1.北京の銭湯
北京には胡同という昔からの共同住宅スタイルがある。周囲を壁で囲み小さい出入口が開いており、中へ入ると中庭があって、庭を囲んだ平屋式長屋住宅になっている。たいてい複数家族が入居していて、トイレは共同、お風呂は日本と同じく銭湯に通う。
改革解放前の中国の銭湯については、西洋式の浅い湯船が一つ置かれた小部屋が並び、順番が来ると空いた部屋に入る仕組みだった、一人入るごとに服務員が掃除してお湯を取り替えてくれた、という話を聞いたことがある。ただし当時、外国人の行かれる場所は限られていたと思うので、良い銭湯の話である可能性も高い。
今回、1999年10月30日から11月3日までの北京旅行では、ドメトリーを泊まり歩いたこともあって銭湯を利用した。狭いドメトリーのシャワールームに比べゆったりとくつろげるし、下町おばさんとも触れ合えるので、興味のある方は是非銭湯をのぞかれることをお奨めする。
北京では街のあちこちに浴池と書かれた銭湯を見かける。24時間営業の看板を掲げるところも多い。今回入った銭湯は、繁華街王府井にある精華園と、骨董街で有名な瑠璃廠にあるスーパー銭湯の2カ所。
精華園は清朝から続く歴史のある銭湯で、日本でいう銀座の金春湯か銀座湯のような感じ。受付には精華園浴池の歴史と北京の銭湯の歴史(七千年前から云々されている)の記された額が掛かっていた。
8元払って入ると、日本同様鍵のかかるロッカーの並ぶ脱衣場があり、下町おばさん達がババシャツ姿で座りこみ熱を冷ましつつしゃべっている姿もご同様。ロッカーに荷物を放り込んでいると、ちゃんと全部リュックに入れなさい、と注意する世話好きおばさんがいるのも下町的だ。「鍵がかかるじゃない」と言うと、「財布や小物はちゃんとしまっておけ、鍵はしっかり手にはめろ」と言うので最初は係の人かと思ったが、単なる近所のおばさんだった。
ジャージー姿の中学生くらいの友達二人連れ、お婆さん、と次々入ってくる。脱衣場の奥はシャワー室、数人入れる大きさの深い湯船もあったが、水やお湯は張られていなかった(どうもずっと使われていない様子)。シャワーで体を洗う。脇にはサウナ室があって同料金で入れ、皆ここで暖まる。さほど熱くならないので、椅子に腰掛けたままうたたねしているお婆さんもいる。いかにもチャキチャキの北京っ子といったかんじのおばさんは、体じゅう石鹸だらけのまま何度も扉を開けては係を大声で呼びつけ、「お湯がぬるい!」「水の出が悪い!」と調節させていた。
脱衣場で涼んでいるおばさん達は、私が日本人だと知ると「長得一様(容姿が同じだ)」と感心し、そういえば文字も同じものを使っている、何千年か前は祖先が一緒だった、と言う。この長得一様は、今回何度も言われた。首都北京で日本人を知らないとは思えず、一体なぜだろうと逆に不審に思うほどだった。日本人に何か別のものを期待していたのだろうか、それとも日本人と中国人は同種、というキャンペーンでも近年張られているのだろうか(それはそれで、かつての八紘一宇と同じでちょっと恐いが)。
スーパー銭湯(浴都洗浴城)は、下町住民用というよりお金に余裕のある、おしゃれな層を意識したところのようだ。料金は15元、休憩だともう少し高いが、この内容はわからない(ただし風俗ではありません)。
受付はホテルのフロントのよう、靴を脱ぎスリッパにはきかえて、服務員の案内で脱衣場へ向かう。脱衣ルームとロッカーは高級温泉旅館のように磨き上げられた木製、鏡台には基礎化粧品やドライヤーが並ぶ。若い女性が多く、ここで身なりを整え化粧して出て行く感じ。中はやはりシャワールームがメインで(韓国製の温度/水量調節のきくノブがある)、その奥に寝台(垢すりやマッサージをするらしい)、一番奥はサウナ室。湯船は大型も小型もまったく見あたらなかった。係も制服姿のかわいい若い女の子達で、親切だった。
瑠璃廠のスーパー銭湯:内部、かわいい服務員さんたち
下は精華園に掛けられていた銭湯の歴史と精華園の歴史
(目次) (2へ続く)