キ プ ロ ス /マ ル タ 旅 行 3

キ プ ロ ス 編 3

2017年春の記録

 キプロスマルタ旅行の記録3日目
 リマソールから島中心部のトロードス山脈に入り、北へ走り、キッコー修道院、教会群、オモドスを訪問した。
 終始島中心部の山岳地帯をバスで走る1日だったが、山村はどこも過疎化が進んでいると言っていた。山岳道路は、中腹をトラバースでゆく、くねくね道で、ほぼトンネルがない(通った道では、一か所のみあった)。日本も、旧道は山ひだに沿ったくねくね道、新しくなると次々支尾根をトンネルでぶち抜き、直線コースでスピード出して走れる道になる。
 道路法面工事をした壁も見かけなかった。斜度はある。雨が少ないので水が出ないからでは、という。また、ドイツで見た猟師小屋(ハンター小屋)もないが、野生動物(害獣)はほとんどいない、と言っていた。




トロードス山脈へ
 下:リマソールの街から山に登ってゆく









 畑は小麦大麦が中心。以前はぶどう畑多かったが、最近減った
 牧畜は、牛は水が必要なので難しく、ヤギが多い。ヤギの乳から作ったハルミチーズがキプロスの名産









 街路樹のオレンジは食べて良いが苦い。マーマレードにはなる。イスラム時代に喜捨で植えた。貧しい人は取って食べても良い、ということだった。双葉のオレンジは苦く、単葉のオレンジは甘い。











 下の窪地では、コークスを採っていたが1980年代に閉山、植物園を作る予定だという。



アグロスの町
 ローズウォーターで有名。このあたりの山村は過疎化し、畑も放棄されつつあるところが多いという。



 左下:ヤギを運んでいた  





 バラの畑  急斜面にパイプで灌漑している





 右上:丘上に巨大十字架が立っている





 村の名は聞き取れなかったが、このあたりはニコシアなどへ車で通える通勤圏内なので、土地買って住む人が多く、過疎ではない。ブドウ栽培の適地でもある。(オリンポス山の東北東あたり)





 右上:鉱山あと



 オリンポス山に近づき、標高が高くなるにつれ、杉や黒いモミの木が生える。
 スキー場もある(右下)





 左上:キプロス島最高峰1951mのオリンポス山 レーダーがある
 このあたりに、杉に見えるがカシだというキプロス固有種、ゴールデン・オークがあるという。希少種で、今回は見られなかった
 山を下りて最初にある村は標高1400mのところにある。かつては3000人いたが、現在は150-200人。ニコシアに遠いので通えない。週末に戻る人はいる。




右上:丘中腹に見える建物が、キッコー修道院

キッコー修道院

ビザンチン皇帝が建てた古い修道院だが、何度も火災で焼失したため、建物は19世紀から20世紀にかけて再建されたもので新しい

聖母マリアのイコンで有名(聖ルカが描いた3つのイコンのうちの一つ)







 絵に口づけして、熱心に拝む人も多い



 左上:つばめの巣





 右上:イースターに食べるパン”フラウナ”  チーズとバジルが入る
 キッコー修道院では、コマンダリーワインを売っている。キプロス名産のデザートワインだが、この修道院のものが有名だと聞いて1本買った。帰って飲んだらおいしかったので、もっと買ってくれば良かったと後悔。
 修道院からオリンポス山方向へ戻る




「マリアの涙」という岩場に生える山野草
(写真がピンぼけになってしまった)





 右上:修道院下のペトゥラスの町  このあと、オリンポス山の北を東へ抜ける





教会群
 下:カコベトリア村 こうした山中の村々は中世の面影を残すという



 ここに、トロードス山脈の世界遺産になった教会群の一つ、聖ニコラオス教会がある。ビザンチン時代のフレスコ画が教会内に残り、イコンも有名
 過疎化で教会の管理者がいなくなりつつあるという。こうした話は、フランスの農村の教会でも起こりつつあると新聞で読んだ
 右下:アーモンド





 上下:カコベトリア村(カコペトラは悪魔の岩の意) ここで昼食
 今咲く白い花はリンゴか杏






鱒料理が出た
ご飯は長粒種

左:オリーブの実がなっていた

下:オリンポス山の東麓を南下し、
オモドスへ向かう







 上:白い花はリンゴか杏   右上:ぶどう畑



オモドス
 オモドスに近づいた。オモドスはワインで有名。石灰岩の白い山で水はけがよく、ぶどう栽培によい





 オモドスの町   完全に観光地で大勢観光客がいた







 オモドスのワイナリー





 南下してリマソールへ向う。行きとは異なる、西よりの道からリマソールに入る





 海が見えてきた





 スペインに『黄色い雨』という小説がある。
 過疎化する山村の物語で、最初牧師家族が、次第にあちこちの家族が山を下りてゆく。最後村に残った老夫婦、妻は下りたがっていた。
 最後一人残された老人は、崩れ始めた教会や村人の家を回りながら、子供の頃大勢で火を囲み語り合って過ごした冬の夜、絶対表に出さない奇形の子供を持った夫婦の家、一番仲の良かった隣人の家などを訪ねる。
 スペインといえど、冬は厳しい。冬支度をやっておかないと、冬を乗り切れない。しかし一人では、それもままならない。秋も遅くなってくると、冷たい黄色い雨が続くようになる。
 山を下りふもとの街に移り住んだ旧村人らが、ときどき町まで買物に来ていた老人を見かけなくなったのを気にして、春、様子を見に山に上った。

 今、世界中で山村から人が下り、山里は放棄されつつある。キプロスで山中に住んだのは、海賊(あるいは異民族支配)から逃れるためもあったという。日本でも、山中の集落は平家の落人だの、関東だと将門だの新田だの北条がらみの負けた側が逃げ込んだ村伝説が多い。古代、人は海や川沿いに住むことが多かった。それが戦乱の世になると、山中へ移り住んだ。あるいは、林業がさかんな時代は、山中に住むメリットがあった。そう思えば、山に行ったり平地に行ったりは、そのときどきの状況で変わるのだろう。





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