ラダック、「小チベット」への旅
1997 NO.1

シーアル著

写真:シーアル、エミ、ユーコ

 

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9月11日(木)

 12:30発のエア・インディアでデリーへ向かう。木曜発のエア・インディアは木曜キャンペーンにより9万円台でチケットが購入できるのだ。今回のラダック旅行も、昨年一昨年に引き続きユーコさんエミさんと旅は道連れの仲。ただ、これまでも毎回ギリギリまで行く行かない、日程がどうこうと決めかね二人を困らせた私だが、今回も二人が出発する一週間前に急に参加を決めた状態だった。毎度手こずらせてゴメンナサイ。


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ラダックの地図
 ところでラダックは、以前から興味ある一度は訪れたい地だった。昔偶然にラダック王朝史を読み(「ヒマラヤに神をもとめて」八田幸夫著、東洋文化出版)、あんな辺境にも栄枯盛衰の歴史があったのか、と妙に印象に残った。かつてラダックはチベット、パキスタン、インドを結ぶ要衝の地で、通商国家としてかなり栄えた時代もあった。あのチベットのポタラ宮殿には元になった建物があり、それがラダックにあるというのにも心惹かれ、一度そのレー王宮を見てみたいと思っていた。

☆本文中に写真がリンクされています

☆タイトルはこれまたユーコが勝手につけたものです。(byユーコ)

 さて二人はヒマラヤに強いK社のアレンジで二日前にデリーに入っており(現地の車、ガイドと行き先を手配済)、私は特殊旅行専門のS社から成田−デリー間のチケット(デリー1泊付)とデリー−レー間のチケットのみ購入の個人旅行とあいなった。ちなみにインドへの国際線はHISでも取れるが、値段的には特殊旅行専門会社と変わらない。またインド国内線のチケットは、現地に提携先を持っている専門旅行社でないと確実にとることが難しい(海外から予約を入れることは可能だが実際とれていないことが多く、HISなどの大手はクレームを嫌って引き受けたがらなかった)。夏期デリー−レー間は恒常的に混んでいるため、時間に余裕のない人は取ってから出発した方が無難との話。

 モンゴル写真

 チベット写真

 シッキム写真

 東北インド(ナガランド)

 インド/マザーテレサ

 ここで毎度お馴染みのメンバー、ユーコさんとエミさんを簡単に御紹介。ユーコさんは曹洞宗の僧籍を持ち仏教関係の論文も発表している専門家、実際に僧侶の仕事もこなしている。これまでのモンゴル、チベット旅行も寺院訪問が主な目的で、彼女がいてこそ他の二人もこれらの国々に行く気になった感が強い。特に尼僧の立場に関心があり、チベットとラダックでは彼女の案内で普通は訪れることの少ない尼僧院を訪問することができた。エミさんは皆を居心地良くまとめ、協力的にしてしまう不思議な才能がある。本人意識的でないとは思うが、その能力は性格だけでなく彼女の並外れた体力によるところも大きいと思う。疲れて不機嫌になるということがなく常に冷静だ。見かけは普通だが基本的な体力があり、おそらく子供の頃山で遊んで培ったものだろう。二人共雪国育ち、めっぽう酒に強く(何しろ東北新幹線で盛岡から東京へ行くまでの間に、二人で日本酒一升瓶を一本空けてしまったのだ)また出身県が隣で同じ文化圏に属するそうで、今回の旅行でも田舎じゃああだこうだという話をいろいろ聞かせてもらった。都会出身の私には大いに勉強になった。

 ミャンマー

 中国

 韓国

 台湾の廟

 台湾2009

 ハワイ

 タイ

 クルーズ

 アメリカ

 ドイツ

 さて正味7時間半の飛行で、現地時間4時半にデリー着。10年程前、カルカッタに三ヶ月滞在していた時に比べインドも随分きれいになったと感じる。デリー中心地へ向かう車窓から、制服姿の小学生が大勢下校してゆくのを見かけ、学校に通う子供も増えたなと思う。この時はデリーとカルカッタの差かもしれないと思ったが、11月にカルカッタを再訪するチャンスがあり、確実に豊かになったと感じる。

