愛媛編1  2003冬
四十番から四十二番
   一本松、豊田はひなびて落ち着いた感じの町。大型できれいなバスが通っている。

一本松の風景
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 観自在寺と宇和島の間には柏峠と松尾峠がある。柏峠の清水大師では昭和15年頃まで旧暦7月30日に奉納相撲が行われ、市が立った。かなりの山道で、祭り見物のためここまで登り、商品を運ぶ昔の人のエネルギーに、それはそれで都会型とは違う楽しみ方があったんだろうなと思う。頂上からの尾根道はかつて牧場で、津島と内海の牛が混じらぬよう築かれた1mくらいの土手跡が残る。牛は1m以上の障害物は越えない習性がある(二次元動物)と立て看板の説明にあった。このほか、近郷の若者が通ったという美人姉妹の住んだ屋敷跡もある。
 古い木造家ばかりの茶堂集落をぬけ、山道を降りると宇和島。

左-柏峠の清水大師から海を望む、右-茶堂集落
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 宇和島は宿毛より衰退しているとの話も聞いたが、かなり大きな町で市街地も広くお城もあり、休日というのもあってアーケード街にも家族連れなど大勢人が出て賑わっていた。

愛媛にくると、地図に載っている食堂も営業しており、コンビニも全国チェーンの見慣れた名に変わる。四国の国道は片道一車線のため、宇和島など大きい町に近づくと大抵渋滞していた。


 龍光寺は地元の人も”いなり山”と呼んでおり、稲荷神社が中央にある。寺と神社とどっちが主がよくわからない。清瀧寺も琴平宮が併設されているなど、八十八箇所のほかの寺も神社併設の札所は多い。

42 鳥居峠

四十二番から四十四番
 明石寺の前は歯長峠、後は鳥居峠を越える。歯長峠には途中、鎖場のある急坂がある。
 歯長峠を越えずに国道直進でトンネルを抜けた中年夫婦と宿で再会したが、「やはり旧道のが早いね。坂でも直線距離が短いからね」と言っていた。国道は坂は緩いが距離があり、さいごは宿の時間があるのでバスに乗ったそうだ。

歯長峠
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 鳥居峠へ入る集落でお婆さんが「雨だから草が茂って足がびしょぬれになるよ」と声をかけた。ただしトンネルも歩道がないので、地元の人は壁にへばりついて抜けている。夏前なので草もまだそう茂っていなかったが、夏場整備の悪い旧道は注意が必要かもしれない。

 峠を越えると有名な十夜ヶ橋。団体が次々と来ては橋の下のお堂をおまいりしていた。通夜堂もあり、若い女性や男性の歩きへんろが荷物をおいていた。

鳥居峠道に沢山出ていた沢ガニ



2003春
四十三番から四十四番
 卯之町、内子は歴史のある町で立派な家が多い。内子は古い町並みを残した観光地でもあり、内子座という昔ながらの芝居小屋がある。

左-卯之町、右-内子
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 内子から大宝寺へは徐々に山へ向かう。お遍路無料宿、千人記念大師堂、楽水大師堂を通り、宿泊できるお堂もある。千人記念堂の手前に大江健三郎が出た大瀬集落がある。けっこう大きめの集落で、タクシー会社やお店が並ぶ。歩いている途中出会ったお婆さんが、こちらを見て手を合わせたので何となく恥ずかしい。

大宝寺へ向かう道で見かけた芭蕉
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へんろみちを歩いていると、ときどき記念碑を見かける。圃場整備記念、治水工事記念、村に功績のあった誰某の記念碑、陸軍伍長、兵士の墓も多い。臼杵では道路開通記念碑とあった(大正十二年頃)。それまではどんな道だったか。自作農記念碑というのを見かけたこともあり、いろいろと面白い。

 大宝寺へは下坂場峠とひわた峠を越える。ひわた峠は昭和三十年頃まで茶店が出て行き交う人で賑わった、というが、今ではへんろしか通らないハイキングコースのような道になっている。

左-下坂場峠、棚田あとに杉が植わる、右-ひわた峠への入り口
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 大宝寺のある久万は四国一寒いところで、冬は氷点下17度になることもある。よって真冬の大宝寺−岩屋寺間は、天候によっては自殺行為だという。住職の話では、50年頃までは病を抱えたへんろもよく回っており、宿坊などでそのまま亡くなる人もいた。大宝寺は四十四番でちょうど真ん中、かつては十いくつも僧坊のある大きな寺で、大正まで下の門のところに一つ残っていた。岩屋寺はかつては大宝寺の別院。

四国では経済状況が良いとされる愛媛でも、農協やNTT支所が統廃合されたあとの無人の建物が目に付く。地図には載っている公衆電話も、月500円以下の利用だと既に撤去されていた。
山中ではもう自分たちの代で終わりと思っているのか、補修をしていないような家屋もよく見かける。



四十四番から四十六番
 大宝寺から岩屋寺へ向かう旧道は二つ峠を越える。杉が多く、霧雨もようのためか湿気がすごかった。
 旧道からだと岩屋寺の奥の院から入ることになるが、かつてはこちらが正門だったという。お寺は崖の中腹にある岩屋が有名だが、不動明王の左脇に地中に入る洞窟もあり、中に入るとけっこう大きい。

八丁坂峠から 49


八丁坂峠の尾根道

 岩屋寺から浄瑠璃寺へゆくにも峠を越える。
 途中の集落で会ったおじいさんは、目が合ったので会釈すると、手を合わせた。

左-千本峠、右-仰西へ降りる途中、岬のような形の棚田
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 三坂峠は登りは広い車道だが下りは山道で、標高700mから100mまで一気に下る。桜集落には立派な棚田が続き、畦もトタンでなくきちんと塗り固められていた。振り返ると1000m級の黒森山や四ヶ嶺などが広がり、なかなか見事な景色。
 夕方、畑作業を終え一休みしていたおじいさんおばあさんが「三坂峠からずっと歩いてきたんか」と声をかけてきた。10年後再びこの道を歩いたとき、これらの集落は残っているだろうか。

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桜集落の棚田

四十七番から五十二番
 松山市内に入ると次々と札所が続く。山のふもとをつなぐ感じでつながっており、道後温泉、松山大学脇を抜けて太山寺へ。

5455 松山市内で見かけた麦畑と貯水池(瀬戸内側でよく見かける)

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