雑穀栽培記-群馬編1
 

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 1996年2月、群馬県長野原町にある「萱の家」の総会が当地で開かれた。萱の家は、同町小宿地区に萱葺きの家が何軒も残されていることを見つけた高崎の人たちが、そのうちの数軒でも残そうとグループを作って家を借り修繕して住めるようにしたもの。会員制で、宿泊だけの廉価なコースもあり、私はその宿泊会員になっていた。総会といっても、数家族や個人会員が集まって会の基本方針を決め親睦を兼ねる簡単な集まりで、このとき1泊千円で泊まれるこの地に畑があったらさらにいいな、とふと思い付いた。会長を務める人にその話をしたところ、過疎地で余っている畑はいっぱいあるから、いつでも話をつけるよ、と言われた。

 その後、高崎から吾妻線でさらに1時間半、万座鹿沢口の駅から歩いて40分(車はない)、という距離や雑事にまぎれて、実際に腰をあげたのは4月末だった。会長は本当は3月までに言ってくれると探しやすいんだが、4月に入ると遊休地でも牧草の種まいたりするから、と言いつつも声をかけてみる、と言ってくれた。土地改良事務所の職員である会長は、群馬県のあちこちで土地改良の仕事を手がけてきた。長野原や嬬恋地区も何度も通い、知り合いも多いという。土地改良とは、昔ながらの一坪田圃など不規則に区分けされた田畑を、お互い交換させたりして碁盤の目に整え水路も整備する仕事で、意見の調整が大変だ、交換先の畑は日当たりが悪いだの何だの、労多くして感謝されにくい仕事だ、と言っていた。吾妻線沿線に今でも残る不規則な畦で区切られた田圃は、本人たちが不便を承知で土地改良を拒んだ地域だという。耕地整理の話に関して、今年畑を借りている茨城県岩井の農家の老夫婦は、1反百万くらいかかり去年ようやく払い終えた、しかし払い終えたと思ったら子どもらは継がないし百姓も終わりだ、と笑っていた。

  ほどなくして、まず小宿に登る途中にある芦生田集落で、今年一年に限ってなら数アール貸しても良い、と言っている人がいる、という話が入った。本当は家のすぐそばの
小宿地区で借りたかったのだが、小宿地区は山間地で平地が少なく、地区の人たちもさらに上に20分ほど登った応桑集落に畑を借りているくらいなので、この地区で借りるのは難しいという。とりあえず見に行こう、と群馬に行くと、さらに萱の家から歩いて30分ほどの鎌原地区に1反ほど畑を貸しても良い、という話も出ていた。どうするか、どちらかを断るか、という話になり、芦生田は役場の人も間に入ってくれているし、鎌原は会長の個人的知り合いなので、どうせ雑穀でそう世話はいらなそうだから両方蒔いてしまおう、と両方借りることにした。農作業の大変さを知っていればこんな大胆な決断はしなかったと思うが、できなければできないでいいや、といういい加減さもあったので、萱の家からまったく方向の違う場所2カ所に畑を借りることになった。しかし結果的に、新旧両方の農法を見ることができ、良かったと思う。

 種は以前岩手に行ったときに粟や黍、稗を売っていたのを見かけたので、そこの農協に問い合わせることにした。電話でたずねると本当は地元の種が一番良い、というので地元の役場や農協に尋ねたが、今はもう雑穀は作っていない、種もないと思うと言われた。再び岩手の農協に頼むと、軽米町だのあちこちから種をそろえてくれた。担当者はさらに、農業試験場で勧めているという高黍の種も送ってくれ、農家の人に聞いたという雑穀の栽培方法も書き送ってくれた。ただし1999年、同じ農協に再び高黍の種を求めたときは、農協では種の斡旋をしていないと断られたので今ではやっていないようだ。

 種についてはその後、芦生田で1995年まで自家用に黍を作っていた、というお婆さんから種をもらった。また、この年の秋、応桑から軽井沢へ歩いて抜ける途中の集落で粟と黍を自家用らしく小規模に栽培しているのを見つけた。

