香川編2 満願から1番へ 2004春 譲渡集落の畑は柵、魚網のような網、トタン、捨て看板などで囲われていた。畑で作業中の人の話では、いのしし避けだそうだ。
弘法大師は最初、かつて古窪と言われた太郎兵衛館の先の北西斜面に大窪寺を開いた。それが一山越えた奥の院に移り、さらに現在の位置に移ったという。 頂上から一気に450mまで下る。林の間から急に人の声が聞こえ、大勢人が行き来しているのが見えてくると、八十八番大窪寺に到着。 一番へ戻る道は十番切幡寺へぬける道が一般的だが、古来からの道をゆきたかったため折野経由にする。新しい五名隧道をぬけ、白鳥に出る。
再び一番へ 山の映る水主の田圃(写真の年月日は誤り) 引田からは海沿いの道。国道沿いの店の「営業中」の看板が「やっじょります」であることも多い。 大阪峠入り口の看板には、大阪峠越えがもっとも古いルートだとある。大阪峠は高低差が結構あることと、どうせなら三番金泉寺に出る大阪峠より、一番まで別の道を歩きたかったので折野経由卯辰越えにする。卯辰峠越えは道がよいため、広い=陰がない=暑い、ということでもある。なお、新しいへんろみち地図には卯辰峠の道は載っていない。また古いへんろみち地図によると、大阪山分岐点から卯辰峠に進むコースは従来の道とは異なる、従来の道は折野から川筋に進む道をとる、とある。 5月に入り日差しも結構あり朦朧としてくる。折野から右折。道は二車線で新しく立派。道は川沿いのゆっくりした上りで、徳島へ抜ける車、峠頂上付近の産廃施設へ向かうトラックなど結構通る。 川筋集落は廃屋も目につき、見かけるのは老人ばかり。昔は子供や若い衆がいて、よろずやもあって、駐在もあって、二十何夜講といえば近隣の集落からも人が集まり、それなりに賑わいや楽しみもある、完結した世界だったのだろう。 川筋集落 霊山寺 峠の頂上からは徳島市と海が展望できる。一気に下り神社脇を抜ければ一番霊山寺。八十八番のときよりもこの下りのほうが終了感が強く感慨深かった。
翌朝霊山寺にまいると、これから出立してゆく人をけっこう見る。おじさん二人連れから写真をとってくれと頼まれた。やはり定年退職組、一人は何回か車で回り、もう一人ははじめて、これから二人で歩くという。中高年夫婦連れもおり、傘をかぶり荷物をしょって歩き始めた。浮き浮きした感で、なんか楽しそうだった。 高野山 左-高野山への参道、右-金剛峰寺の庭園 この後フェリーで和歌山へ。このコース、自分だけかと思ったら、けっこう歩きや車へんろが乗っている。 左の写真は、金剛峰寺の庫裏で見かけた神棚。お寺なのに鳥居が祀られている。
このへんろ歩きで感じたこと こちら−>四国へんろ雑感、地方の衰退
この歩きへんろ旅行では「へんろみち保存協力会」の発行する地図に大変お世話になりました。 |