台南の岳帝廟(東獄殿)


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岳帝廟東獄殿

 台南へ一人で行くことを心配した友人は、前の晩に台南の知人に電話をして都合を聞いていたのだが、私の訪問先が岳帝廟と聞いたその知人は折り返し
「廟には陰の廟と陽の廟とがある。岳帝廟は陰の廟で怖いから行きたくない」と断ってきたという。友人は「大丈夫ですか」というが、岳帝廟は何度も一人で行っているから大丈夫だと答える。

 駅をおりると、地方都市によくある歩道の上がアーケードになった繁華街が続く。日式最新XXが売られ、若者が大勢ぞろぞろと歩き、なんか80年代によく通った頃とイメージが違う。かつての高砂町、民権路一段に岳帝廟があるはずだが、と行くと、果たしてあった。

写真:岳帝廟東獄殿



謝将軍・牛将軍(牛爺)

 しかし、中に入ると何か違う。かつての不気味な感じがない。まず堂内がみょうに明るい。以前は煤けた屋内に目を凝らすと、古色蒼然とした怪異な范将軍、謝将軍、牛爺馬爺が見えてきたのだったが、壁が真っ白に美しく塗り替えられていた。そして神像群も皆、きれいな服に召し替えられている。最悪(最高?)なのは、神像そのものにも原色のペイントがぺたぺたと塗られていたことだ。これには我が目を疑った。あれだけ古い、おそらく歴史的にも貴重な像に直接ペンキを塗るなんて、日本だったら許されない気がした。
 が、しかし、ここは台湾。中国人は日本人と異なり、廟や神像が古びているのはお金がなくてメンテナンスできないからだ、と解釈するため、古くなってくると衣装を替え彩色を施し直すのだという。黒ずんだ木彫の古い味が出ているようすは、お金がない、信仰を集めていない証拠と思われるらしい。うーん、個人的にはやはり以前のほうが味があってよかったのだが、神様も中国人なのだからきっとこれで喜んでいるのだろう。

写真:謝将軍・牛将軍(牛爺)



祭壇

 堂内に年寄りがのんびり座っているようすは以前と変わらない。しかしなんともみょうな岳帝廟との再会だった。でもこれに懲りずに、岳帝廟ウォッチングは今後も続ける予定。この廟は民国79年に改築されていた。

 ところで台南の知人は、岳帝廟は陰の廟のため、健康な人が行くと病気になるとかある、と言っていたそうだ。「日本人だからきっと大丈夫ね」と言われたが、今まで何回か訪問して、そのために健康、仕事その他で不幸になったり、家族知人がどうこうした記憶もない。それにやばい廟なら、信仰する人がいること自体が不思議でもある。いろいろ調べてみると面白そうな廟ではある。(お祭りのときは大変な盛り上がりだった。

写真:祭壇



  1. 1982年撮影の謝将軍−サイズ大
  2. 1982年撮影の牛将軍(牛爺)−サイズ大
  3. 1982年撮影の范将軍・馬将軍(馬爺)
  4. 范将軍・馬将軍(馬爺)−サイズ大
  5. 謝将軍・牛将軍(牛爺)−サイズ大

追記: 2009年夏再訪すると、再びかつての薄暗い堂内、木彫そのままの色あいの神像に戻っていた。衣装も古い衣装を着ており、なんとなくほっとする。

 台南市では、日本の観光地でもよくあるように、市内の観光スポットを看板にそって回れるよう整備しており、東獄殿も城隍廟などと並んでルートの一つに入っている。東獄殿の価値が認められたようで、これは嬉しい。
 民権路に出ると、廟の前に大量の黄色い提灯が道路を跨いで吊るされていたため、すぐに見つけることができた(提灯はお祭りのためか)。

 ところで、今までこの廟を国分直一の本に合わせ岳帝廟と呼んできたが、現在当地では東獄殿と呼んでいるようなので、このサイトでも東獄殿と呼ぶことにする。
2009年代の東獄殿に関する記事と写真はこちらをご覧ください。

1980年代の岳帝廟に関する記事と写真は写真館:台湾編をご覧ください。




このページは2000年秋の台湾旅行に関するページです

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