烏  来


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烏来 もともと原住民のタイヤル族の住む地で、温泉が出る。今は"平地の人"が多数移住して住んでいる。
 比較的中心街に近いところにある集落に住むタイヤル族の人も、自分の集落について、以前はみなタイヤル族だったが今は3家族だけ、あとはみな"平地の人"だという。残りのタイヤル族はどこへ行ったのか聞くと、土地を売ってさらに山へ入ったという話だった。

 烏来はもともと、昭和11年に日本政府の政策で山奥の蕃社から現在の地へ移住してきてできた村。こうした移住政策はあちこちの原住民集落で聞き、たいてい昭和初期に一度山から里に近いところに移住、さらに民国40年前後にもう一度平地と山の境のようなところに移住している。

 以下、古老から聞いた話だが:山では男子は山狩り(山豚、鹿など)、女子は芋、粟、サツマイモなどを植えた。狩では犬、弓、刀を使った。
 日本時代は山地人と平地人をあまり接触させなかった。山地人の風俗習慣があり、平地人と合わない。新店や台北の人は自由に山に入れず、警察に登記する必要があった。烏来の人が塩、米、砂糖、醤油を買いに外に出るときにも証明が必要だった。終戦後そういうことはなくなり、平地の人が自由に入ってくるようになった。
 ただし、その後も山地人の女性が平地人の男性と結婚してはいけなかった。山地人の男性が平地人の女性と結婚することはなかった。光復後30年たってその規定はなくなった。
 山狩りは今でもできるが、動物保護で捕れない動物が多い。いつでも捕っても良いのは猪のみ。猿、鹿はだめ。祭りの一週間前のみ、保護動物の山狩りが許されている。まだ何人か山狩りをする人はいる(ラハオ、タンピヤにはもういない。わな猟はまだやっている)。
 魚も保護している。昔は川に魚が多かったが、今は少ない。川の水量が減っている。昔は山に木が多かったが、今は平地人が来て大木を切って製材して売っている。それで水が減った。

 山の生活はとても厳格で、狩に行く前日、頭目が各家族に悪いことをした人はいないか確認してから狩りにゆく。お祈りをして出発する。鳥が前方から飛んできたらだめ(人か犬が怪我をする)、右から飛んできてもだめ(誰か悪いことをした)、だめなときはすぐ戻った。鳥は後ろから来たときはよい、鳥の声が聞こえたらよい、すぐに大きな獲物が捕れる、という。


台湾高砂義勇隊戦没英霊記念碑

烏来の中心街からかなり山を登ったところにある。義勇隊に参加した兄弟の親族である周麗梅女史が尽力し、1992年に元日本兵らとともに建てた。
義勇兵の像は、もともと高砂族の正装にする予定だったが、諸事情から現在の格好になったという。

台湾高砂義勇隊戦没英霊記念碑山深い烏来


銅像の下には、「霊安故郷」など、高砂族や台湾人日本人の言葉が石板に彫られていた。今は竹で覆われている。

鎮魂碑

さざれ石

 この記念碑は、2月28日に○金○梅が来て破壊していった、さざれ石なども破壊された、と聞いた。地元の人はあまり彼女の行為に良い印象を抱いていない感じだった。

 日本や台湾で会った先住民の人たちから、彼女は父親が外省人、母親が"原住民"で、鄭成功が日本人だと主張しているようなものだ、という。どちらかといえばリベラル、左系の日本の台湾原住民交流協会の人たちも「あの人は特別特別。あんな人ばかりじゃない」と距離を置いている。ただしその割に選挙では原住民地区から当選している。
 もちろん、何にアイデンティティーを求めるかは本人の自由なのでかまわないが、政治的にパフォーマンスを演じている感は強い。"利用されている"というナイーヴなものでもなく、自覚的に行っているのだろう。



一帯は現在改装中。例の破壊もあっての工事だが、さらに変更を加えているという。
日本人の銅像

記念碑の関係者は、もともときれいに作られていたので変える必要はないはず、と言っていた。

 烏来は台北から日帰り可能な距離にあり、訪問したのが夏休み期間だったため、台湾の若者が大勢遊びに来ていた。

 帰りのバスは若者で大混雑。山道が左右にカーブするたびに、前の見える学生が「左転!」「右転!」と叫び、みなそれに合わせて踏ん張る。女学生がキャーキャー悲鳴をあげ、「救命!救命!」と大げさに叫ぶ学生も。
 途中のバス停から乗車してきた地元民は、最初何でこんなに混んでいるんだ、と怒り気味だったが、学生らの大騒ぎに笑い出していた。



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