 小笠原

 四国へんろ

 島旅

 ホテルはインド人ビジネスマンが主な客層の、コンノートプレースに近い中級クラスのジャンパトホテルで、交通の便が良い。現地旅行社の人からデリー−レー間のリコンファーム済チケットを受け取った後、明朝空港へ行く足の確保に動く。レー便は6時発なので市バスは無理、また空港バスも空港行きはホテルに寄らないので、コンノートプレースから出る空港バスの予約に行く。ジャンパト通りには旅行社が並び空港行バスがあると誘うが、まあ大方ぼられる結果になると思うので、正規の空港バスチケット売場で朝4時の券を買う。料金は30ルピープラス荷物代5ルピー、しかし5ルピーのお釣りがないというのでそれはOKとする。おやじさんがデスクを守る3畳程のこじんまりしたオフィスだ。

 雑穀栽培

 林業/里山

 就農者訪問

   
   
9月12日(金)

 3時過ぎに起きてチェックアウト。さすがにいつもホテル前にたむろっているリキシャやタクシーもいない。真っ暗な中コンノートプレースへ向かって歩く。道端にコーチを出して寝ている人、オートリキシャの中で寝ている人、そして車が通らず寂しい大通りを、昼間は大人しい犬がなぜか夜中は元気一杯走り回り、人を見ると吠えかかる。交差点を横切っていると、オートリキシャが来て近くに止まった。何事かと身構えるが、警官が下りてきて「Excuseme, Madam, 何かproblemがあるのか」と聞いてきた。そこで6時発レー行きの飛行機に乗るために4時のバスに乗るのだというと、わかった、気を付けて、とリキシャに戻っていた。職質だったらしい。結構インドもちゃんと見回ってるんだ、だんだん風来坊型不良外人の生息する余地が少なくなってきたな、という気がする(11月カルカッタへ行った際にも感じた)。さてバス乗り場に着くと白人一名、インド人ニ名が待っていた。チケット売場は24時間営業で、昨夜のおじさんが煌々と明かりのついた中、毛布にくるまり机の上で寝ていた。以前タイの鉄道の切符売り場でもカウンターにひっくり返って寝る係員を見かけたが、よくあんな硬い所に寝られるものと感心。


 
 かなり年季の入ったバスが来て、30分もかからず空港へ(昼間は4〜50分)。空港でコーヒーを飲もうとするとまたお釣りがないと言われた(昨夜ハンバーガーショップでも同様)。隣にいた白人おじさんが「あなたもお釣りがないtroubleで困っているのか」と声を掛けてきた。この時、どうもお釣りがないというのは新手の小遣い稼ぎのようだと気付く。

 
 デリー−レー間は取りにくい、生活物資も運ぶので恒常的に混んでいる、天候が悪くて欠航することも多く翌朝便は席の取り合いになる、と聞いていたのだが、この日は四分の一しか乗っておらずガラガラだった。これなら日本から予約しなくても良かった、と思うが、レーで再会したユーコさん達によれば昨日便は満席だったそうだ。乗客はインド人ビジネスマン数人、尼さんも含めたチベット系3人連れ、インドにはまった感じのパンジャビドレス姿の日本女性一人、インド女性一人、そして白人が20人程。次第山岳地帯に入り、雪山上空を飛んでゆく。白人達が喜んで、カメラを抱え景色を求めて右に左に移動する。ガラガラの機内でかなりの人数、それも図体の大きい人達が一斉に移動するものだから、ふと、数週間前に新聞で見かけた、ドイツで牛が暴れて貨物輸送機墜落、のニュースを思い出してしまう。東洋系はインド人も含め皆大人しく座っていた。

 
 レー盆地上空に来ると、飛行機は山中を旋回しつつ徐々に高度を落としてゆく。ジェットコースターに近い落下感があり、最後は丘の上に立つスピトクゴンパ脇を翼をかすめて空港に着陸。かなり離発着技術の要りそうな空港だ。このとき7時半、すぐ市内まで一律70ルピーのタクシーで、ユーコさん達の泊まるカンラーチェンホテルへ向かう。

