香川編1  2004冬
七十一番から七十七番
 讃岐平野には三角錐の小山が点在する。弥谷寺、出釈迦寺、甲山寺もそうした山ふところにある。教科書で習った溜池もなるほど目に付く。

77 弥谷寺への道
76

 善通寺へ向かう途中、話しかけてきたおばあさんは「最近、歩く人が増えたわね」と言っていた。

78
曼荼羅寺への道

1日平均32キロから34キロ、山を登った日は30キロ程度が疲れずに歩けるちょうどよい距離だった。高知では36キロくらい歩く日も多かったが、40キロ近くなると確実に翌日足が重くなる。宿には4時半から遅くても5時には着くようにしていたが、人によっては朝早く出て3時には宿に着き、のんびりする人もいた。


善通寺

七十七番から七十八番
 丸亀も衰退が激しかった。丸亀城前の大きなNTTの建物にも張り紙があり、撤退していた。周囲には更地となったいくつもの大きな区画があり、駐車場になっていたりする。
 駅前にアーケードが2本あるのだが、これも見事なシャッター商店街。あちこちに貸店舗の張り紙、実質1,2割しか営業しておらず、”寂れている”を通り越していた。ただ、”パワーシティに移転しました”と張り紙のある店舗があったので(このほか多度津、宇多津に移転、というのもあった。そちらの方が今は発展しているのだろうか)、そのパワーシティへ行ってみる。

 パワーシティは国道沿いの巨大ショッピングセンターだった。ブックセンター、ゲームセンターなどとスーパーと百貨店の中間のような店が一体になった郊外型店舗で、大勢人がいる。駐車場は満杯、高校生は自転車で来ており、子連れも多い。物理的に人がいないわけでもなく、今地方ではこういうところに人が来るのか、と実感。

79 80
アーケードと、駅前の古い町並

宿での話3:
男性歩きへんろには定年退職型のおじさんが多く、集まるとどこまで何日で歩いたと自慢しあうことが多い。宿帳を見ながら、この人にはどこそこで会った、昨日ここへ泊まっている、自分より1日早いな、等々言っている。

一人は定年後回るのはこれで3回目、贅沢な道楽で歩けなくなるまで続けると言い、もう一人はまだ仕事があり区切りで来ている、三日目だが足がきつい、と言う。

仙遊寺で会った若者は二、三度回った後そこが気に入ってずっと泊まっているそうだ、と一人が言うと、あそこの宿坊は天然温泉らしい、ともう一人、そして弥谷近辺にも温泉がある、と温泉談義になる。

靴はどこそこのメーカーがいい、という薀蓄話、歩きなれた靴がいいと革靴で回っている人を見た、磨り減るから途中打ち直しはするらしいが、それで山も全部登ってしまうそうだ、等々話は続く。


74
大野原町にて


七十八番から八十三番

81  国分寺までは小さな峠はあるものの、さほどアップダウンのない道をゆく。宇多津はなるほど大きい町。丸亀のほうが有名だが、今や駅も宇多津のほうが大きい感じで、高層マンションが駅前に並び、岡山あたりへ通う人々のベッドタウンになっているようだ。






八幡付近の旧道

 白峰寺と根香寺は山上にある。海抜数十メートル付近から一気に350メートルあたりまで登るので、どんどん景色がよくなる。ここもへんろころがしと書かれているが、整備されており割と歩きやすい。ただし山道にはまむしに注意の札も。
 根香寺から鬼無に下りる道は幾とおりかあり、わかりにくいので要注意。

82 83
左-白峰寺への登り、瀬戸内方向を振り返ったところ、右-根香寺の役の行者像

お寺を回っていると”境内のニセへんろに注意、托鉢、偽札、絵描きなど”と張り紙があるのをよく見る。特に瀬戸内側に多い気がする。托鉢僧はときどき見かける。

 あるお寺で木の下に鉢を置いて座っている老人を見かけた。お接待でもらったお金が余っており、野宿派に渡そうと思っていたところだったので鉢に入れた。お札をどうぞ、と言われたが断った。「皆いらない言うな」と老人。納経を済ますと雨が降ってきて、ある建物の軒下から「さっきはありがとう」と声がする。ほこりまみれの鞄を脇において老人は缶詰を食べていた。いったん別れるが、六十代七十代で野宿は厳しいのではないか、三千円出せば泊まれるところもあるし、と思い引き返した。寺の入り口脇には自転車が置いてあり、青シートをかけた荷物が結わえてあるのが目に留まった。軒下からは老人が生まれは関西某県、姉妹が故郷にいるが戻れない、等ぶつぶつ一人ごちている声が聞こえた。


8084
高松市内のへんろみち

納経所の人の話:
お経は大声でちゃんと読んだほうがいい。よく口の中でもごもごやっている人がいるが、せっかくお四国はこうした自然の中にあるのだから、大声で読んだほうがいい。歩くのが好きで回ってもいい。お四国は特定の宗教を強制するものでもない。



2004春
八十四番から八十七番
 屋島は遠くから見ると頂上がまったいらの不思議な形をしている。屋島寺も八栗寺も二百数十メートル小山の上にあり、八十八番までもう登りはないと思っているとはぐらかされる。
 屋島寺も境内中心部に巨大な一対のたぬきと鳥居があり神仏混淆。佐渡、淡路と共に日本三大狸の一つで、化け方が高尚だったという。休日のせいか、若者グループやカップルが大勢来ていた。下りの旧道は、かなり急な坂。

87 88
屋島の遠景と屋島寺の狸

 八栗寺も入り口と山下には鳥居が建ち、歓喜天を祀るお堂の両脇には狛犬が鎮座する。下りの道は高松市が一望でき、景色がよい。(八栗寺へ行く途中、車の大渋滞に出くわす。何かと思うとうどんの山田屋だった。)

 長尾寺へ行く途中、散歩中のおばさんが話しかけてきた。バス会社が募る土日のバス旅行でお遍路に回り、今秋打ち上げだそうだ。地元の人も結構回ったことのある人は多いようで、歩きよりも個人の車や旅行会社のバス旅行で行く、という話をよく聞いた。何度も回っている人もいる。
 一方、坂出などでは、軽トラに乗ったおばさんや手押し車を押すお婆さんから「歩き?私は回ったことないのに」「私はもう回れないから」とお接待を受けた。


屋島寺の旧道の下り 90



89
長尾寺、いよいよ最後の女体山越え


宿での話4:
 このあたりまで来ると、夕食時は満願の話になる。「もう終わりですね。最初長いと思ったけどあっというまだったな」と定年退職後、はじめてへんろに出たという男性。そして「また行きたくなるのわかります」と何回も回っている先輩へんろに言っている。一方、子供に悩みを抱え家族連れで来ていたおばさんは「私はもう一度で十分」と言った。皆通しで歩いている。

 何度も回っているおじさんは、定年退職組は最初、長距離お寺のない区間は電車やバスで移動し、市内など札所の詰まっているところは歩いて回る方法をとる人も多い、それで味をしめた人がニ回目以降歩き通すようになる、と話していた。
 また、一人で歩いているうち何となく気のあった者どうしがグループになることもときどきあるという。ある関西人グループは最初会ったとき「兄弟です、この人がXXお兄ちゃんで」なんてやるから本当かと思っていたら皆元は最初一人だった、年齢性別ばらばら、ずっと会話が漫才でおかしなグループだった、等々話す。


86

高松近くで見かけた六角形の石柱。六面それぞれに何とかの命と神様の名前が彫ってあった。


←戻る    つづく→

徳島   高知1   高知2   愛媛1   愛媛2   満願から1番   宿    日程表