銭  湯  め  ぐ  り

荏の花温泉
梅の湯
月島温泉
豊川浴泉
辰巳天然温泉
高千穂湯
(奄美大島)
三宿近辺
三軒茶屋近辺
北京の銭湯
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荏の花温泉 (1998)

品川区の荏の花温泉。東京銭湯マップでは温泉になっていませんが、東 京都衛生局の温泉施設マップでは、都の許可を受けた温泉源になっています(東京新聞1996年4月18日)。ひなびた昔ながらの銭湯ですが、古い木製の巨大な更衣ロッカーが良い。更衣篭がすっぽり入ってしまうほどで、その広々とした使いやすさには感動ものだった。脱衣場も、マッサージ機も椅子も何もなく、ただただ、だだっ広い!湯船も昔ながらでゆったり、透明の温泉で寒い日も暖まります。壁に貼られた銭湯独特の古い広告や公共広告が泣かせる。近くの設備の整った八幡湯もはしごしまして、これも良いのですが、今風の銭湯はジャグジーだ電気だとちまちま小さく分かれており、いまいちゆったり感に欠ける気がするのは私だけでしょうか?ちなみに客層も大きく異なります。お婆ちゃん達に会いたいなら荏の花温泉へ、中年おばさん連中に会いたいなら八幡湯へどうぞ。八幡湯には多少若い女性もいました。混み具合は(当然)八幡湯の方が上でした。ただし男湯の状況はわかりません。

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追記:記事は1998年のもの。残念ながら荏の花温泉は廃業になりました。


梅の湯 (1999)

神保町の梅の湯も、連休中の昼間、開店してすぐに入ったせいか 混んでいました。15くらいある蛇口がほとんどお婆さんたちで埋まっているので、銭湯のこんな状態を見るのは久しぶり(というより初めてかもしれない。温泉旅館ではあるけれど) という感じです。みなお互いに「昨日はどうして来なかった?」「あしたは来ないよ。あさって来るからね」と連絡しあっており、洗い場に長くいるお婆さんには別のお婆さんが気遣って 「大丈夫か?気分悪くないか?」と声をかけていました。彼女たちの社交場になっている感じです。 皆、内風呂はあるけれど、広いほうが気持ちいい、早い時間に入れる、友達に会える、内のお風呂は入る順番に気を使う、等々言っていました。一人暮らしの人もいるようで、国立に住む孫がお婆ちゃんお風呂に入りにおいでよ、と言ってくれるが遠くてね、と言うと、「かわいいこという孫じゃない」と別のお婆さん。見た所ビル街なのに、近くにこんなに多くのお婆さんたちが住んでいることも驚きでした(皆足悪そうで杖をついている人も多いので、そう遠くからではないと思う)。でも、この世代がいなくなると、銭湯もますます減ってしまうのではないでしょうか? そんな気もふとしました。

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追記:梅の湯は最近リニューアルしました。


月島温泉 (1999)

月島温泉、良かったですよ。お風呂がというより、お客さんたちが。 銭湯にしては珍しく混んでいて(平日会社が終わってからの時刻)定番のお婆さんから子供連れまでいろいろな年代層の人たちが来ていました。皆顔見知りのようでお互い挨拶しており、荷物もロッカーにしまわず、みだれ篭の上に風呂敷をかぶせて床に置いている人が多いのも昔風。おなかの大きいお母さんには「もうそろそろだね」「楽しみだ」とお婆さんたち、彼女もてらいなく「重くって大変ですよ」とさばさばしていました。洗い場では、お婆さんの背中をこすってあげている中学生の女の子など、昭和30年代か40年代、まだ近所付き合いのあった頃の東京、て感じです。もんじゃ焼きを食べたかったけど、どこも混んでいたのであきらめました。

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追記:月島温泉は最近リニューアルオープンしました。建物の感じはだいぶ変わりましたが、お客さんは同じです。


豊川浴泉 (2000)

都電の終点、早稲田または1つ手前の面影橋より少し北に入った商店街沿いにある。このあたりは戦前からの古い庶民的な町で、早稲田通りと目白通りにはさまれた谷底になっている。東京の銭湯は、地形的にこうした谷底の商店街にあるものが多い気がするのだが、どうだろう?飯田橋の熱海湯や、東大そばの菊水湯、四谷の若葉湯など、特に山の手線内の古い町でその傾向にあるように感じる。  近くに豊川稲荷の小さい分院があり、この銭湯の名前もそこに由来する。 お風呂は特に特徴はないが、地元のおばさん、お婆さん、学生が来て言葉を交わしている。しかし、この銭湯の良さはロケーションのおもしろさだろう。近くに甘泉園、新江戸川公園、椿山荘があり、早稲田大学も近く、春になると神田川沿いでちょっとした花見もできる。一風呂浴びた後、神楽坂から飯田橋に抜けるもよし、何度か山や谷を越えながら鬼子母神を拝み、超高層ビルが目印になる池袋まで出るもよし。都電にのって南千住までの旅も面白い。