 
 レーの風景はラサを小さくしたような感じで、ヤルツァンポ河の代わりにインダス河が流れその回りを薄く緑をまぶしたように街と小麦畑が広がり、河の両岸を挟んでそびえる薄茶と紫の岩山に青空がよく映える。街に入ると、山の中腹に建てられた歴史あるレー宮殿がどこからもよく見えた。ホテルで丁度朝食に降りてきた二人に再会、9時にメインバザールのソマゴンパへ仮面劇を見に行くという。私は高山病予防を兼ね、昼まで部屋で寝る。レーはラサとほぼ同じ標高だが、南に位置するためラサより高山病にかかりにくいという。

 
 お昼に二人が戻ってきて一緒に食事。ソマゴンパの仮面劇はなかなか良かったそうで、後で写真を見せてもらうと、日本の雅楽のような衣装で興味深い。動物の仮面もユーモラスだ。明後日、ユーコさん達の使っている現地旅行社の主催で、一人89ドルの1泊2日のバスゴー、リキル、アルチ、サスポール、ラマユル、リゾンの各ゴンパ巡りに行かないかと誘われる。ガイドブックにはリキル、アルチ、ラマユル、リゾンをタクシーをチャーターして1日で回ると2400ルピー(9000円弱:人数割りでさらに安くなる)とあったが、実際ラマユルまで行ってみて一日で往復するのはかなり慌ただしいと思う。

じっくり見るなら2日は必要で、さらにガイド、宿泊、食事付きを考えるとまあ妥当な値段だ。勿論私も参加することにする。昼食後この旅行社のインド人の社長さんが来るが、金儲けに励む典型タイプの感じがした。しかしエミさんの話では家族をデリーに置き夏の間必死で稼ぐから大変だ、と言っていたそうだ。

 
 二人は日程に従い、午後はフィヤンゴンパとスピトクゴンパへ。一緒にと誘ってくれるが、体慣らしにメインバザールの散歩をしたいので一足先にぶらぶら出かける。出がけにホテルの受付の壁に飾られたダライラマ14世の写真についてきいてみると、8月にダライラマがザンスカールとラダックを訪れたという。中国と違いインドはdemocratic countryだから14世の写真を堂々と飾っても大丈夫だ、と受付のラダック人。街に出ると、あちこちにインド軍兵士(アーリア系)が目に付く。一瞬何かあったのかと思うが、印パ国境、中印国境だと気付く。丁度この旅行の一週間程前も、ラダックの北のゴルカル村でパキスタン軍と小競り合いがあり死者が数名出ていた。出発前、外務省の邦人渡航課に確認した時も、ジャンムー-カシミール(J&K)州は渡航自粛勧告が出されているので行かないでくださいと言われた(しかしラダックは大丈夫−カシミールは危険−との情報を旅行社等から仕入れ、自分達の判断で来た)。しかしインド兵は中国の解放軍に比べ和やかな感じで、あちこちに立ってはいるが緊張感はあまり感じられない。

 
 帰国便のリコンファームに入ったラダック人経営のISD(長距離電話オフィス)でも、正面奥にダライラマ14世の写真が大きく飾られていた。ラダックでもダライラマは大変尊敬されているようだ。レーの街はホテルや王宮のある辺りからバススタンドへ向けてだらだら下りになっている。坂を下る道々、そこここに漆喰で白く塗られたチョルテンが並び、巨大なマニ車が立つ。街はずれの丘の上にもチョルテンが乗り、お経の記された五色のタルチョが各チョルテンを結んで、またふもとに向かって張り巡らされている。青空と薄茶の岩山に映え、美しい。街中ではアーリア系インド人も目に付き、チベッタングッズのみやげ物屋もはしこそうなアーリア系が商っていることが多かった。路上の野菜売りや道行く人はモンゴル系のラダック人が多く、チベット衣装で歩いている。女生徒の制服もチベットのチュパかモンゴルのデーレのような前合わせの着物だ(色は灰色か紺)。何となく、チベットではチベット文化で中国人が儲け、ラダックではインド人が儲けている気がした。

 
 バススタンドに着き、まず明日行く予定のヘミス行きバスの時刻をチェック(行きは午前9時と午後2時、帰りはヘミス発9時と12時のみ−1997年夏)。そして近くのゴンパに行ってみようと、スピトクゴンパ行きのバスに乗る。中は大混雑で、インド人もラダック人も入り混じって座り、バスに揺られている。3時にゴンパ着。スピトクゴンパは丘の頂上に建てられたお寺で、かつての王宮であり1000年の歴史がある。主堂、勤行を勤める部屋、ラマの座る部屋、と続くが、面白いのは頂上にある古いお堂。布で顔を覆われたかなり古い像が立ち並び、向かいの壁にはこれまた古いお面がずらりと掛かった洞窟のような部屋で、その雰囲気は仏教というよりももっと古い古代宗教を感じてしまう。

