれた面があり、ちょっと得をした面もあった。中国でも言われたが、戦前や戦争中、日本の軍人がよく妻を殴っているのを見て(ということは戦前もいわゆるドメスティックバイオレンスが結構あったことになるが)、日本人の女はかわいそうだと同情していた、と聞いた。
また片言でも韓国語で話したり、質問していたことも好感を持たれたのかもしれない。よく物売りのおばさんなどにも、ハングンマルをしゃべる、と言われ、喜ばれたりしたことがあった。
なお、当時は戒厳令下のため、ソウルなどでは夜12時から早朝4時まで夜間外出禁止令が出されていた(慶州など一部を除いた韓国全土に出されていた)。原則的に外国人には適用されないが、トラブルのもとなので(大体誰も歩いていない)観光客もやはり皆出歩かなかったようだ。このため、夜12時近くになると、タクシーの争奪戦がすごかった。行き先が同じ人どうしの乗合もよくあり、忠武で韓国の人と相乗りした。
行き方を聞いたり、バスに乗る際にはずいぶん韓国の人達のお世話になった。なにせほとんど韓国語ができないので、道を聞くことはできても聞き取りができない。当時はほとんど英語も通じなかった。ただ、同行した帰国子女の友人が、英語を筆談にすると韓国人も筆談でさらさらと答えてくれることを発見した。これはしゃべるのが苦手な日本人相手に英語を使う場合にも、結構有効な方法だと思う。
行き方を尋ねると、近くまで連れて行ってくれたことが何回かあった。言葉が通じず面倒なのか、かといってほっておくわけにもいかないと思うのか、黙って連れていってくれた。二人連れ警官に聞いたときは、上官のほうが部下に連れて行けと命じたようだった。慶州では、そのへんのおばさんがバスを見つけるや、急に私達を引っ張って走り出し、バスを止めて「プルククサ!(仏国寺)」と叫んで乗せてくれた。
あるいは、ある人に道を聞くと、バスに乗せてくれ、そこから先を車掌のアガシに頼んでくれる。アガシはバスを降りるときに兵役についている若者らに降りたあとを頼んでくれる、というように連携プレーをしてくれたこともあった。帰国子女の友人は、
「韓国人が日本を旅行したときに、日本人がこれだけ親切にするかといえば疑問だね」と言った。ただ彼女は
「こういう韓国人も珍しい、と思ったほうがいい。冷たい見方かもしれないけれど、そのほうが安全だよ。日本だって韓国だって、アメリカだってカナダだって同じで、こういう人はいるけれど特別だと思ったほうがいい」とも言った。海外経験豊富な彼女のコメントは興味深かった。
ただし、すべてが好意的だったわけではない。一方、こういうこともあった。地元バスに乗ったときのこと。立つ人も満員の混んだバスに飛び乗ったところ、車掌のアガシが私達の荷物のための場所を空けてくれた。すると一人の男性がイルボンサラムのためにどうこう(聞き取れなった)と言って荷物を蹴った。日本人のためにそんなことする必要ない、というようなことを言ったのだろうと思う。そこで、立っているおばあさんに荷物の上に座ってもらった。するとそのお婆さんはその後空いてくると、私達のために席を取ってくれた、というようなこともあった。
また扶餘の博物館を参観しているときのこと。突然掃除をしていた職員が
「イルボン、イルボン」と怒鳴った。なにごとかとそちらを見ると、デイパックを背負った山高帽姿の背の高い若者が何か韓国語で言い訳している。どうやら仏像の写真を撮ろうとしたか、前に供えられた小銭に触れようとした(と誤解された?)韓国の若者らしい。帰国子女の友人は、
「そういうばかなことをするとすぐ日本人、ととられるところに、いかに日本人のマナーが悪いかが表れている」と言っていた。
日本語:
日本語を話せる世代でも、日本語を話したがらない、とよく聞く。おそらく長く住んでみるとそうしたことがよくわかってくるのだろう。ただ、短期の旅行数回の範囲では、あまりそういう体験は無かった。釜山などでも、日本語のできるおじいさん達がずいぶん助けてくれた。