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辰巳天然温泉 (1996)

ある初春の休日、ふらりと行った蒲田周辺の黒湯で出会った人々(東京の都区部の温泉はたいてい黒湯)。4時頃だったせいかまだ空いていた。
体を洗ったあと、足を細くしようと叩いていると、「えらいねえ、あたしはもうそんな力ないから」と母方の祖母に似たお婆さんが話し掛けてきた。子供はいるか、子供がいると大変だぞ、という。私の祖母もよくそう言っていた。小さい頃は蝶よ花よでかわいいが、大きくなるとがっかりすることも多い、と。「でも子供がいるほうがいいでしょ」と言うと、子供なんかいないほうがいい、なけりゃないであきらめる、小さい頃は手がかかり、大きくなると勝手に産んだ、と言われる、わがままだから、と言った。
黒湯の湯船につかって「ここのお風呂は黒いですね」「世田谷とこのあたりだけだよ、黒いのは。飲めるんだよ」とお婆さん、そこへもう一人別のお婆さんが入ってきた。
「あったまるのよね。昔は寒くて大変だった。タオルも凍ってね。でもこのお湯につけたタオルは凍らないのよ」と話に参加する。
はじめのお婆さんも「昔は大変だった」
「空襲があってね」
「この辺は焼けなかったけど、でも大変だった」
「あたしはXXで焼け出されてね。ここまで来て三月十日の東京大空襲で焼けて、馬込のほうへ行ってまた焼け出されて、3回も」
「国はどちら?」
「小笠原」とあとから来たお婆さん。「本当は硫黄島。でも帰れないでしょ。お彼岸のとき、自衛隊の飛行機でお墓参りのときだけ帰れる。あとは母島まで。あなたはどちら?」
「八ヶ岳。貧しいところでね。だから大変だった」
はじめのお婆さんは九十歳、子供5人、でもみな独立して一人で住んでいる。あとから来たお婆さんは七十三歳、子供は女二人、一人は独身で家電メーカーに勤め続け、もう一人は美容師。引き上げで苦労したから、子供には手に職をつけさせた。孫は一人だからお金がかからない。やはり一人で住んでいると言っていた。

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奄美大島 高千穂湯 (2001)

与論島に新規就農した友人を訪問ついでに、奄美諸島を回ってきました。

奄美大島の名瀬で銭湯に入ってきたのでご報告。
現在、名瀬には千代田湯、高千穂湯の2軒銭湯があります。

高千穂湯に入ってきました。 番台形式で、中は四角い湯船、電気風呂、泡風呂、ジェットと打たせ湯が ありますが、ジェットと打たせ湯は動いていませんでした。 脱衣場も東京と同じ、洗い場、お風呂もまったく同じです。
ただ、サウナが、簡易トイレのようなボックスが2つ、 脱衣場に置かれてコイン式なのが珍しかったでした。

お客さんもおばさんかお婆さんばかり、というのも同様。 (夜7時半頃入りました) 入るとき、ちょうどフィリピン女性が10人ばかり出てきたところで、 日本人男性に連れられて出勤、という感じでした。 飲み屋で聞いた話では、名瀬は県庁や国の機関からの出張者が多く、 第四次産業と呼ばれ、それで経済が成り立っているそうです。 何やらバングラのダッカで聞いた話と同じだなと思いました。 それで歓楽街もあります。

奄美の人はたいがい、鹿児島の人を良く思っていないようです。
西郷隆盛は日本の歴史から見れば偉大だったのかもしれないが、 その陰では泣いている人もいる、政治に金はかかるがその金はどっから出た、 奄美のサトウキビだ、という話を何カ所かで聞きました (別に左翼的なところに出入りしていたわけではないですが)。

あと結構グスク(城)とかアムロ(阿室)とかいう地名も多いので、
「沖縄みたいですね」と言うと、
「沖縄?沖縄とは違うよ」とむきになって言われました
(一人からではなく、別々に聞いた3人から)。
「アムロというのは、平家の落人と関係のある地名だ」というので、
「アムロナミエもそうかな」と言うと、「違うよ」と 言下に否定されました。

名瀬には以前は4軒くらい銭湯があったそうですが、廃業して今は 2軒だけだそうです。 奄美大島の南端、古仁屋にも1軒銭湯があります。 飲み屋にいた古仁屋出身のおばさんの話では、以前は3軒あった、 それが1軒になってしまった、競争がないからどうも、との評でした。

