写真館:台湾と廟 − 3 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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■岳帝廟(東獄殿) 目次 台南の岳帝廟 (閻魔大王である東獄大帝を祭る) はお薦めのミャオ。独特の牛爺・馬爺・范将軍・謝将軍の神像群がすばらしい(不気味とも言える)。普段は人気がなく、一人で行くと恐い雰囲気でもある。解説 131傑 神像の解説 岳帝廟を知るきっかけとなったのは、国分直一の台湾の信仰に関する戦前の本だが、そこでも岳帝廟の周りは夕方になると、人々が恐がって避けて通るとあった。今でもそういう部分があるらしい。しかし、こうしてここを信仰している人々もいる。氏子なのか(宗族単位なのか)本人が閻魔大王を信仰するかどうかなのか、どういう人々が集まるのか少々気になっている。 基本的に女性は生理中はミャオに入ってはいけないことになっている。観光化されている大ミャオではそううるさいことは言わないが、台南あたりの地元のミャオだと入るときにミャオの前に何気にたむろっているおばさん達から、口頭だがチェックされる。最近はあまりそういうこともないかもしれないが、台南など古い町の地元のミャオを訪ねるときには注意されたい。 ★追記: 2000年秋、久しぶりに岳帝廟を訪れ、意外な変化に我が目を疑った。くわしくは台湾旅行記にて。(要するにこういうことです。いかにも中国人らしい・・・と妙に納得。でもこれが生きた信仰なのだろうし、神様も中国人なのだからとても喜んでいるのだろう。でも侘びさびを重んじる日本人感覚からすると、かつてのペイントしない神像のほうが味があって良かった・・・、(牛将軍や謝将軍がこんなになっちゃうなんて・・・)。逆に他の廟でも、現在キンキラキンにペイントされて一見チープに見えるものの中には案外古いものがあるのかもしれない。) ★追記: さらに2009年夏、再訪(詳細はこちら)。 現在台南市では、日本の観光地でもよくあるように、市内の観光スポットを看板にそって回れるよう整備されている。東獄殿も、城隍廟などと並んでルートの一つに入っている。東獄殿の価値が認められたようで、これは嬉しい。 ところで、今まではこの廟について国分直一の本に合わせ岳帝廟と呼んできたが、現在当地では東獄殿と呼んでいるようなので、このサイトでも東獄殿と呼ぶことにする。
■孔子廟・龍山寺・媽祖廟 目次 台南の孔子廟は、明朝永暦20年(1666年)建立の台湾最古の孔子廟。おちついた感じの古刹で、大勢の人が木陰でのんびりすごしていた。解説 131傑 鹿港の龍山寺。鹿港は清朝時代に福建省の人達が作った古い街で、昔は台南、台北と並び称された。 北港の媽祖廟(朝天宮)は1694年建立の台湾最古の媽祖廟と言われる。ここの媽祖廟は有名で台湾全土に信者がいるという。媽祖は海の守り神。旧正月から旧暦3月23日の媽祖誕生祭までと、旧暦9月9日の媽祖昇天祭に多くの参拝客が訪れる。解説 131傑
■臨水婦人廟・天后宮・武廟・水仙宮 目次 台南の廟。 臨水婦人廟は福州人、臨水を祭る。福建の臨水を中心に広く祭られ、天后聖母とも言う。安産の神様。解説 131傑 大天后宮は1664年建立の明朝の王府から派生した、台南最古の廟。みごとな彫刻は台湾屈指と言われ、旧暦3月23日の媽祖誕生祭は、全市をあげてのお祭りになる。解説 131傑 武廟も同じく明朝の王府から派生した廟で、関帝を奉る。台湾の関帝廟の本山。解説 131傑 水仙宮も康熙54年(1716年)建立の古い廟で、市場の中にある。かつては近くが海で船舶がつらなっていたという。海上鎮護の神。
■西羅殿・薬皇廟・集福宮 目次 台南の廟 西羅殿(保安廣澤尊王)そばには老人が座っており、そのうちの何人かが日本語ができた。その話によれば、昔はそばを川が流れており、「大西門」に波止場があって大陸貿易が行われていた。保安廣澤尊王は航海・貿易・商業の神様だという。今では港は西へ移り、安平港が栄えている。131傑 薬皇廟は乾隆10年(1745年)建立、薬王大帝を祭る。131傑 集福宮も古く、乾隆元年(1736年)建立。
■ミニ廟 目次 集落のあるところ、必ず廟あり、と国分直一氏の本にあるが、本当にあちこちで祠を見かける。土地公はよくある祠の一つ。 神社のように村の高台にある廟は台中から日月潭へ行く途中。
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