山武の陸田

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うずしきようこ

 とある農業関連のNGOが稲作の体験学習会を開いた。現場はゆるい起伏の続く地形に麦畑の広がる千葉の農村で、JRからバスを乗り継いだ奥にあった。
 参加者たちの多くは都会から車で来ており、バンダナを巻いた髭づらのいかにも全共闘世代っぽいおじさんや、有機農業を信奉している感じのおばさん、NGO好きの若い女性グループ、何を求めているのか一人参加の男性などなどだった。
 バンダナおじさんが田植えを手伝いながら「田舎に来るといいねえ、からだが蘇る感じだねえ」と陽気に回りに話しかけ、女の子たちは田圃に足をとられたりしながら苗を片手に歓声をあげた。綱を張って皆で一斉に条植えにしてゆくのも、今どき珍しい“共同作業”という感じで気分も高揚してくる。
 第一回目のその日は、田植え体験をしたあと、近くの公民館で地元農家の人たちとの交流会が開かれた。
 畳敷きの上に並べられた横長テーブルに向かい合わせになって全員が席に着くと、いきなり長身の農家の男性が立ち上がり、「ここに来たからには、Rに入ってくれ。知らないは許されない」と強い口調で言った。Rとは、有機農産物の宅配では老舗として有名な、とある市民運動系流通組織のことである。「えー、そうなの」「別にいいんじゃない?」といきなりRの名とその加入を聞かされた女の子たちは下でコソコソと不満げにささやいた。
 NGOの担当者による紹介があって、出席している農家の人たちは皆Rとの契約農家で有機農産物を栽培しているとの説明があった。中年の女性たちはむしろそのことを承知で来ており、その話を聞きたがっていた。さっそく彼女たちから活発な質問があり、農薬はまったく使っていないの、全部手で除草?、肥料は何を使っているの、ボカシ、木酢液、EM菌は使っているの、等々確認している。女の子たちも「有機農業に変えたきっかけは何ですか」と無邪気に質問した。言葉の流暢に出てくる参加者側に比べ、農家側の人たちは寡黙だった。深い皺の刻まれた顔で質問に考え込み、一言二言答えた。先の質問にも、しばらく悩んだ後、「やはり近代農法だと病気が出やすくなるから」と答えた。「あーそう、やっぱりねえ」とおばさんたちが感心する。すると一人の農家側のおじいさんが「土壌消毒をしなくなったら畑が一面病気で真っ白になるというのはなくなった」と言い、それを聞いて皆なるほど、という面持ちで頷いた。
 あるおばさんがよその有機農産物は信用できない気もして、だからこちらで購入しているんですよね、こうして直接お話もうかがえるし、と発言し、それに対しNGOの女性スタッフが「うちでは土壌消毒はしない、農薬はまかないなど、五つの基準を設けまして、それを守れない方に対しては契約を切るという形で厳しく対処しています」と答えた。彼女たちは安心し、地元の人たちはやはり黙ってその言葉を聞いていた。
 別の女性が宅配の野菜に虫がついていることがあり、あれがちょっと、と言った。女性スタッフは「有機農産物ですからその辺はご理解いただけないと」と当惑したように言い、バンダナおじさんもそれはしょうがないんじゃない?と口を挿んだ。そのとき急に、農家のおじいさんが「あれだな、十年前のRの人たちのほうが、こういう虫の喰った野菜とか、わかってくれたな。今じゃこの程度でRのお客さんから文句が来る。最近の人のほうがわかってくれない気がする」と言った。
 Rも以前に比べ競争が厳しく販売も伸び悩んでいるようだった。個別に「多摩やXXの伊勢丹の有機野菜コーナーにも出しているからね、買ってくれ」と話しかけているおじさんもいた。先ほどの強い言葉を放った男性も、地元農家の有機農業会の代表役の人だった。先細りの感のある売上げに対する苛立ちから出た言葉だった。
 その後皆で遅い食事をとりながら歓談の運びとなった。ドラム缶の火の回りに集まっているおじいさんたちに土壌消毒の話を聞いた。最近は人間の病同様、植物の世界でも海外から新種のウイルスが次々と入ってきて新たな対応に追われることが多い。おじいさんは「そりゃ土壌消毒できりゃそれにこしたことはないけれど、でもあれはいい菌も殺すし」と言葉を濁した。そして、語るともなしに「今にも農業をやめたいよ」すると回りも「そうだな」「いつ幕を引くか、いつでも考えている」とどこか諦観した笑みを浮かべたままぼそぼそ言った。
 帰り道、六十センチ等間隔に植えられた麦がそろって弧を描きつつ、うねって続いていた。その後その地を訪れることはなかったが、秋には新米が届いた。

(『すい星』十一号掲載)

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