東  海  岸


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 海岸沿いのアミ族の村に何箇所か寄るため、バスで移動した。バスには山線(電車と同じ経路。高い中央山脈と海岸沿いの低い海岸山脈にはさまれた川沿い)と海線(海岸沿い)がある。花蓮から台東直行のバスは少ない。海線はたいてい、静浦でいったん乗り換えとなる。  (写真の日付は誤り)

 アミ族はもともと母系制で、女性のところへ婿に入った。戸長は女だった。しかしある90歳の男性いわく、母の世代は母が戸長だったが、自分の時代はもう違う、女が嫁に来ると言っていた。
 これらの村々でも、昔は裏山でヤマブタをとったり木を切ったりしていた。今は政府に山に入ることは禁止されている。狩猟や漁労、木を切ったりすることもできない。
 昔は本当の山(奥山)と耕作できる山(里山)とは別だった。耕作する山では粟を植えていた。
 10年前から川の水が減っている、と言っていた。川の水が減っている話は、烏来のタイヤル族からも聞いた。


東海岸 景色は抜群によい道。現在は道も整備され、乗り心地はとてもよい。
 この暑い中(7月はじめだが、ニュースでは連日「全台熱浪!」と熱波到来を報じていた)、スポーツタイプの自転車にまたがったサイクリストをぼちぼち見かけた。台湾鉄道でも、自転車を持ち込める専用車両が最後尾に連結されていることがあり、はやっているらしい。


 左下は水lの村。水色と白の立派な建物は中学校。村唯一の高層建築物。
 花蓮でも、ホテルかと見まごう立派な建物に、何かと見たら小学校だった。

 ところどころで原住民(このあたりはアミ族)のおばさんたちが乗り降りしていた。白っぽいパナマ帽のような帽子、ピンクか紫系統の色の小さい花柄のシャツにズボンという独特(というか逆にみな同じような)ファッション。




 途中の村で移動販売車をみかけた(右下)









左上は豊浜、 比較的大きい町



静浦
 花蓮から2時間ほどで到着。静浦は小さい村だった。豊浜、成功などのがよほど大きい町だが、静浦の先で花蓮県から台東県となり、行政区間が変わる。また、ちょうどこのあたりを北回帰線が通っている(台湾西部では嘉義市を通る)。
 稲刈りの終わった田と里芋畑。田は台風シーズンで高波が来ると潮をかぶりそうなところにあった。







左上:村でみかけたお葬式

村の集会場に「保護神」と書かれた検診の移動ワゴン車が来ており、大勢年寄りが集まっていた
静浦に限らず、集落近くの国道でときどき、電動式車椅子で移動する老人を見かけた。



都蘭
 静浦から台東へ向かうバスの本数は多い。
 台東県は南北に長く、長浜、成功など大きな町の間に村が点在し、アミ族が多く住んでいる。
 ところどころ、海岸のそばにお墓を見かけた(左下)。十字架のついているものも多く、アミ族もクリスチャンが多いようだ(アジアの少数民族は、さかんに基督教の布教活動がなされ、キリスト教徒になっていることが多い)。





 都蘭は台東に近い比較的大きい町。

 この東海岸の道路は、10年ほど前に整備されてよくなったという。かつては狭い道だった。1980年代に台湾を訪問した頃は、台湾の東側は平地も少なく遅れた地域とされ、台東の先は電車が通じておらず台東自身辺鄙な田舎町の印象だった。しかし今では道も快適になり、鄙びた感じはあまりしない。





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