ただ、日本語を話せる世代でも、その能力にはかなり差がある気がした。かなり流暢に話せる人もいれば、聞き取りが難しい人もいる。終戦当時の年齢とか、当時の成績、またその後使う機会があったかどうかでもかなり変わってくるのではないかと思う。
日本語関連の話題として、たとえば地下鉄に乗って友達と日本語でしゃべっていると、当時は回りからいっせいにこちらを見られた。一度、お世話になったホテルの人達が、従業員食堂に連れていってくれたことがあるが、そのとき「日本人だとわかると皆が見るから黙って食べよう」と言われた。
一方、慶州のバスでは、日本語でこのバス、XXへ行くかなあ、と心配して話していると、高校生の女の子が日本語で「大丈夫です。行きます。でも遠いです」と隣から教えてくれた。高校で日本語を習っているという。反日感情が強いから、現在も教えられているとは思っていなかったので、若い世代で話す人がいることに驚いた。彼女の話では、高校の第二外国語として英語についで学んでいる人が多いと言うのでさらに驚いた。
日本語で、さらにこういうこともあった。ローカルバスで知り合った大学生らが、友人の一人に電話番号を渡し、ソウルについたら電話してくれ、という。それで面白がって電話してみると、とにかく言葉が通じない。英語もまったくバツ。結局彼のお母さんが出てきて、日本語でやりとりしてはそれを彼に通訳してもらうことに。それでもどうにか、コリアナで6時に待ち合わせ、という約束が成立した。(外国人をナンパするなら、せめて英語くらいはなんとかしておけよな)。
列車:
セマウル号等でない、ローカルな長距離列車の中では、販売車だけでなく、新聞、雑誌、梨などを売る人が通った。かなり混んでいても無理して通って行く。さらに警官や兵士もよく通っていた。
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アラカルト:
ソウル悪天候のため、飛行機がオーサン米軍基地に臨時着陸したことがあった。このとき、米兵が機内に乗り込んできて飛行機の入り口に立ち、写真撮影は禁止された。窓から外を見て、初めてジェット戦闘機が離陸するところを見たが、一瞬のうちに加速してバーンと飛び立つ行くさまは現実離れした凄みがある。同行の友人が「男の子なんかで好きな子は、しょっちゅう横田や厚木に行って見ているらしいよ」と言ってたが、なんかわかる気も。
韓国を語るとき、よく何を見てきたか、本当の姿を見てきたかどうか、という類のことが話題になる。知り合いの日本人どうしが韓国について語っているときも、日本の搾取を批判する立場の人の意見に対し、穏健な立場の人が
「僕の知っている韓国の人たちは、あまりそういうことを言うとかえっていやがりますよ」と言った。
それに対し批判的立場の人が
「私の知っている韓国人とあなたのお友達の韓国人とは質が違うから」と言った。
こうしたことは他の国についてもときどきあり、最近も政府が人権で批判されているある東南アジアの国に関するBBSで、
「あなたは某国の本当の姿を見てきたのか」
「あなたこそ本当に体験した話を語っているのか、報道内容や人権派の語る内容を真に受けたバイアスをかけて見ているだけではないか」
とけなしあいになったことがあった。
私個人の立場はこうだ。どちらも本当の韓国、某国なのだと思う。おそらくさまざまな人が体験した数だけの韓国、某国がある。それは国に対してだけではなく、会社、個人などさまざまなことに関しても言えることだと思うが。キーセン旅行で知る韓国もやはり実在する韓国で、日本の植民地時代の傷跡を回る旅も、やはり実在する韓国である。どちらも実在するもので、「そんなの上っ面の韓国だ、意図的に作り出した韓国だ」と否定することはできないと思う。
(2002.01.13 作成)