ラダック、「小チベット」への旅
1997 NO.3

 

ラダック写真館
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9月16日(火)

 朝早めに起きて一人レー王宮にへかう。ユーコさん達はすでに初日に回っているのだ。高地なので朝は肌寒い。迷路のような旧市街を抜け、岩山の中腹にある王宮前のゴンパに入ると、僧侶と地元の男性が腰をかがめ、ときにひれ伏しつつお経を唱え礼拝している。朝は祈りの時間だ。ゴンパのお参りを終え王宮へ。入り口の重厚な木製の扉は、早朝から夕方まで参拝者と観光客のために開かれている。

 中に入ると暗い廊下が続き左手に石の登り階段がある。登ると小さな広場になっており、右手の扉が開いているので中に入ると、年代物の仏像、仮面の奉られたお堂で、ラマ僧が一人ぬかずきお経を唱えていた。宮殿は5、6階まであるのだが、残念ながら危険で上へは行かれないという。最上階まで行かれたらさぞ見晴らしがいいだろうと思う。1、2階にも数多く部屋があるが、やはり鍵がかかって入れないところが多い。補修ができていないのだろう。今回ラダックを訪れ、各地のゴンパを回り、補修がなかなかされず荒れるままになっている所が多いことが一番残念だった。財政的に大変なのだろうと思うが・・・。帰り道、通がかりのラダック人男性に道を尋ねついでに色々話をする。彼ははっきり「自分達ラダックはチベットとも違う」と言っていた。

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ラダックの地図

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☆タイトルはこれまたユーコが勝手につけたものです。(byユーコ)

 モンゴル写真

 チベット写真

 シッキム写真

 東北インド(ナガランド)

 朝食後、ユーコさん達に先に空港へ向かってもらい、私はソマゴンパを見てから行くことにする。ゴンパに行くと、民族衣装でお参りしていたラダック青年が、ゴンパを背景に写真を撮ってくれ、と言ってカメラを渡す。レーまで来た記念だという。皆結構カメラは持っていると感じ、この後さらにデリーの観光地で地元の観光客がかなりの率で持っているのを目にする。だから逆に、普通のカメラではなく使い捨てカメラ、スタンド型懐中電灯やおもちゃ的な可愛いスウォッチなど、他にない物、付加価値のついた物に興味を示すのだろう。これからのインドではそうした商品が売れ筋になると感じる。

 インド/マザーテレサ

 ミャンマー

 中国

 韓国

 空港でユーコさん達と落ち合う。例のパンジャビドレスの日本女性も、地元青年と二人で座り耳元でささやき合っている。レー空港のセキュリティーチェックは厳しいというが、この日は2回あった。エミさんは最初のチェックで、女性係官がキティーちゃんのメモ帳に興味を示したのであげてきたという。「Hallo Kittyなんてnice name、て言ってました。子供へのおみやげにいいって」。

 台湾の廟

 台湾2009

 飛行機は11時35分発、12時半頃デリー着。ユーコさん達は旅行社の手配でアショカホテルに泊まるのだが、私はアショカは1泊2万円と高いので、空港のITDCでYMCAの予約を取る。当初アショカホテル近くのユースにしようかと思ったが、回りが大使館街なので夜遅く帰る場合不用心、と人通りの多いコンノート近くのYMCAにした。二人とは6時にホテルロビーで待ち合わせる約束をし、空港バスは1時半まで来ないので、市バス(781番)で中心地へ。5ルピーと安い。

 バスはかなり混んでいたが、席が空くと教えてくれたりコンノートに着くと車掌だけでなく回りの人も教えてくれたりと親切だ。これはこの後乗ったどのバスでもそうだった。以前カルカッタにいた時はスリに身構え隙を見せぬよう常に緊張していたものだが、それに比べ皆穏やかな顔になり親切になったと思う。ある程度豊かになり余裕が出てきたためだろうか。混んだバスではたまに二人掛けのところへ、さらにもう一人が二人の上に体半分ずつ乗せて腰掛けているのを見かけたが(単に混んでいるので融通しあっている)、大の男が三人、まじめな顔でそうして座っているので、何だか可愛いというかおかしかった。

