ラジオ韓国KBS訪問記



KBS訪問:
BCLで中学、高校時代、さかんに聞いていたラジオ韓国KBS、国際放送日本語班を飛びこみで訪問した(1983年)。
いきなり行って会えるかどうか、心配でもあったが、お便りの時間などにいきなり来た訪問者と会った話なども出ていたので、大丈夫だろうとも思った。

KBSのインフォメーションへ行くと、案内のアガシは本を読んでいた。さっそく日本語班に取り次いでくれ、日本語班の部屋へ通してくれる。

チーフの金聖ボムさんが、今忙しいのでまず隣に座っていて、と言う。
やがてこれから収録なので、収録風景を見ないかとスタジオへ連れていってくれる。スタッフの金和男さん、洪希政さん、金善愛(ソンエ)さん、当時の人気アナウンサーだった金英子(ヨンジャ)さんなど、いろいろな人が声をかけてくれる。
ちょうど「玄海灘に立つ虹」の収録を始めるところだった。「玄海灘に立つ虹」はBCL仲間でも人気のお便りの番組で、ここで手紙が読まれることは当時ステータスでもあったほど。
(BCLを知らない方へ:1970年代から1980年代初頭頃まで、海外のラジオ放送を聞くことが流行っていた。凝る人は短波ラジオでそれこそ世界中の放送局をキャッチしていたが、それほど凝らなくても、近隣諸国なら中波ラジオでも十分聞くことができた(ラジオ韓国KBS、北京放送、平壌放送、モスクワ放送あたり)。受信レポートを書いて郵送し、カードを集めることがメインだったが、各局のお便りの時間宛に手紙を書いて、読んでもらうことも楽しみだった。雑誌も出ていて、KBSは人気局だったため、ここのスタッフの人たちもよく紹介されていた。)

4時までにテープを作り上げ、本館へ持って行くのだそうだ。玄海灘は男女アナがペアになった掛け合い方式だが、この日、女性アナの金さんは何度か間違え、
「すみません、録り直してください」とかわいく謝る。
日本語の冗談もよく飛び交い、
「KBSの裏がわかっちゃうな。」
「いいじゃないですか。いつかばれることだから」
と終始和気藹藹としていた。この温かい感じが番組にも現れ、人気があったのだろうと思う。また他の近隣国の番組が硬直したプロパガンダものだったのに対し、KBSは自然でディスクジョッキー風番組などもあり、最新のヒット曲なども聴くことができて面白かった。当時は隣国に関するこうした身近な情報を手に入れる手段がほかになかったので、最新歌謡情報、はやりもの情報などはみな、KBS経由で得ていた。(ただし「北韓の実情」という北朝鮮との政治がらみの番組もあった)。

KBSの社員食堂でお昼を一緒に食べたあと、ヨンジャさん、ソンエさんとコーヒーを飲みながら話す。やはり「反応があることが一番嬉しいし励みになる」と言っていた。また1983年当時は、そろそろBCL人気にかげりが見え始め、もっとも盛んだったのは1970年代の後半だ、と言っていた。日本人のお客さんはときどきあり、こうして旅行ついでにいきなり来訪する人も多いという。また、韓国語を学びに韓国に留学する日本人が増え始めていた頃で、そうした若者がふらりと訪ねて来たりして、親しくなった人もいると言っていた。おそらく現在だったら、セキュリティーその他でいきなり行っても、会ってはもらえないのではないかと思うが、当時はこうしたアットホームなところがあった。

このあと、ソンエさんの知り合いの初老の日本人男性に会い、慶州の知り合いの韓国人を紹介してもらった。

ところで、私がもっともさかんにラジオ韓国KBSを聞いていたのは1970年代後半で、当時人気だったアナウンサーが、朴容順(パギョンスン)さんという女性アナウンサーだった。その独特の声と日本語の名調子は、今でも耳に残っている。ラジオ韓国のアナウンサーの人たちは、「日本語の美しさを再発見させられる」といったようなフレーズで、BCL関係の雑誌に紹介されることが多かった。
KBSを訪問したときには、残念ながら結婚退職されたあとだったが、このとき持参した、日本で録音したKBS番組でパクさんの声の入っているテープを送ってもらい、ご本人からカレンダーをいただいたことがある。


(2002.01.14 作成)


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