愛媛編1 2003冬 観自在寺と宇和島の間には柏峠と松尾峠がある。柏峠の清水大師では昭和15年頃まで旧暦7月30日に奉納相撲が行われ、市が立った。かなりの山道で、祭り見物のためここまで登り、商品を運ぶ昔の人のエネルギーに、それはそれで都会型とは違う楽しみ方があったんだろうなと思う。頂上からの尾根道はかつて牧場で、津島と内海の牛が混じらぬよう築かれた1mくらいの土手跡が残る。牛は1m以上の障害物は越えない習性がある(二次元動物)と立て看板の説明にあった。このほか、近郷の若者が通ったという美人姉妹の住んだ屋敷跡もある。
宇和島は宿毛より衰退しているとの話も聞いたが、かなり大きな町で市街地も広くお城もあり、休日というのもあってアーケード街にも家族連れなど大勢人が出て賑わっていた。
龍光寺は地元の人も”いなり山”と呼んでおり、稲荷神社が中央にある。寺と神社とどっちが主がよくわからない。清瀧寺も琴平宮が併設されているなど、八十八箇所のほかの寺も神社併設の札所は多い。
鳥居峠
四十二番から四十四番 鳥居峠へ入る集落でお婆さんが「雨だから草が茂って足がびしょぬれになるよ」と声をかけた。ただしトンネルも歩道がないので、地元の人は壁にへばりついて抜けている。夏前なので草もまだそう茂っていなかったが、夏場整備の悪い旧道は注意が必要かもしれない。 峠を越えると有名な十夜ヶ橋。団体が次々と来ては橋の下のお堂をおまいりしていた。通夜堂もあり、若い女性や男性の歩きへんろが荷物をおいていた。 鳥居峠道に沢山出ていた沢ガニ 2003春 内子から大宝寺へは徐々に山へ向かう。お遍路無料宿、千人記念大師堂、楽水大師堂を通り、宿泊できるお堂もある。千人記念堂の手前に大江健三郎が出た大瀬集落がある。けっこう大きめの集落で、タクシー会社やお店が並ぶ。歩いている途中出会ったお婆さんが、こちらを見て手を合わせたので何となく恥ずかしい。
大宝寺へは下坂場峠とひわた峠を越える。ひわた峠は昭和三十年頃まで茶店が出て行き交う人で賑わった、というが、今ではへんろしか通らないハイキングコースのような道になっている。 左-下坂場峠、棚田あとに杉が植わる、右-ひわた峠への入り口大宝寺のある久万は四国一寒いところで、冬は氷点下17度になることもある。よって真冬の大宝寺−岩屋寺間は、天候によっては自殺行為だという。住職の話では、50年頃までは病を抱えたへんろもよく回っており、宿坊などでそのまま亡くなる人もいた。大宝寺は四十四番でちょうど真ん中、かつては十いくつも僧坊のある大きな寺で、大正まで下の門のところに一つ残っていた。岩屋寺はかつては大宝寺の別院。
四十四番から四十六番 大宝寺から岩屋寺へ向かう旧道は二つ峠を越える。杉が多く、霧雨もようのためか湿気がすごかった。 旧道からだと岩屋寺の奥の院から入ることになるが、かつてはこちらが正門だったという。お寺は崖の中腹にある岩屋が有名だが、不動明王の左脇に地中に入る洞窟もあり、中に入るとけっこう大きい。 八丁坂峠から 八丁坂峠の尾根道 岩屋寺から浄瑠璃寺へゆくにも峠を越える。 三坂峠は登りは広い車道だが下りは山道で、標高700mから100mまで一気に下る。桜集落には立派な棚田が続き、畦もトタンでなくきちんと塗り固められていた。振り返ると1000m級の黒森山や四ヶ嶺などが広がり、なかなか見事な景色。 桜集落の棚田 四十七番から五十二番 |