 後でユーコさんに聞いた話では、そこもカーラー(マハーカーラー)を奉ったチベット仏教のお堂だったというが、なぜか私の勝手な勘では、あのお堂にはシャーマンのいた台湾の古い廟、東獄大帝廟と同じ空気を感じてしまう。ゴンパ内にはあちこちにダライラマ14世の写真が堂々と飾られており、またダライラマの選んだ(中国側でない)パンチェンラマの写真が飾られていた。今は空港近くの難民キャンプに住むという、1962年にチベットから亡命してきた人もお参りに来ていた。観光客はインド人がカップル、男性数人連れ軍人3人連れと結構来ており、欧米人も2、3人で三々五々来ている。また眼鏡を掛けた背の高い、少々怪しげなラマ僧が日本人女性2人を連れていた。

 
 5時半、東の方からスピトクゴンパ下を通りかかるバスに乗ってレーに戻る。帰りも大混雑、帰りのバスはバススタンドを越え、上のほうまで登ってきてくれるので楽だ。
6時半にコーランが街に響きわたり、7時にユーコさん達が戻ってきて一緒に夕食。フィヤンゴンパに行った後、5時過ぎにスピトクゴンパを回ったという。ホテルの夕食は結構おいしく、二人は高地2日目にしてもうビールを飲んでいた。

 
   
   
9月13日(土)

 朝4時45分頃再びコーランの読経が響く。カシミールに近いだけにイスラム教徒も多いようで、メインバザールにある大きなモスクは賑わっている。7時半頃になると今度は、「リンポチェ〜、リンポチェ〜」と大人数で歌うチベット仏教歌が拡声器に乗って街に流れる。さすが宗教の街と感じるものの、少々騒々しい(特に早朝のコーラン)。


 
 この日、ユーコさん達は車でシェー、ヘミス、ティクセと回る。私は地元のバスに乗ってみたいので、向こうで会えたら会おうということに。バススタンドは、シェー、カルからマナリへ抜ける南東方面、ラマユル、シュリナガル方面など、様々な目的地へ向かうバスでいっぱいだ。シェー、ティクセは本数が多い。ヘミス行きのバスが遅れるらしく、若い日本女性二人が向こうで時間がない(ティクセ12時発が最終)、と困っている。登山スタイルの白人おじさん3人組は、カルまでのバスは結構あるからカルまで7キロ歩こうという。

 やはりヘミス行きをのんびり待つチベット服の爺さんが、私が水分補給のため持ち歩いている登山用ポリタンクに目を付け、「そのタンクは何だ」と聞いてきた。高山病避けにお茶を飲むためだと答えるとへーえと感心される。チベットでもよく聞かれたが、ラダックでも不思議に思うらしい。9時40分に出るというので、皆でバスに乗る。ラマ僧も大勢乗ってきて前の方に陣取るが、彼らもお茶タンクのことを聞いてきた。インド系の男一人女二人連れが乗ってきて、サリーの女性が隣に座った。聞くとカシミールからの観光旅行だという。彼女もそのタンク何?いいわね、どこで売ってるの?と言うので、日本で買ったというとがっかりしていた。

 
 ぎっしり満員のバスはようやく出発。途中結構人の乗り降りがある。ラダックの道路状況は、平地は悪くない。途中道路補修工事をあちこちで行っていたが、その作業員が皆判を押したように真黒な肌のビハール人だった。ビハール州はインドでも最貧州の一つで出稼ぎが多いという。11月に東北インドの辺境に入った時もビハール人達が道路工事に駆り出されていた。Far Eastern Economic Reviewに載っていた記事だが、インドの医学部等で使う骨格標本の殆どはビハール人のものだという。そして(あまり産業のない)州では骸骨の海外輸出を希望している、と書かれていた(税関法等の関係で簡単に輸出できないらしい)。

