東京の地形はざっと下町、武蔵野、多摩に分割できると思う。下町はかつて湿地帯、大雨が降れば浸水し、浅草や錦糸町には河童伝説もある。武蔵野は台地、川が小さい谷をえぐり台地上は広々と日当たりも良く、いい畑作地帯だった(国分寺崖線)。多摩川を越えると丘陵地帯、標高100m〜200mほどの尾根が続き、谷戸に人が住む。この丘陵はいわゆる里山で、ナラ、クヌギ、クリなどの落葉樹や、カシ、サカキなどの常緑樹の混じる雑木林に覆われている。かつて雑木は約15年ごとに切っては薪や炭にしていたという。広葉樹は切ると再び根元から株立ちして生えてくる。根元を見ればかつて薪炭林として利用された森かどうかわかるそうだ。
戦後、森を利用しなくなり、シラカシなどの常緑樹が増えた。常緑樹の多い森は暗い。
人情の下町も、広々とした武蔵野台地も捨て難いが、多摩や八王子に来ると住宅街の中、緑の尾根が浮かんで見える。冬になると葉が落ち、尾根をとことこ歩く人が見えそうなくらい山の稜線がはっきりしてくる。関東の冬はよく晴れ空気も澄み、葉の落ちた尾根の上に立つと遠くまで見晴らすことができる。
多摩や八王子、日の出、青梅などの丘陵はこの先、檜原や奥多摩の山々につながる。川沿いに開かれた車道が幹線道となった現在はイメージしにくいが、かつては尾根がメインロードだったという。山で迷ったら尾根に出ろ(川に下りるな)と言うのも、見晴らしだけでなく尾根に道のあることが多いためという。里山もたいてい尾根に道がついている。尾根をたどれば、甲斐や秩父の奥、さらに上州、信州、関西や東北までもたどって行けるのだ。
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尾根歩きといっても、稲城や日野あたりは丘の上まで宅地化されているところも多い。住宅街や車道を歩いてもつまらないので、できるだけ雑木林の中、土の尾根道を歩けるところを探して歩くことにした。
稲城、日野あたりだと、住宅街に残る雑木林の丘を拾って歩く感じになる。町田や八王子には里山の丘陵が広く残る一帯があり、青梅、日の出、あきる野あたりになると、秩父や奥多摩の山につながる尾根がハイキングコースになっている。八王子の西側や檜原村まで行けば、もう山地だ。
(最初に、広く雑木林の残る町田市小山田/小野路地区を重点的に紹介したあと、
基本的に標高の低い東から山岳地帯の西へと順に書いてみました。
学問的研究に基づくものではなく、あくまで個人的感覚と趣味で書いています。)
町田編
多摩丘陵は高尾の南から東へ伸び、御殿峠の東、鑓水あたりで多摩川の支流大栗川によって南北2つの尾根に分かれる。長沼、平山城址、高幡不動へと続く北側の丘陵と、小山内裏公園、小山田、小野路へと続く南側の丘陵だ。南が主尾根になるらしく、そのまま多摩丘陵と呼ばれている。北の丘陵は標識に多摩丘陵とある場合と、七生丘陵とある場合とある。南尾根は真光寺の東で再び北の稲城の丘陵と南の生田の丘陵に分かれる。いずれの尾根も多摩川にぶつかるところで消滅する。
1970年代初頭、多摩センターが建設された頃より、多摩丘陵には大規模団地が開発されていった。ゴルフ場が広大な土地を占めているところも多く(府中、東京国際、東京よみうりなど名門ゴルフ場も多い)、遊園地、産廃処理場(リサイクルセンター)、大学、米軍関連施設などがあって尾根歩きのできないところも多い。
それでも町田あたりには昔ながらの里山の景観を残しているところもまだまだ残っており、雑木林、丘上の畑、谷戸の田んぼを眼にすることができる。
特に小山田から小野路にかけては、雑木林の里山がまとまって残っている。現在、多摩丘陵がもっともよく残っているところは、この小山田小野路の丘陵と、御殿峠七国峠の丘陵だと思う。
丘の標高は100mから130mほど、たいてい地元のハイキングコースになっている。さまざまな里山保全グループが活動しているところも多い。
(里山の道は公園になっているところ以外、地主が好意で開放しているところで、森の中に立ち入ることは禁止されている。)
目次: 小山田−小野路 黒川−別所 布田道 三輪から寺家 柿生−茶臼山(川崎)
多摩丘陵2017-2018年編: 稲城/七尾 多摩ニュータウン よこやまの道南 よこやま南2
柚木/鑓水 北野/みなみ野 館町/寺田/七国