香川編2 満願から1番へ  2004春
八十八番から一番
 大窪寺への道は女体山越えと助光経由がある。今回は、歩きやすい助光経由は年取ってからでも行ける、と女体山越えにした。女体山越えは、ダム湖を左へ回る。ダムの対岸には道の駅、へんろ交流センターがあり、白装束姿が大勢うろうろしているのが見えた。

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 譲渡集落の畑は柵、魚網のような網、トタン、捨て看板などで囲われていた。畑で作業中の人の話では、いのしし避けだそうだ。
 川の名だの行者名だの諸説ある太郎兵衛館という地名を過ぎると、山道に入る。女体山越えには岩場があり、杖を荷物にくくりつけて登ると聞いたが、足場を確保しつつ慎重にゆけば、そこまでしなくても大丈夫。山頂は763m、見晴らしがいい。

譲渡集落の棚田 91


女体山頂上


 弘法大師は最初、かつて古窪と言われた太郎兵衛館の先の北西斜面に大窪寺を開いた。それが一山越えた奥の院に移り、さらに現在の位置に移ったという。

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 頂上から一気に450mまで下る。林の間から急に人の声が聞こえ、大勢人が行き来しているのが見えてくると、八十八番大窪寺に到着。

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大窪寺

 一番へ戻る道は十番切幡寺へぬける道が一般的だが、古来からの道をゆきたかったため折野経由にする。新しい五名隧道をぬけ、白鳥に出る。

宿での話5:同宿になった満願の老夫婦
奥さんが大病して一時車椅子になった。以降考えが変わった。若い頃は商売しお金もたまったが、病気で消えた。最初へんろは車で回った。車でも駐車場からお寺までは歩く。最初はそれも歩けず5年かかった。回っているうちにだんだんに歩けるようになった。今ではこうして元気に回れるし、何でもおいしく食べられる。


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牛頭天王碑-白鳥の道から脇へ入る
明治廿六年旧六月廿五日献之とある


再び一番へ
 白鳥からは三番金泉寺直行の近道もあるが、與田寺経由で瀬戸内側へ出る。東照寺あたりで田圃に薬をまいていたおじさんは、「終わったんか、その山越えると七番あたりに出られるぞ」と言う。

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山の映る水主の田圃(写真の年月日は誤り)

 引田からは海沿いの道。国道沿いの店の「営業中」の看板が「やっじょります」であることも多い。

 大阪峠入り口の看板には、大阪峠越えがもっとも古いルートだとある。大阪峠は高低差が結構あることと、どうせなら三番金泉寺に出る大阪峠より、一番まで別の道を歩きたかったので折野経由卯辰越えにする。卯辰峠越えは道がよいため、広い=陰がない=暑い、ということでもある。なお、新しいへんろみち地図には卯辰峠の道は載っていない。また古いへんろみち地図によると、大阪山分岐点から卯辰峠に進むコースは従来の道とは異なる、従来の道は折野から川筋に進む道をとる、とある。

 5月に入り日差しも結構あり朦朧としてくる。折野から右折。道は二車線で新しく立派。道は川沿いのゆっくりした上りで、徳島へ抜ける車、峠頂上付近の産廃施設へ向かうトラックなど結構通る。

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 川筋集落は廃屋も目につき、見かけるのは老人ばかり。昔は子供や若い衆がいて、よろずやもあって、駐在もあって、二十何夜講といえば近隣の集落からも人が集まり、それなりに賑わいや楽しみもある、完結した世界だったのだろう。

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川筋集落
霊山寺

 峠の頂上からは徳島市と海が展望できる。一気に下り神社脇を抜ければ一番霊山寺。八十八番のときよりもこの下りのほうが終了感が強く感慨深かった。

宿での話6:
 霊山寺そばの宿で同宿した定年退職組男性二人はこれから回る人達だった。初めてという人は先々までスケジュールをたてている。明日は切幡まで歩くと言い、数度目という地元の人が「最初からはりきらないほうがいい」と心配していた。また荷物も大きく、”歩いていると紙一枚、鉛筆一本が重たくなって投げ出したくなるから”いらないものは減らしたほうがよい、と助言されていた。
 初めての人は、保存協会に電話したら今年は春大勢出ているから宿が混む、と聞いて今日まで待った、と言う。地元の人も、昨日もまだ大勢出発してゆくのを見たそうだ。

 翌朝霊山寺にまいると、これから出立してゆく人をけっこう見る。おじさん二人連れから写真をとってくれと頼まれた。やはり定年退職組、一人は何回か車で回り、もう一人ははじめて、これから二人で歩くという。中高年夫婦連れもおり、傘をかぶり荷物をしょって歩き始めた。浮き浮きした感で、なんか楽しそうだった。


高野山
 八十八のお寺を回った後は、高野山へ参りする慣わしがある。

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左-高野山への参道、右-金剛峰寺の庭園


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 この後フェリーで和歌山へ。このコース、自分だけかと思ったら、けっこう歩きや車へんろが乗っている。

 左の写真は、金剛峰寺の庫裏で見かけた神棚。お寺なのに鳥居が祀られている。

 霊山寺では、新しいへんろ地図が出ていたので、これはタイムリーと思う。旧版の地図の場合、新しい道やバイパスが出来ていることも多く相違があったし、また、国道沿いの店の移り変わりも激しい。ただ新版は車へんろも使える形の地図で、旧版と載っている情報の質が多少異なる。旧版は地元名産の店や、野宿スポット情報なども詳しく載っており、なかなか楽しめるのだ。

 このへんろ歩きで感じたこと こちら−>四国へんろ雑感地方の衰退

この歩きへんろ旅行では「へんろみち保存協力会」の発行する地図に大変お世話になりました。
2011年1月29日付朝日新聞の記事で、地図作成と旧道復活に尽力された宮崎建樹氏の訃報を知りました。
ご冥福をお祈り申し上げます。


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