 1998年3月5日付同誌によれば、ビハール州は40年間ほとんど無政府状態といっていい状況にあった。昨年8月首相のLaloo Prasad Yadav氏が贈収賄容疑で逮捕され、その後を継いで夫人のRabri Devi Yadav女史が首相の座についた。彼女はこれまで政治の表舞台に登場したことは全くなく、一介の主婦で教育も受けていない。インドで最も封建的いわれる同州の家父長主義的な官僚やインテリらは当初彼女をばかにしていた。しかし予想に反して夫人は、衝動的で毒舌家で鳴る夫よりも有能な政治家ぶりを発揮し、今では皆支持に回っている、民衆にも人気だという。残念ながら夫が刑期を終えたので首相の座を彼に譲ったが、今や再選へ向けてキャンペーン中のLaloo氏の切り札はRabri女史人気だそうだ。そういえば昨秋BSか民放の深夜で見たCNNの海外ニュースで、ビハール州の首相は長期政権の共産党系で、物質的発展を拒む一風変わった人物と紹介されていた記憶が
あるが、いまいち確実に覚えていない。

 一方道路工事の監督官は大抵薄茶の肌の鼻筋の通ったアーリア系。ビハール人達の黒い肌、広い鼻、ギョロ目の独特の風貌、シーク教徒とも違う片側に長く垂らした白いターバン、そしてタールに汚れた破けた服に、インドの文化や人種間の差、そして経済的格差の大きさに愕然たる思いだ。

 
 さて幹線道路はインダス河に沿って進み、シェー、ティクセの間はラダック人の村が点々と続く。丁度小麦の収穫の真っ最中であちこちで麦刈りをしている。小川が流れ、若木が植わり、牛や馬が刈り取り後の畑に入って草をはんでいる。家は白壁に青や紅、黄色の縁取りの窓の典型的なチベット家屋で、屋上には刈り取った麦が干され、四隅にタルチョがはためく。ところどころ川沿いに浮かぶ丘の上には、ストック、マトなどのゴンパがある。カルに着くとバスは右手に折れ、山道に入る。山道を縫うこと数キロ、ヘミスゴンパに到着。ここまで来た人は少なく、二人の日本人は「廃虚だよねー」と一言。たしかにあちこち崩れ落ち、建築中、補修中のところが多い。ラダック最大と聞いていたので一瞬これが?と思うが、確かに回ってみると広いことは広い。ただし入れないところが圧倒的に多く、完全に修復されれば、と思う。

 
 拝観料を払い、中へ。入ってすぐに大きな仏像のあるジョカン(主堂)があり、観光客が大勢いる。ジョカン奥にもさらに道や階段が続き、どんどん行ってみる。しかし大抵鍵がかかって中は見られず、たまに空いている部屋は懐中電灯で中を照らすとゴミのたまったがらんどう、壁など崩れ落ちていることも多い。岩山の上の方にもずっと僧坊が続いている。人気のない中、迷路探検のように僧坊の間を巡り、暗く狭い廊下を行くうちに台所に出た。僧一人、小僧一人が食事の支度をしている。

 カギュ派(紅帽派)の総本山というこの寺は、夏には大勢の僧侶がダージリンや海外から出張してきて総勢500名近くいるとガイドブックにあるが、食堂の僧の話では、今は10人くらいしかいないという。主堂のある広場に戻ると、先程は鍵がかかっていた部屋から欧米人がぞろぞろ出てくる。私も行ってみると、鍵をかけようとしていた僧侶が「You late?」と言い、また開けてくれた。どうもお坊さん達は、外人が入ってくるとお経と唱え太鼓を叩きはじめ、去るとのんびりしている気がする。スピトクでもここでも、他の人達とは違うテンポで回っていたので余計そう感じた。

 お堂には3人坊さんが座っており、やはりポリタンクを見てそれは何だ?と聞いてきた。そしてラダックティーをすすめてくれる。使い捨てカメラに目をとめて、自分で撮りたがるところもチベットのお坊さん達とそっくり同じ反応だ。しかしチベットと異なり、ラダックではラマ僧に外人から手紙が来ても迷惑をかけないと思うので、写真を送る約束をする(帰国後ちゃんと送りました。ただしインドへの郵便は紛失が多い。この後シェーで会った少女への写真と手紙も2度目にしてやっと届いた。きれいな切手を貼らないなど工夫が必要)。

