高知編1  2002冬
二十三番から二十四番
 野根からは海沿いの国道で、アスファルトの上は冬とはいえ快晴だとかなり暑い。
 仏海庵に入る旧道の入り口に座っていた老人が「昨日は二人通ったぞ」と言った。昔は庵に尼さんがおり宿泊可能だったが、現在は無人。畑のししとうにはまだ実が成っており、すでに霜が下りて何もない関東の畑とは大違い。クワズイモ、芭蕉、蘇鉄など南国系の植物も見かけ、蘇鉄は冬に備え葉をまとめて縛ってある。

左−仏海庵、右−夫婦岩
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 最御崎寺は山上にあるが、ウバメガシなど常緑樹が茂る明るい森で、太龍寺あたりの深山幽谷とは趣が異なる。津照寺へ向かうスカイラインの展望がすばらしい。下におりるとちょど買い物の時間帯、人も多く挨拶してくれる。手押し車を押したおばあさんが、「今日は風がなくて歩きやすかったね」と一言。

スカイラインから室戸市を望む
14  室戸岬町で見かける昭和9年の海嘯到達地点碑は、台風の津波が来たときのもの。岬のため通常津波は来ないが、このときは特別だった。
 高波はよくあり、風の強い日には車のコマーシャルで見られるようなアーチ型の波が国道55号(野根から岬への道)にかかる。
 津照寺へ向かう道沿いには個人宅名のバス停がある。なんでも西日本一広い庭を持つ家で、中を見せてくれるらしい。もともと地元の漁師の首領で、山之内の殿様が遭難しかけたときに命を顧みず助けたことから、殿様から「ここから見える限りがおまえの土地だ」と言われたそうだ、と地元の飲み屋で聞いた。「中に池があり、その家の子供が何人も亡くなっている。入り組んでいてなかなか見つからないらしい」との話に、「自宅で遭難するんですか?」と同じ店にいた若者。

二十四番から二十六番
左-高知への道もひたすら海沿いに続く、右−奈良師あたりの商店街
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地元の人の話:
 昭和30年代に室戸市になったが、その時3万4,5千人いた人口も今は2万を割っている。今は漁業がだめ、かつてはダイビングや釣客がいたが、港湾工事で岩場がなくなったので来なくなった。
 山中の6、7軒のために何十億かけて貯水池を造っているが、一世帯一千万渡せば6、7千万で済むのに、という人や、6、7千万で7軒がうるおうより20億で関連会社の何千人がうるおうほうがいい、という人もいる。どちらの意見の人も、
「15年前の計画を今やっているからなあ。港が完成したら漁師は高齢でやめる人ばかり、貯水池が完成したら過疎で誰もいない」と言う。

 四国のスキー場はコブとアイスバーンが多く、急斜面なので上級者向け、最初はみな大山へ行くそうだ。

「それにしても歩きへんろ、増えてるな。今は時期じゃないけど、ちらほらいる。流行ってんだな。不況というのもあるし。四国全体がオリエンテーリングみたいになっていて、ぐるぐる回れる」



二十六番から二十八番
 高知の人は気さくに話しかてくる。「どこから?寒くない?今日は暖かいね。昨日は寒かった」「もうすこし行ったら自転車ロードに入るといい。車も来ないし」
 畑にはハウスが多く、中はナスやピーマンなど。地区によって栽培作物が決まっている。伊尾木には49作目の寅さん映画となるはずだった幻の”花へんろ”の関係で、寅さん地蔵がある。このあたりでロケするはずだったそうだ。

左-羽根裏から中山峠へ入るところ、右-奈半利方向へ降りる道
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 安芸を過ぎると漁村が続き、食料品や衣料品を売るバンが音楽をならしながら回っていた。
 高知全体にわたって木目を印刷したトタン家が多く、国道沿いも廃業したレストラン、食堂が目に付く。町中も空家、売り地、閉まった店が多い。愛媛に入ると木と白いしっくいを使った重厚な作りの家が多くなる。高知、愛媛どちらの宿の人も、「そりゃ愛媛のほうが新居浜だの工業地帯があるし、四国で一番豊か。ただ、有名な人は高知のほうが大勢出ている」と言っていた。

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安芸−手結間にて

二十八番から三十一番
 大日寺、国分寺と平野をゆく。個人で設置している無料接待所や”へんろ石まんじゅう”の店がある。

歩きへんろの中には風のように足の速い人がいる。国分寺で会った初老の男性は、朗々とよい声で読経しお先に、と出立したかと思うとたちまち姿が見えなくなった。あたりは畑ばかり、農家がぽつぽつあるだけなのに影も形もない。本当にこの世に存在した人かと一瞬思うが、遠くからかすかに先を急ぐ鈴の音が響いてきた。


左-大日寺から善楽寺への道、右-物部川
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安芸にて:
 薄汚れた男性がぼろぼろの大きなビニールバックを3つ肩からさげ、逆回りでやって来た。ラジオも下げている。手には杖、へんろらしい。日焼けした顔でにこにこしながら「通し?」と話しかけてきた。ホームレスのようにも見える。
 この後香川でも、ぼろぼろの大荷物をいくつも下げ逆回りで行く男性を二人ほど見かけた。うち一人は安芸で会った男性と1年半ぶりに再会した気がするが、よくわからない。このときは疲れきった様子でよたよた歩いていた。普通の野宿派へんろ以上の大荷物を、背負わずに肩からぶらさげている。あれでは歩きにくいだろうが。
 逆回りはときどき見かけ、若い男の子や自転車へんろに多い。逆走の人はわかりにくい旧道ではなく、国道を行くことも多いという。

 野宿派へんろもときどき見かけた。へんろ休憩小屋や公園で出発準備をしていたりする。野宿派は寝袋など荷物が多く、冬というのもあって登山のようないでたちだった。弘法大師も野宿派へんろだったわけだが。

 冬場歩いたときにすれ違った歩きへんろは、1日平均3、4人ほど(寺で会った人は除く)。


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