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安宿はありがたい
台湾旅行では友人宅に泊めてもらうことも多いが、今回は台北でバックパッカー用宿に泊まってみることにした。
成田空港からユースに電話すると、台北の空港に夜9時過ぎ着、宿に着くのが10時半というのは遅すぎる、と言う。受付を閉めてしまうらしい。空港に着いたらもう一度電話してみて、と応対した女の子。安宿Happy Family では直接来てくださいとのこと。
台北の空港に9時15分頃着、台北駅行きバスが9時40分に出るというので電話する時間がなかった。台北駅に10時半着。この時点でユースに電話してみたところ、管理人のお婆さんしか出ず、しかも台湾語しかしゃべらない。とりあえず直接行ってみるが入り口は閉まっており、宿を取りたい人はこの番号に連絡してください、と英語で携帯の電話番号が書いてあった。連絡すると先ほどの女の子が「too late」明日また来て下さい、と言う。11時近く、深夜まで旅行者の相手をしなければならないのは大変だなと思う一方、こちらもどんどん時間が遅くなるので焦る。回りで遊んでいた台湾の若者たちも帰宅モードだ。
Happy Familyに電話してみると、2カ所あり近いほうを教えます、と丁寧に行き方を教えてくれた。台北駅東の路地を入ったすぐにあるHappy Family1で、看板はないが、5階建ての小さいビルの4階にあかりがついていたのですぐにわかった。
受付は日本人の男の子だった。1泊250NTのドメトリーで、夜遅く着いても温かく迎えてくれた。今夜泊まる宿にありつけるか、不安になりつつあるところだったのでありがたい。彼の話では、8〜9月は忙しいが、この時期はそうでもない、台北の冬は、去年は特別かもしれないが手袋とマフラーがいるほど寒かった、という。山では雪がちらつくこともあり、台湾は南はいいけど、北は結構寒いと言っていた(そういえば、新規就農した友人を訪ねて与論島に行ったときも、気温は本土よりもあるんだろうけど、意外に体感気温が低く寒いと言っていた)。
Happy Family1は、ドメトリーが二部屋あり(他に個室が数部屋、このとき個室は満室)、片方が長期滞在の白人たち専用のような状態でかなり乱雑に散らかっていた。もう一部屋に短期の多い日本人が入れ替わり入るようだった。この日は部屋に私一人で、管理の男の子は出口近くの板で一人用に囲った小部屋にいた。責任者の人はこの当時日本に帰国中だったため、彼が管理しているそうだが、シーツや枕カバー、布団カバーも用意され清潔だった。予約なしの夜いきなりで多少不安もあったが、安心して眠ることができた。
ビキニの檳榔屋
夜、車で街を走っていると、けばけばしいネオンサインの店がある。檳榔を売る店で、長距離トラックの運転手なんかが眠気ざましによく買う。売っているのはビキニスタイルの若いお姉ちゃん、競争で接待している。友人は
「最初娘たちがあそこのビキニがいい、ここのがビキニがいい、と話していて、何のことかと思った。檳榔屋のことだった、よくない風俗ね」と笑う。
自宅の路地の入り口にも理髪店があり、そこでも女性が接待している、子どもたちがそこでカットしたいと言って困る、とも言っていた。
台湾の生活風景
台湾の女性友だち数人がご主人連れで集まり、しゃべっているとき、皆平気で
「彼と結婚したのは一生の不覚」等々、ご主人の目の前で笑ってしゃべる。のろけともとれないこともないが、かなりあれこれ言うため、日本人の夫だったら怒る人もいそうで大丈夫かと焦った(全員夫は台湾人)。あとで聞くと
「これが台湾流だ」「女性は強いですよ、隠さない」と平気。
その一方、友人と二人きりになると「夫が浮気したら私の人生灰色ですよ」としおらしく話す。
ある友人の意見
アメリカの親戚が、自分たち夫婦のグリーンカードを申請してくれた。十年前に申請したのが2年前に受理された。でも今アメリカに行っても困る。仕事のことも、子どもや親のこともある。放っておいたらこの前催促の手紙が来て、応じないなら権利を取り消すという。5年アメリカに住むと永住権がもらえる。住まないともらえない。最近友だちの間でも、グリーンカード取得のためや、子どもの教育のために渡米して、一年の半分を夫婦で別れて暮らすケースが多い。これはよくない。はじめはよくても、夫は寂しいから女の人を作る、奥さんも相談する人がいなくて恋人を作る、家庭が壊れることが多い。特に中学生で子供をアメリカに留学させるのは本当によくない。私はこの町で生まれこの町で死ぬ、それでいい。
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台湾では子どもの宿題に毎日親がサインをして提出していた。台湾の学校はこういうシステムになっており、テストや宿題を親に隠すことができない。お兄ちゃんの宿題が机の上においてなく、鞄の中を探していたが、やがて「今日は宿題のない日だったね」と言っていた。小学校二年生でかなり難しい表現や漢字を学んでおり、一方日本はどんどんやさしくしているので、将来負けそうな気がした(もう負けているか)。
台北の知人宅へ行ったときのこと。町中の普通の古そうな小型ビルだが、ビルの入り口はオートロック、自分の家のドアも鉄格子のようなアコーディオン扉と普通のドアの二重方式で、台北ではこれが普通だという。香港ではこうしたドアをよく見たが、台北も今はこうなのかと実感。