 
 隣の部屋に行くと、ユーコさん達がいた。シェーを見てこちらへ来たところだという。「多分会えると思っていた」そうで、ティクセまで車に乗せていってもらう。ガイドさんと運転手が信心深い人達で、ヘミスへ来る途中お坊さんと小僧さんを乗せてきた、お坊さんのヒッチハイクは断らないようだという。車でカルまでの坂を降りて行くと、先程の日本人二人が歩いていて「あ、いいなあ」、カシミールからのインド人三人連れも歩いていた。ヘミスで二人と話したユーコさんによると、彼女達は個人旅行者同志がレーで出会い一緒に旅をしているそうだった。また、行きの飛行機で見かけたパンジャビドレスの日本女性についても、エミさん曰く「昨日ソマゴンパのお祭りにいました。昨日の朝旅行社のオフィスに行った時、そこのガイドさんの一人が妙にそわそわしてたんですよ。今日日本人の女の子が来る、ておめかしして。そしたらソマゴンパのお祭りにパンジャビドレスの女の子と彼が来てましたー、まるで恋人同士みたいにして。同じ飛行機にいた日本人が彼女だけなら、きっとその人ですよ」という。

 
 ティクセのふもとで昼食。モモ、ツァンパ、焼きそば、スープをいただく。この時、スピトクで会った日本女性二人と例の背の高いラマ僧も食事に来た。ユーコさん達も彼女達と飛行場で会った、その時はどこに泊まるかも帰りの便も何も決まっていない、と言っていたという。二人の話では、その後飛行場で南インドから来たそのお坊さんに会い一緒に回ることにした、今は彼の知っている宿に安く泊まっている、という。明日、明後日はやはり一緒にリキル、アルチ、ラマユルと回るというので、「なんか似たようなコースですよね、また会うかも。でもお坊さんをゲットする、という手もあったんで
すねー。ガイドにもなるし」とエミさん。私は女の子をナンパするなんて怪しい坊主だ、という。「ゲットかナンパかどっちだかわかんないね」とユーコさん。南インドからだが、見かけはモンゴル系の坊さんだった。

 
 ティクセは丘の上全体がゴンパになっている所で、イタリアの山岳都市に似て壮観、と紹介している本もあり、確かに美しく不思議な眺めだ。このゴンパはよく整備され、かなり補修がされている。車で行かれるところから上は歩いて登る。女性達が何人も寺の補修作業に使う土を入れた篭を背負い登り降りしている。ここには吹き抜けになったお堂に大きな大日如来像(勿論金ぴかの色彩)があるので有名。運転手とガイドのニワンさんは熱心な仏教徒で、どのお寺でも必ず礼拝していた。ニワンさんは仏教に詳しいすぐれたガイドでユーコさん達からも信頼されていたが、残念なことに明日以降は欧米人の7泊8日のトレッキングをガイドするという。疲れます、という彼に「ガイドさんも大変ですよねー」とエミさん。ユーコさんもお寺に来ると必ず、「空気が薄くてきつい」と言いつつ、五体投地に似た曹洞宗の正式な礼拝方法で礼拝していた。ラダックではどのゴンパでもお堂に入るたびに靴を脱ぐシステムで(チベットでは脱がない)、堂内は結構汚いところが多く靴下が汚れてしまうのだが、ここはきれいだった。

 
 シェーまで車で一緒に行き、下ろしてもらう。ここまで来れば、バスはかなり通っている。シェーも丘の上の寺で、尾根続きの隣の丘にシェー宮殿の廃虚がある。寺守の小僧君がゴンパの鍵を預かって管理しているのだが、彼はイスラエルの女の子達から英語を教わるのに忙しく、勝手に見ることが出来た。宮殿にも行ってみたかったが、岩山はボロボロで崩れやすく、靴も普通の靴で滑りやすいのであきらめた。廃虚の宮殿というのは、何となく魅力的なのだが・・・。

