嘉義大学と嘉義の街


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嘉義大学

 ご主人の研究室を訪問させていただく。嘉義大学はかつては単科大学だったが、現在は二つの大学が統合されて総合大学になっている。日本の年配の知人によれば、
「嘉義大学、て戦前に甲子園に出場したことのある嘉義農林が前身じゃないか。嘉義農林は文武両道の名門だった」と言っていた。

 農場から大学へ行く途中、檳榔のほか、タバコ(政府の委託)、パイナップル、青翠枝(幹を薬に使う、日本人からの委託)などの畑を通る。
 嘉義大学では、原住民の生活向上プロジェクトを行っていた。行政院農業委員会と台湾省政府原住民事務委員会の共同プロジェクトのようで、女性の薛玲氏が主任、友人のご主人もそのメンバー。塀東県霧台、布農(ブヌン)族の原住民の村を訪問したときのスライドを見せてもらう。畑は棚田、焼き畑は今はやっていない。薄いスレートの石を積んで作った家屋、入り口にトーテムがあり、家の壁には蛇のシンボルが彫刻されている。この地域には30位の原住民の村がある。
 次に、同プロジェクトの原住民の生活向上計画についてのスライドを見せてもらった。原住民の住む山は果物の宝庫でもある。梨、桃、柿、葡萄、愛玉子、梅、りんごもとれる。特に柿はほかではなかなか取れないので、柿の栽培に注目しているということだった。(日本の技術もほしいそうですが、リンク集から国立嘉義大学原住民青年服務社にリンクしています。注:現在このサイトがないようなので、わかり次第再リンクします

写真:嘉義大学

 ご主人が原住民に興味を持ったのは10年ほど前からで、きっかけは彼らの栽培している独特の作物だった。総統が代わってから予算がつくようになり、村を回れるようになった。



嘉義の街  嘉義の日系デパートは遠東デパートの向かいにある。このあたりは繁華街で、駐車場をそばに作れないため、日系デパートが駐車場までの車での送迎サービスをはじめた。すると、遠東のほうでも送迎サービスをはじめ、いい刺激になっている、と友人談。

 夜市へ行く。一週間前にクリーン作戦で警察の手入れがあったそうで、嘉義で一番大きい夜市は閑散としていた。屋台の人たち200軒くらいが、このクリーン作戦は生活に困るとデモを行ったという。そこで”田舎の夜市”(友人の表現)へ行く。神社の縁日のような規模と雰囲気で、食べ物屋台とゲームの屋台が並ぶ。道を通ると人にぶつかるくらいの人出はあり、けっこう賑わっていた。子どもたちはしょっちゅう、ご主人と一緒に遊びに来るらしい。お目当てはパチンコで、友人はあまりよく思っていないが、少し遊ばせてあげていた。

海老の釣り堀

嘉義の子どもたちの間では、海老釣りが人気があるようだ。友人の子ども達もしょっちゅう屋内釣り堀場へ行って遊んでいた。女の子も行っており、24時間営業の店もあるという。夜は行ったことなのでわからないが、昼間は見たところ子どもしかいない(でも子どもが夜中まで、そんなに遊ぶのだろうか?)。
もう一つ、封神演義も流行っていた。上の男の子の机に封神演義の本があったので、
「あ、これ日本でもちょっと前、中学高校生に流行っていたよ。漫画があるんだよね」というと
「台湾でも流行ってるよ」と言う。男の子の愛読書は漫画でなく、本だった。勿論、漢文ではなく現代中国語訳。元はといえば中国原作の殷の紂王だの太公望だのの話、おそらく日本で流行っているのを聞きつけ、本家帰りしたのだろう。

写真:海老の釣り堀




嘉義の農家

写真:嘉義の農家




このページは2000年秋の台湾旅行に関するページです

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