順益台湾原住民博物館


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順益台湾原住民博物館

 台北駅からMRTで士林へ、そこからバス。故宮博物館の向かいにあるので、わかりやすい。このところ、インド、ミャンマーと少数民族を訪ねる旅行が続いていたので、台湾の少数民族のことも知りたくて訪ねた。

 1階は原住民の歴史を解説。あるニュージーランドの学者は、フィリピン、インドネシア、太平洋などのオーストロネシア系の源は台湾であり、その彼らも元は4、5千年前に華南から渡ってきたという説を唱えている、とあった。なんとなく中華意識をくすぐりそうな仮説だ。

 2階は少数民族の生活に関する展示。ブヌン族が粟、黍、稗、早稲を作っていた。パイワン族やタイヤル族も粟を作っている。(畑を借りて雑穀を栽培しているので、こうした記述に目がゆく)。古い時代の写真は日本統治時代に、日本人が写したものが多く、特に森丑之助氏の撮影した写真のコレクションが豊富で貴重。台湾の廟や高砂族の研究でも有名な、国分直一氏の手による写真も何枚かあった。(氏によるシラヤ族に関する解説の抜粋はこちら

 作陶も山岳民族の文化の特徴だったようだが、ある1部族をのぞいて今はもうやっておらず、作り方を忘れてしまったという。農具、生活用具、陶器が展示されており、映像資料として麻布作りと作陶風景、固有の楽器の演奏風景と音楽が流れていた(アイヌのムックリにそっくりの口琴があった)。

 3階は衣装とビーズ製品の展示。地下1階は歴史と映像資料。丁度定時上映時間が終わったところで、ぞろぞろ人が出てきた。結構、人が来ている。映像資料はブースで見ることも可能。2階で流れていた映像は短いが、こちらの資料は長いので、時間に余裕のあるときに視聴することをお薦め。

 この博物館は91年に開館。96年のアトランタオリンピックでドイツのエニグマが台湾の少数民族の曲を使い(最初は盗用だったと日本の新聞報道)、以降、彼らの音楽や存在が注目されるようになり、折からの台湾民主化の流れに沿って、台北市でも総統府前の目抜き通りに凱達格蘭(ケタガラン)通りという平埔族の氏族名を取った名称がつけられた。このあたりが、原住民に対する台湾国内での意識の転換期らしい。空港にも原住民グッズの販売コーナーがあり、完全に観光資源の一つになっていた。

 なお、順益台湾原住民博物館の資料によれば、現在原住民九族(タイヤル、サンシェット、ブヌン、ツオウ、パイワン、ルカイ、アミ、ピュマ、ヤミ)、平埔族十族(推定4〜5万人、カバラン、ケタガラン、ルイラン、タオカス、パポラ、バブザ、ホアンヤ、パゼー、シャオ、シラヤ)。



このページは2000年秋の台湾旅行に関するページです

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