佐渡についで大きい島、という割にはメジャーでない奄美大島ですが、 けっこう古いものが残っている感じで気になるところです。

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奄美諸島旅行記はこちら


三宿近辺 (2004-2005)

 三軒茶屋近辺は意外に銭湯が多くあります。国道北側の三宿の3軒や三軒茶屋の近辺はかなり近接しており、韓国慶州並みの銭湯密度の高さです。

三宿浴場
ここは桧風呂があり、これがなかなかよい。また水も軟水とのことで、確かに洗ったあと体を流すとすべすべします。銭湯を出た後、よく感じる皮膚のごわごわ感がなく、かなり気に入りました。

常盤湯
けっこう混んでいました。お婆さん、おばさんたちがお互い挨拶を交わしたり話し込む様子が見られ、社交場になっている感じです。こうした関係もこの世代くらいまでか、自分の世代が年取ったとき、銭湯へ行くと声かけあう仲間ができるか少々疑問です。ちょっと寂しい。

富士見湯
銭湯の内装も客層も、ほぼ常盤湯に似た印象でした。行ったときは皆黙って体洗ったり湯船につかっている雰囲気でしたが、時間帯によるでしょう。

月の湯
国道はさんだ南側にあります。関東に多い寺院系建築ですが番台ではなく、フロントです。近くの古い大規模団地の人たちがよく来るようでした。

淡島温泉
淡島通りから北沢川沿いに進み、左手に入ったところにあります。黒湯系の温泉でがあり、真冬でもぽかぽか温まります。 真っ黒ではなく、茶色い感じでした。

銭湯マップにある太子堂の草津湯、国道南側ひかり湯2軒、ふくの湯(以 上下馬近辺)は廃業したようで、住所に見当たりませんでした。

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三軒茶屋近辺 (2004)

国道北側:
八幡湯
行った時間が夜10時台とかなり遅かったせいか、若い子もけっこう来ており、混んでいました。やはり人が多いほうがにぎやか、個人的にはにぎやかなほうが好きです。

清水湯
このあたりでは珍しく番台の銭湯で、台の上に飴だのを売るガラスの小瓶が置いてあるのも懐かしい。内装も昔のまま、ロッカー内側の注意書きの字体も昭和のもの。古い銭湯につきものの庭もある。この空間は考えればかなり贅沢。

国道南側:
駒沢湯
ビルの1階にあり、3時半頃ゆくと、数人おばさんたちが開店を待って並ん でいました。ビルに建て変わった銭湯はどこも基本的にあまり広くないですが、早い時間から常連さん同士で近況報告や誰某はどうしたと話していました。

栄湯
商店街の中にある、番台の古い銭湯。番台のおばさんと顔見知りのお客さんたちが話こんでいました。

世田谷線沿線:
天神湯
若林駅前のビルの中にありますが、外には自転車が何台も並び、結構混んでいました。

鶴の湯
松蔭神社駅前、番台の古い銭湯。商店街もほとんど閉まった閉店近い時間だった せいか、最後は一人でした。

天狗湯
世田谷駅前。番台ですが、番台と脱衣場の間に暖簾がかかっています。 ニュースを見ていたお婆さんたちが、「遊ぶ金が欲しい、遊ぶ金が欲しい、て 今の人たちは 人の金盗むのな。あたしらは生きる金が欲しくて働いたのに」と大声でしゃべっ ていました。

鶴の湯
山下駅(小田急線豪徳寺駅)の商店街南はずれにありますが、けっこう人が来て賑わっていました。

ちょっと離れた住宅街:
山崎湯
小田急線梅ヶ丘駅と国士舘大学の間あたりの住宅街の真ん中にありま す。交通の便が悪い感じですが、近所の人か割と来ていました。赤外線風呂があります。
ところで、近くに謎の釣堀屋があります。古びた建物で、屋内の池の端には小さい社(?)が見えます。三軒茶屋はなぜか釣堀が何軒かあるのですが、ここは昼間や夜早い時間に人が入っているのをほとんど見たことがありません。どころが9時以降に通るといつも車が止まっており、若いお兄ちゃんが釣をしています。一人のときも、数人のときもあります。国士舘の学生でしょうか?謎です。

マップにある富寿の湯(環七沿い)、松の湯(松原)、開 楽湯(下高井戸)、栄湯(三軒茶屋) あたりは廃業したようで、住所に行ってもありませんでした。弘善湯と千代田湯(三軒茶屋近辺)はまだ建物が残っていますが営業していませんでした。

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北京の銭湯 (1999)