 
 丘を降りて数百基だか無数の白いチョルテンがただただ立ち並ぶ平原に行く。この光景も宮殿跡から見下ろしたかった。しかし地上からでも十分不思議な光景だ。

 
 道路の反対側から、いい声で歌う刈り歌が聞こえてくる。そちらをふり向くと、一人がハローと声をかけ、Come hereと女性達。農作業を見せてもらうと、皆さかんに話しかけてくる。写真をとってもいいかと聞くと、お爺さんもおばさんも急に話をやめてせっせと麦刈りを始めてみせたり、ポーズをとったり、いかにも写真を撮ってください、という感じで集まってきたりで、サービス精神旺盛というかノリがいいというか、人なつこい。英語の出来る少女が、これから作業しているみなに出す食事の支度に家に戻るから、一緒にお茶を飲まないかと誘ってくれ、お呼ばれする(勿論デリーやカルカッタなら知らない人の家には絶対入らない)。

 ラダックの人達はカム系チベット人だというが、もっと穏やかな顔つきで、多少インド系も混じっていそうな濃い顔が多い(特に若者)。男の子は高島兄に似た面長、大きな目、太い眉が多い。チベットのカム人達は背も高く鋭い感じだったが、ラダック人は中肉中背だ(余談だがチベットのカム人は男でも髪を長く三つ編に編んでいて、エミさん曰く「かわいいよね」)。誘ってくれた少女も濃い顔立ちで、パンジャビドレスだった。しかしお母さんはチベット服で鋭いチベット系の顔をしていた。若いラダック女性はチベット服でなくパンジャビドレスのことが多いようだ。理由は聞いていないが、着やすい、動きやすいからだと思う。現在16歳、レーのラムダンスクールに通うという彼女はとてもきれいな英語を話す。学校の勉強だけでここまで上手になるとは、と感心。8人兄弟姉妹のうち、兄の一人はゴンパに出家しているという。8月5日にダライラマが来て皆で話を聞きに行った、普段は村のゴンパに行くという。

 
 おいとましてバスでレーへ戻る。途中森林局を見かけるが、ラダックでは全土で緑化運動を展開しているらしく、町中、川沿、ラマユルに行く道沿いと至る所に若木が植えられ、空き缶が巻かれていた。当初その空き缶が謎だったが、ユーコさんが「きっと牛とか動物避けだよ」と勘を働かせ、ガイドに聞くとそのとおりだった。また左手に金色に輝く真新しいゴンパを発見。後でユーコさん曰く、ダライラマが泊まったのできれいになったという。思わず、栃木の知り合いが、天皇がミヤコタナゴを見に来られるというので、通り道になるライスラインの沿道が草を刈り除草剤を撒きすっかりきれいになった、と言っていた話を思い出す。

 
 6時に宿に戻り、3人で地球の歩き方に載っているLa Montessoriへ夕食に出かける。モモ、Curd、Thankthuk(きしめん)等を頼み、どれもおいしかった。客はラダック人と白人が多い。隣席の日本女性とフランス人男性のカップルと話す。二人とも元一人旅で、マナリからレー行きのバスで知り合ったそうだ。このバスは標高5000mの峠を二つ越えるので高山病で死ぬ思いだった、今も調子悪いと言う。彼はベジタリアン、動物を殺して食べるのは可哀想で健康にも心にも悪い、と強調していた。ふと知人がベジタリアンを名乗るカナダ女性に対して「君たちのベジタリアンは詐欺だ。子供の頃は動物性蛋白をガンガン摂って立派な体を作っておいて、今になって可哀想だから食べないなんて。元々ベジタリアンのスリランカのSさんやNさんなんて小柄で細いのに」と怒っていたのを思い出した。

 
 この後、ラダック婆さん経営の、地酒チャンの飲める店をレー旧市街に訪ねる。チベット建築の高い壁の間をぬって細い道が迷路のようにくねくねと続く。道の上を二階やチョルテンが跨いでいることも多い。外灯はまずなく、壁の底で月明かりも期待できない。暗くて懐中電灯がないととても歩けないが、危険な感じはない。インド本土と違い物乞を見かけず(ユーコさんはソマゴンパの祭りで3人見たという)日本や韓国の街を歩くように緊張感なく歩ける。「パイサ、パイサ」とつきまとわれることも、スリの恐れも騙される面倒もない。レーを含めラダック全体がのんびりしていた。さて、お婆さんの店はやっておらず、チャンを作っておくので、あさっての晩取りに来るようにとのこと。帰り道、見晴らしの良いところに出ると、レー王宮が闇夜にライトアップされ美しかった。

 
   
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