キ プ ロ ス /マ ル タ 旅 行 5

マ ル タ 編 2

2017年春の記録

 マルタは11月から4月までが雨季、今後は雨が降らなくなるため、今は緑の大地だが、夏は茶色く枯れる。現在、水は海水を真水化している。かつては雨季に雨水を地下にため、井戸水とともに利用していた。花はブーゲンビリアが多い。ほとんど平たい島で、最高200mくらい。
 ゴミはかつては分別していなかった。EUになってから分別することになったが、厳格でない。
 大学はマルタ大学1校のみ、大学と高校はマルタ人は無料。病院も無料だが、私立は有料で食事がいい。
 宗教はローマンカトリックが主だが、他宗教への偏見はない。

 5日目はゴゾ島を訪問した。








 左下:ホテル ホテルは中心街から離れた、北東の岬にあり、その周囲は高級住宅街(右下)





 ホテルそばを散策。戸建は一軒5000−1億円くらい、現在のマルタの平均月収は100ユーロくらいなので、買えない。





 下:ホテルから北西の海岸へ 遊歩道がついている







チェルケウアへの道





 畑の境に使われているのはマルタ石(ハニーストーン、黄色い)。建物にも使われる。





 キプロス島に比べ、なだらかな丘陵が続く









 確か右下写真丘のあたりが、ポパイ村(実写ロケの村)



チェルケウアの船着場
 冬は荒れて欠航することもあるという。日本も同様なので(台風除く)、どこも冬場は低気圧が通るようだ





 上:コミノ島(クミン島) 今は老人3人しか住んでいない。ホテルができると、島民の大半は出て行った
 左下写真奥と右下:ゴゾ島(現地の人は、ゴゾとは呼んでいないらしい)



ゴゾ島

 右、下:イムジャールの港

 左下:観光客を迎える何台ものバスが並んでいた
 白人観光客が多いが、
 日本人ツアーがほかにもいたし
 島では韓国人ツアー客も見かけた

 マルタ島ゴゾ島間のフェリー







 ゴゾ島中心付近にある、ジュガンディーヤ神殿に向かう
 マルタ島に比べても、さらにペッタリした島だ   右下:独特のモスク 遠くからもよく見えた









写真はブドウ畑
今は小麦の収穫期 自給できるほどはなく、輸入している
あとは牧草地が多い。暑すぎて放牧できないため、家畜は室内に隠れている
畑はチューブで潅水しているが、昔はため池だった

ご多聞にもれず、ゴゾ島も空家が多い。イギリス人やドイツ人に貸す人もいる(数日から数週間、1か月など)。
 ゴゾ島はのんびりしており、イギリスドイツオランダの退職者が別荘を買って住んでいる。安いし、景色がよく、英語ができ、EUなので医療もよい。人と話したくなければこもっていればいいし、行きつけのカフェができれば、そこで人と話すことができる。
 ゴゾにはまだ塩田がある。マルタにはもうない。馬車競馬もやっている。マルタではなくなったので、マルタの馬主はゴゾに来て参加している。



ジュガンティーヤ神殿
 下:小さい博物館があり、アイドルと呼ばれる出土品などが展示されている
 右下は、子宝を願う女神





 巨石神殿へ向かう。途中は畑だったりする
 上の木が、シロップを作るためのイナゴ豆の木







 ジュガンディーヤの巨石神殿 現在修復中  世界最古の建造物。紀元前40世紀に建設が始まった。祭祀に使われたと思われる。女性の巨人が石を積んだと伝えられている。石は大きく、大きさはそろっていない。おそらく屋根はテントを張ったのでは、と推測されている。
 近くには世界で4番目に古いドーム型教会もある。   右下以降、神殿内部





 マルタ島にも巨石神殿と地下宮殿がある。石の大きさがそろっているので、屋根はドーム型だったろうと言われている







 左下:現地のコーラ似の飲み物キニー





 下:ローマの水道橋





アズール・ウィンドウ(青い窓)
 もともと、写真左下の右端の岩の先に、自然のアーチがあった。それで有名な観光地。しかし残念ながら、ちょうど1,2週間前に、嵐によって窓の部分が崩れていまい、無くなってしまったという。現地のガイドさんなどから、「窓がなくても、まだ観光地として来てみたいところでしょうか?」と聞かれた。





 ヴィクトリアに戻る  右下:リュウゼツラン テキーラができる(繊維は紙になる)







 右上:夏には緑の大地も、写真中央部のように、全面茶色くなる
 左下:畑の境にサボテンを使っている。騎士団が南米から持ち込んだもので、棘が境になる、実が食べられる、水がいらない、というすぐれもの



ヴィクトリア 島の中心となる街





 下以降:シタデル(城塞) マルタ、ゴゾは海の交通の要衝地で、海賊被害も多く、もともと海賊に対する避難所だった。16世紀、トルコによって島民9000人中6000人が奴隷として連れ去られる事件がおき、以降百年間、シタデルに住み、昼間は畑や海に下りる生活が続いた。騎士団が来て治安がよくなり、シタデルから出て下に住むようになった。丘の上の町全体が、城壁に囲まれた中にある。下の町には、青銅器時代からの遺跡がある。
 右下:街の入口にある大聖堂





 左上:大聖堂向かいが役所だか行政の建物だったと思う   下:町中はこんな感じ





 城壁の上に登る 景色がすばらしい









 サボテンの境が見える





 現在の市内に下りる    左下:はちみつで有名な店   右下:イムジャールの港



サンジュリアンへ
 マルタ島に戻り、チュルケウアからサンジュリアンへ向かう



 右上、下:メリッハ湾  イギリス人やドイツ人が多いリゾート地で、日本人はほとんど来ないという。晴れると海で泳いでいる







 セントポールズ湾  ここも白人が多いリゾート地





上:海岸沿いには、
騎士団の城(左)や見張り台(上)が
いくつもあった

下:ヴァレッタの夜




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