北京には胡同という昔からの共同住宅スタイルがあります。 道路からは塀に囲まれているように見え、小さい出入口から中へ入ると 中庭があり、その周囲が複数家族の平屋建て長屋式住宅になっています。 トイレ、風呂は共同でトイレは道路沿いにあることが多く、 仕切りのない穴が並ぶだけの、例の中国式トイレです。 お風呂は日本と同じく、銭湯に通います。 改革解放前の中国の銭湯は入ったことがないのでよくわかりませんが、 西洋式の浅い湯船が一つ据え付けられた細長い小部屋が並び、順番が来ると 空いた部屋に入る仕組みだった、お湯は一人一人取り替え、服務員が一人入る ごとに掃除してくれた、という話を聞いたことはあります。 ただし当時、外国人の行かれる場所は限られていたので、良い銭湯の話である 可能性もあります。

10月末から11月初めにかけて、北京に行って来ました。 その際、北京の銭湯にも2カ所入ってきました。 現在も北京のあちこちで浴池と書かれた銭湯を見かけることができます。 24時間営業の看板を掲げるところも多いです。 私は繁華街王府井にある精華園、という歴史のある銭湯に入りました。 清朝から続く銭湯で、銀座の金春湯か銀座湯のような感じでしょうか? 料金は8元、入ると日本同様、鍵のかかるロッカーの並ぶ脱衣場があり、 下町おばさん達がババシャツ姿で座りこみ、熱を冷ましつつしゃべっている姿も 同じです。ロッカーに荷物を放り込んでいると、ちゃんと全部リュックに入れてから しまえ、と注意する世話好きおばさんがいるのも下町的。「鍵かかるじゃない」 と言うと、「財布や小物は袋に入れないと、盗まれても知らないわよ」と言うので 最初は係りの人かと思ったのですが、単なる近所のおばさんでした。 ジャージー姿の中学生くらいの友達同士二人連れやお婆さんも入ってきます。 脱衣場の奥はシャワー室、大きい湯船もありますが、今は水やお湯を張っていません。 シャワーは40度くらいのお湯が出、皆ここで体を洗います。 日本の銭湯同様、脇にサウナ室があり、無料なので皆ここで暖まるようです。 私もしばらく中に入ってぼーっとします。さほど熱くはならないので、中で 椅子に腰掛けたままうたたねしている感じのお婆さんもいます。 新たに入ってきたいかにもチャキチャキの北京っ子おばさんは、体じゅう 石鹸だらけのまま、何度も扉を開けては係りの人を呼びつけ「お湯がぬるい!」 「水の出の勢いが悪い!」と大声で怒鳴って調節させていました。

脱衣場で涼んでいるおばさん達は、私が日本人とわかると「長得一様(顔立ちが 同じだ)」と感心し(あまりにしょっ中そう言われたので、日本人を知らない のだろうか、と逆にこちらが不思議に思うほどだった。何かもっと別のものを 期待していたのだろうか?)、そういえば文字も同じものを使っているし(そういう 知識はあるようだ)、何千年か前は一緒だったらしいし、とも言う。 中国人は他人に素肌を見られることを嫌う、と聞いたことがありますが、こと下町に 関しては銭湯文化が発達しているのでまったくそんなことはなく、平気で裸で 歩き回り、しゃべったり文句言っている様子も日本の銭湯とまったく同じでした。

もう一カ所、骨董街で有名な瑠璃廠にあるスーパー銭湯にも入ってきました。 ここは下町住民用、というよりももっとお金に余裕のある、おしゃれな層を意識した ところのようです。 料金は15元、休憩だともう少し高いですが、この休憩の内容はわかりませんでした。 ただし、風俗店ではありません(現在の中国には多いですけどね。通常は理髪店の 奥とか)。受付はホテルのフロントのよう、脱衣場とロッカーは高級温泉旅館の ようにぴかぴかに磨き上げられた明るい色の木製で、大きな鏡の前には 基礎化粧品とドライヤーが並べられています。若い女性が多く、ここで 身なりを整え化粧して出て行く感じ。 中はやはりシャワールームがメインで(韓国製の温度/水量調節のきくノブのついた もの)、その奥に寝台(垢すりかマッサージをするらしい)、一番奥はサウナ室。 湯船は大型も小型もまったく見あたりませんでした。 係も制服姿のかわいい若い女の子達でホテルのよう、休憩バージョンだと 簡単な内着と下着を貸与してくれます(マッサージその他のサービスが あるのかどうかは聞いていません)。

今回は目抜き通りの銭湯に入ったので、次回の北京訪問の折には、もっと マイナーな通りの銭湯にも入ってこよう、と思います。

『1010』掲載


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