 ハワイ

 タイ

 クルーズ

 アメリカ

 ドイツ

 キプロス

 スイス

 イタリア

 小笠原

 四国へんろ

 島旅

 雑穀栽培

 林業/里山

 就農者訪問

 チェックイン後、先にデリーを見たエミさん達お薦めのレッドフォートへ185番のバスで向かう。市内は交通渋滞がひどく30分近くかかった。レッドフォートはムガール帝国時代の大宮殿で、道路の右手に延々1キロ近く続くのでは、という赤い城塞が見えてきたときには、やはり平野にうちたてられた大帝国の富に圧倒される。中に入ると、宝石類は略奪されたというものの、建物だけでも白い大理石、精巧な彫刻、美しい幾何学ラインを持つアーチを幾つも組み合わせた柱や天井のデザイン、と規模だけでなくその洗練された感覚にも感嘆する。細かいところまで念入りに細工され破綻がない。その点ラダックやチベットでは、仏教絵画や仏像は精緻だが、建築物は近くで見るともう一歩丹念に仕上げればという詰めの甘さが否めない(ただしそれがいいという意見もあると思う)。

 観光客の多くはインド人で家族連れ、友達同士が多い。手に手にカメラを持ち記念撮影に余念がない。またインド系男性と、体にぴったりしたシースルーの黒の網シャツ、やはりぴったりした黒の合成皮革パンツ姿の日本人男性とが手をつないだ、ちょっと怪しげな”カップル”も見かけた。ユーコさんとエミさんは、ここは外人を騙そうと近づくタイプのインド人がいないので、ほっとできると言っていた。

 
 602番のバスでアショカホテルへ。ユーコさん達と落ち合い、ホテルの人に古い地球の歩き方に載っていたチベット料理屋への行き方を尋ねるが、今はもうないそうなので別の店を教えてもらう。ホテルからまっすぐ南に下ったSun-N-Shadeレストランで、インド人経営のチベット・中華・インド料理の店。ビールは冷えたのを出してくれるし、モモもトゥクパもおいしかった。帰り、パークホテル前でバスを下りると、歩道に大勢の人が毛布を広げ寝る体制に入っている。ほとんどが男性だが、やはりまだ路上生活者はいるのだ。

 
   

9月17日(水)

 朝、食堂へ降りると、当然白人客も多いが意外にインド人の家族連れも数組泊まっている。家族旅行だろうか?朝食はバイキングスタイル、インドのパンはどこもおいしい。食後、散歩に出かける。サイクルリキシャやオートリキシャが通学の子供を乗せて走っている。インド独立50周年の看板が道路脇や外灯の下などあちこちに掲げられ、「インドを誰にもseparateさせるな」というスローガンが目立つ。昨夜見た音楽チャンネルでも、各地方の民族衣装を着た歌手達が「I love India」と歌うプローモションビデオを何度も流していた。またアーリア系青年歌手が仲間と車でインドの各地を回り、ラマ僧や東北インドのモンゴル系住民が手を振る中、あるいはオリッサやパンジャブ、タミル等の人々と踊りながら主題歌を歌う、というのもあった。

 あとデリーの特徴かもしれないが、10年前にカルカッタにいた時に比べ、デーバナーガリだけで書かれた看板や標識が目につき(レーやカルカッタはヒンズー(もしくはベンガリ)英語両表記)、英語の地位が総体的に低下している気がする。デーバナーガリはわからないので文盲感が募る。シーク寺院を見、コンノート中央の芝生を横切り、シャンカル・マーケットへ。左の方から大勢人が出てくるので行ってみると、Shivanji駅があり通勤客が大勢降りてくる。カバン片手にのそのそ歩く白いインド服のおじさん(背広姿は少ない)、さっそうと歩くサリーのOL、今日は平日、皆ちゃんと仕事しているのだ、と旅行で遊んでいる私は少々肩身の狭い思い。

 
 Yへ戻りチェックアウト(この時も5ルピーのおつりがないと言われるが、粘って受け取る)、外に出るとオートリキシャが寄ってくる。アショカホテル40ルピーというのでじゃあバスにしようと言っているうちに10ルピーと言ったので、乗ってみることに。
中国人かと聞くので日本人だと言うと「日本のそばに住んでいたことがある」というので、台湾か韓国にでもいたのかと思ったらマレーシア出身だった。25年デリーにいる、たまに帰る、インドとマレーシアにハーフファミリーだという。見た目はアーリア系なので印僑だろう。ドアツードアなのでリキシャは楽だ。

