烏 来 | ||||||||||||||||||||
2009 | 台北 | 萬華 | 二二八和平公園 | 鉄道 | 基隆 |
北投 | 烏来 | 台中 | 台南 | 東獄殿 | 台南の廟 | 麻豆 | 高雄 | 老兵記念館 | 烏来 もともと原住民のタイヤル族の住む地で、温泉が出る。今は"平地の人"が多数移住して住んでいる。 烏来はもともと、昭和11年に日本政府の政策で山奥の蕃社から現在の地へ移住してきてできた村。こうした移住政策はあちこちの原住民集落で聞き、たいてい昭和初期に一度山から里に近いところに移住、さらに民国40年前後にもう一度平地と山の境のようなところに移住している。 以下、古老から聞いた話だが:山では男子は山狩り(山豚、鹿など)、女子は芋、粟、サツマイモなどを植えた。狩では犬、弓、刀を使った。 山の生活はとても厳格で、狩に行く前日、頭目が各家族に悪いことをした人はいないか確認してから狩りにゆく。お祈りをして出発する。鳥が前方から飛んできたらだめ(人か犬が怪我をする)、右から飛んできてもだめ(誰か悪いことをした)、だめなときはすぐ戻った。鳥は後ろから来たときはよい、鳥の声が聞こえたらよい、すぐに大きな獲物が捕れる、という。 台湾高砂義勇隊戦没英霊記念碑 烏来の中心街からかなり山を登ったところにある。義勇隊に参加した兄弟の親族である周麗梅女史が尽力し、1992年に元日本兵らとともに建てた。
銅像の下には、「霊安故郷」など、高砂族や台湾人日本人の言葉が石板に彫られていた。今は竹で覆われている。
この記念碑は、2月28日に○金○梅が来て破壊していった、さざれ石なども破壊された、と聞いた。地元の人はあまり彼女の行為に良い印象を抱いていない感じだった。 日本や台湾で会った先住民の人たちから、彼女は父親が外省人、母親が"原住民"で、鄭成功が日本人だと主張しているようなものだ、という。どちらかといえばリベラル、左系の日本の台湾原住民交流協会の人たちも「あの人は特別特別。あんな人ばかりじゃない」と距離を置いている。ただしその割に選挙では原住民地区から当選している。
烏来は台北から日帰り可能な距離にあり、訪問したのが夏休み期間だったため、台湾の若者が大勢遊びに来ていた。 帰りのバスは若者で大混雑。山道が左右にカーブするたびに、前の見える学生が「左転!」「右転!」と叫び、みなそれに合わせて踏ん張る。女学生がキャーキャー悲鳴をあげ、「救命!救命!」と大げさに叫ぶ学生も。 このページは2009年の台湾に関するページです |