台湾の廟

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うずしきようこ

■基隆:主譜壇
基隆の町には、主譜壇という面白い廟がある。
台湾の友人の言によれば、旧暦七月十五日に“お化けが集まるお化けのアパート”だそうで、この前後は盛大なお祭りが催される。太り過ぎて立てないような豚を何頭も飾り立て、お祭りが始まると屠殺して並べる。果物その他の御供も沢山並べられる。主譜壇も電飾できれいに飾り付けられ、大勢人が集まる。主譜壇は台湾内でもここ基隆にしかない。
お化けのことは好兄弟(ハオシオンティー)と呼ぶ。このお祭りには遊行というパレードがあり、一週間続く。お祭りの当番は輪番制、半月板を放って占う中国式占いで、今年は苗字が陳さんの人全員、というようにして決まる。けっこうお金がかかるので、当番になると大変でもある。
主譜壇には新しいものと古いものとがあり、古いほうは今は使われていない。取り壊してビルを建てようとしても、人が死んだりしてそのままになっている。(一九八二年当時)

■台南:南沙宮
麺で有名な度小月のそばにある。一九八二年、ちょうど十二年に一度のお祭りが行われていた。このお祭りは旧暦六月二六日をはさんで行われ、王船を焼くという。西港にも似たようなお祭りがあり、そちらは三年に一度でもっと盛大だと言っていた。訪問したのは旧の十一日。女性が入ってはいけない区域もあり、廟の周りにいるたむろっているおばさんたちから注意を受ける。「写真を撮るときは神様に許しを得てから撮ってね」との言葉にはなるほどと思う。
最初声をかけると不審そうだったが、次第に喜んで教えてくれ、日本人だとわかると日本語のできるおじいさんを引っ張ってきた。回りにどっと人が集まり、あれこれ中国語でわれ先に説明しようとしてくれた。

■台南:岳帝廟−東獄大帝
閻魔大王である東獄大帝を祭る岳帝廟はお薦めのミャオ。独特の牛頭・馬頭・范将軍・謝将軍の神像群がすばらしい(不気味とも言える)。普段は人気がなく、一人で行くと恐い雰囲気でもある。友人の話では廟には陽の廟と陰の廟とがあり、この廟は陰の廟だという。
しかしお祭りのときはすごかった。線香の煙が立ち込めあちこちに蝋燭がともる中、神職の人々が祝詞のようなものをあげ、チャルメラやシンバルの音で騒がしい。トランス状態になった人々が口で何か唱えつつ、机をバンバン叩きつづけており、ときおりそばの人が顔の汗をぬぐっていた。
二○○○年秋、久しぶりに岳帝廟を訪れ、意外な変化に我が目を疑った。煤けた重厚な神像が、すっかり原色にペイントされていたのだ。いかにも中国人らしい・・・と妙に納得したが、侘びさびを重んじる日本人感覚からすると、かつてのペイントしない神像のほうが味があった。でもこれが生きた信仰で、神様も中国人なのだからきっと喜んでいるのだろう。

■台南:西羅殿(保安廣澤尊王)・水仙宮
傍らには老人が座っていた。統治時代に覚えた日本語で語る話によれば、昔はそばを川が流れており、「大西門」に波止場があって大陸貿易が行われていた。保安廣澤尊王は航海・貿易・商業の神様で昔は信仰が厚かった。今では港は西へ移り、安平港が栄えている。
子供らが寄ってきて、石坊があるよ、と教えてくれる。台南は、街中にけっこう古そうな建物や門が散見する。石の牌楼には清朝乾隆四十二年(西暦一七七七年)の年号がつき、兌悦門は道光十六年(一八三六年)のもの。

水仙宮も康煕五十四年(一七一六年)建立の古い廟で、市場の中にある。かつては近くが海で船舶が連なっていた。海上鎮護の神である。
行き方を聞いたとき、そばにいた子供が心配してずっとついてきた。「なんで行くのか、すごく古い廟だ」というので、拝拝だと言うと納得したようだった。その代わり途中に廟を見つけて寄ると「そこじゃない」とチェックが入る。「ちょっとあの廟も見てみたいから」と言うと今度は次から次へと手招きして教えてくれる。きりがないくらい廟の多いところだ。

(『すい星』十三号掲載)

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