友人、知人たちが話しているのを聞いていると、北京語と台湾語が入り混じって出てくる。台湾語で話していたと思ったら急に北京語に切り替わったり、逆もある(友人たちは本省人)。どういうタイミングで切り替わるのかと尋ねると
「意識してないね」との答え。なんとなくそのときの感じで北京語のほうがニュアンスを伝えやすいとか、そういう感じなのだという。
台湾鉄道やMRTの駅では、北京語、台湾語、客家語の3つの言語でアナウンスがある。以前は客家語のアナウンスなんてなかったはず。友人の話では、客家は人口は少ないが自分達の権利を主張するのでこうなったという。
ところでMRT士林駅には、2000年10月当時、ヤマンバギャルメークの少女が出ているモトローラの携帯のばかでかい広告があった。さすがに街中でそういう少女たちはみかけなかったが、本屋に行っても、日本を個人旅行で歩く若者向けの指南本が山のように出ていて、日本の流行が直に入っていることを実感。
政治
かつては駅前ロータリーなどでよくみかけた蒋介石の銅像がなくなっていた。友人の話では「民主化されたから」とのこと。レーニン像や毛沢東像と同様の現象のようだ。
2000年10月現在、総統が陳水扁になって、台湾は政治危機です、という言葉を何度も耳にした(ばりばりの国民党ではない、普通の本省人の人たち)。日本ではそのことは報道されているか、とかなり気にしていた。日本では陳水扁は民主化を促進する善玉として報道されていると答えると、株価も下落し決して良い評価ではないのに、と心配していた。
台湾の女性副総統はあまり人気がないようだ。彼女は総統の言うことを聞かない、という。対中国でも強硬派で(2000年10月の話、現在は中国が総統と一緒に懐柔策に努めているようなので、変わったかもしれない)、普通の人たちはそこまでやると中国の反応が怖い、と恐れているらしい。みな冗談であの女ころしましょうか、と言っている、と言う人がいたり、結婚しないとわがままになる(副総統は独身)、結婚すればいやでも世間体を考えるから我慢する、そういう夫婦が7、8割、結婚したから自分みたいな人間でも多少我慢を覚えた、という評も。
(政治がらみの話は面白いが、どこまで書いて良いのかいつも判断に迷う。いずれにせよ、日本で報道されている内容とかなり意識や感覚的にずれがある印象はある。)
対日本について
言葉
台湾では日本人とわかると、すぐに日本語のできる人が出てきて応対してくれる。ときに、どうみても私の中国語よりも(大したレベルではないが)相手の日本語のレベルのほうが低い、と思う場合でも日本語を使い続ける。(おかげで北京を旅行しているときよりも、自分の中文を下手に感じてしまう。)
士林の銀行で両替をしたときも、パスポートと円を見て、さっそく行員が奥にいた若い女子行員を呼んできた。今独学で日本語を勉強している、という彼女はたどたどしい日本語を一生懸命使ってくる。はじめ中文で答えたりしていたが、決して日本語使用をあきらめない熱心さに、これも一種のボランティアではないかと悟ってゆっくり、わかりやすい日本語で答えるようにした。
デパ地下のフードコートでも、何かの拍子に「日本人ですか?」と隣の家族連れのお父さんが話しかけてきて、しばらく日本語でつきあうことに。
おそらく日本で日本人の英語学習につきあわされる外人も、こんな感じなのでは。
日本の戦争責任
以前から知る台湾の友人たちは、基本的に日本人の前では日本統治時代の悪口を決して言わない。親戚に日本軍の爆撃で耳が聞こえなくなった人がいる場合も、その話をするときに避難する口調では語らなかった。
それが今回、従軍慰安婦の話になったとき
「戦争中、日本軍は悪いことしたね。あのお婆さんたち、かわいそう」とはっきり言った。今までこうしたことを言わない人たちだっただけに、いかにあの事実が友人たちの心に衝撃的だったか、わかる気がした。
台湾の人の対日感情
その後ある友人が来日したとき、台湾の本を十冊くらい持ってきていた。なんでもこの本は台湾の人の日本に対する気持ちがよく書かれているから、中国語の読める日本人にぜひ読んでもらいたいと思って持ってきたのだという。
というわけで、まずはこの本の一読をお薦めしたい。
『不思議の日本国』(日本語タイトルですが中身は中国語です)
邦華著 方智出版社
著者は中国電子公司の特派員として東京で暮らした女性。
SARS
台湾の友人と電話で話しているときに、SARSの話題になった。
友人いわく、中国本土にはもっと感染者がいる、でも田舎のほうだと病院もない、だから感染した人には注射をして密かに殺している、家族も会えないうちに処理されている、と言う。うわさのようだが、かなり信じている様子だった。「だって中国の田舎のほうは、もともとそんなに病院もないですよ、どうしようもないでしょ、治療なんてできないですよ、だから絶対密かに処理している」と言う。
別の台湾人も、台湾に多くの感染者が出たのは中国が封じ込めに失敗したせいだ、と怒っていた。
ところで、例の日系紙記者の台湾人医師に対する記者会見での発言だが、友人は怒っていた。その理由は、発言内容が失礼かどうか、というよりも
「中国に対してだったら、ああいうこと言えますか?たぶん、日本人、言えないでしょ。それは台湾に対する差別ですよ」だからであった。それはわかる気がする。たぶん、もし日本人記者がその点を追求したく思ったり、あるいは対応への不満を表明したくても、中国には言えないのでは、と思う。