 
 ホテルのロビーでユーコさんとエミさんに落ち合い、二人の使っている現地旅行社のガイドさんと車でデリー観光に出発、私も便乗させてもらう。まずガイドの薦めるラクシュミーナーラーヤン寺へ。ビルラ財閥の寄付で建てられた真新しい、豪華だが成金趣味の寺。やはり靴を脱ぎ裸足で入る。ガイドのサンジューさんはぬかづいて熱心に拝んでいた。ラダックのすすけたお堂に比べ、異様に明るくきらびやか。原色の多色使い、飾りのセルロイドだかプラスチックのてかてかした感触、けばけばしい電飾、とどうも台湾や中国の廟のチープっぽさに通じるものがある。勿論台湾等の廟そのものは古かったり良い立像もあるのだが、内部装飾や祭壇前面を賑わせている物はそんな感じのものが多い。現在盛んに信仰を集めるもの程その傾向が強い気がするのだが、現代において宗教的に奉られるということは、プラスチックや電飾で飾りたてる、ということなのか?(昔の方が趣味がいいような・・・)

 
 次にデリー北東にあるラダック寺院へ。回りはラダック人かチベット人か、モンゴル系の人々がゆきかう地帯だ。コンクリート造りの新しいお寺で、ラダック本土と全く感じが異なる。ここでもサンジューさんは地に手をつき額に手をやり、簡単に礼拝していた。勿論ユーコさんは正式礼拝。この一角にあるチベット料理屋で1時半頃昼食。やはりデリーは蒸して暑く、結構体力を消耗する。皆あまり喋る元気もなく食事。

 
 3キロ北にあるチベット村へも行きたかったのだが時間がなく、シーク寺院へ。靴を預け頭を布で覆い中に入る。初めは外で待っていると言っていたガイドも、布を巻いて入り、やはり手を地と額にあてて礼拝した。建物内部中央に宗祖の墓があり、3人のおじさん楽団が声を張り上げ歌い続ける。シーク教では音楽を盛んに使い、重要な役割を担っている、とユーコさん。信者は墓の回りに額をつけて祈ったり、座ったりしていた
。ヒンズー教徒は仏陀もシークもキリストも全部拝んで大丈、とサンジューさん。

 
 クトゥブミナールへ。最古のイスラム寺院だそうで、それ以前は仏教寺院だったらしい。アショカ王時代の錆びない純度の高い鉄塔で有名。以前はさわれたそうだが、現在は回りに柵がある。しかしインド青年達は次々柵を乗り越えて入り、後ろ向きに塔を抱えて両手が届くかどうか交互に試して騒いでいる。元気だ。もう5時近く、フマユーン廟にも行くか?と聞かれるが、「皆さんお疲れだし、そんなに欲張らなくても」とエミさんが言ってくれ、空港へ向かうことに。途中サンジューさんの旅行社のオフィスに寄るが、等身大のサイババの写真と怪しげな超自然系研究会のインド訪問の写真が飾られていた。シンパがいるのか、単に儲かるからやっているのか、謎だ。社長のR氏(まだ若く30代前半、日本語がうまい)が挨拶に出て、後でエミさんは仕事はできそうだけどずるそうな感じ、と言っていた、私は何か暗い気がした。K社の人は「絶対信用できる人ですから」と言っていたそうで誠実なのだろうが、どこか底知れないものを感じる。むしろラダックの社長の方が金儲け主義だけどあとは普通、という感じで理解可能な範疇の人に思える。

 
 空港のレストランで三人でミネラルウォーターで乾杯、便が違うので二人より2時間ほど早く搭乗。機内はガラ空きで、皆肘掛けを上げてシートに横になって寝ていた。

 
ラダックは予想していたより、はるかにのどかな所だった。普通インド旅行はぼられないか騙されないかと緊張の連続だが、ラダックは日本の田舎を旅しているようなほっとする感じがある。シェーの村で見た刈り取った麦束を背負うやり方など、記録映画で見た日本の農村での刈草の背負い方そっくりだった。農作業中、よく通る声で歌われる労働民謡もどこか懐かしく郷愁がある。行くまでが大変だが、入ってしまえばのんびりできるので、ゆったり心の洗濯をしたい人にはいいところだろう。勿論仏教遺跡や寺院に興味がある人にとっても価値あるところだ。レー王宮も間近に見ることができ、なんだか京都奈良のお寺巡りのような旅だった。

 
 

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