  結局この年に雑穀の種を蒔いたのは6月下旬、22日と23日の土日だった。しかし農協の人も、岩手よりも群馬のほうが暖かいので大丈夫ではないかと言い、確かに秋の収穫には間にあった。

 地方に土地を借りて面白いのは、借り先の農家の人たち(大抵老人)から昔の話、農業の話が聞けることである。芦生田の畑の貸し主は老夫婦で、現在自分たちは自家用の畑を作る程度で、畑の大部分は嬬恋村のキャベツ農家に貸していた。芦生田や鎌原は嬬恋村、小宿や応桑は長野原町だが、長野原の農家も嬬恋のキャベツ農家に畑を貸している、という。会長の話では、キャベツ作りのノウハウを持っているのは嬬恋の農家で、長野原の農家にはそれがない、それで畑を貸してキャベツを作ってもらっている、という。

 老夫婦は、種蒔きの日に一緒に畑に来て、紐と棒で位置を決め、鍬で畝をたてて雑穀の種を蒔く昔ながらの方法を教えてくれた。昔はこのあたりでも粟、黍、稗を作って米
に混ぜて食べていた、「今では米よりも高いらしいが」という。「だいぶ厚蒔きだ」、粟は種が細かいので土や砂を混ぜて蒔くと言い、蒔いた後はすり足で蟹のように横歩き
して鎮圧した。高黍の種を見たじいさんは、「コウリャンだなこりゃ。昔兵隊にとられたとき食べた。まずかった」。そして道端の木の下でひと休みしつつ、「戦争が終わって50年、今年は昭和で言えば71年か。随分昔と変わったな」とつぶやいた。おばあさんも「変わった変わった、思いもよらなかったよ、こんな生活」という。「今は年金もらって楽させてもらっているが」「常林寺を通って小宿へ抜ける道も昔はひと一人しか歩けない狭い道で、薄暗くて恐かった」。萱の家がこの老人の姉の嫁ぎ先だったらしい。「でも隣の集落なんだけど、全然情報入って来ないもんなあ。あの常林寺の峠で村も違うし」この昭和で言えば、の言葉に、この世代の生きてきた歴史を感じた。また昔は道が狭く木に覆われて暗かった、という話はよそでもよく耳にした。四国の山奥をめぐった時、また今年借りている畑の前は近年国道に昇格した車道だが、昭和30年頃までは馬車しか通れない狭くて暗い道だった、という。年寄りの話を聞くと、昔と今とでは随分景観が違ったろう、と感じることが多い。

 鎌原の一反近くある畑のほうは、キャベツやトウモロコシを大規模に栽培している広い台地の端にあった。貸し主は役場勤めの兼業農家で、孫も一緒に大家族で暮らしている。芦生田や小宿が老夫婦だけの世帯が多いのに比べ、鎌原は畑が広く子供も一緒に住んでいることが多い。機械起こしをして畝も作り、マルチングもしてあった。肥料もまいたというので、別に有機にこだわるわけではないが一応成分を知りたくて聞いてみたところ、「その辺に余っている化成を適当に蒔いた。肥料代は気にしなくていい」と言われた。田舎の人は親切だが、有機農業をやりたくて新規就農した友人が、土地を貸してくれた老人に「農薬まいといてあげたよ」と言われがっくりきた話を思わず思い出す。雑穀の作り方を近所の老人に聞いたそうで、マルチをかけて種を3粒ずつ蒔くと楽だろう、と言っていたという。会長も来て一緒に種蒔きをした。このとき、新規就農者の
よくやる過ちだが、発芽しなかった場合のことを心配して多めに蒔いていたら、二人から「あとで間引くときに大変になるぞ」と言われた。またここらは鳥の多いところだから、防鳥対策について聞いておくといい、と言われた。会長は嬬恋、長野原地区は元キャベツ畑で肥料分が多く、昨年そばを蒔いたら茎だけ伸びてよくなかった、雑穀は大丈夫かなと心配していた。

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Last updated:07/01/24 .  First uploaded:01/12/03 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.