韓 国 旅 行 記 : 馬 耳 山 | ||
1980年代に比べ、道路は非常によくなった。ソウルからどこへゆくのも便利で、強行軍なら南端の町でも日帰り可能だ。かつてのバス旅行の不便さに比べ、ときの流れを感じる。このため、日本に比べ国土の小ささ、というか逆に日本の国土の南北の長さを実感した。バス旅行は時刻表を参考に組みたてることができるが、その時刻表も日本に比べ全然薄い(時刻表は韓国書籍専門店で日本でも入手可能)。 馬耳山へは慶州→大邱、大邱→全州、全州→鎮安、鎮安→馬耳山、とバスを乗り継いだ。20年前と違い、チマチョゴリ、パジチョゴリ姿のおじいさん、お婆さんはもうほとんど見かけない。バスの中は静かで、バスの中で会話が始まることもない。基本的に皆寝ている。携帯の普及率はかなりのもので、バスの中でもおばさんが話し、若い子はメールを打っている。 牛も藁葺き屋根の農家も見かけなくなった。知人らは「40年前までですよ。今はない」と言うが、15年前までは結構見かけた。この写真は今回の旅行で、大邱−全州間にて。 馬耳山 塔寺 バスの中は結構若い子が多かった。そして彼らは日本の若者と同じ。 全州からのバスで、お婆さんが隣に座った若者に話しかけた。しかし彼は黙っている。「あんたイルボンサラムか?」とハルモニ、その後もしぶとく語り続け、若者がやっと一言韓国語で何か言う。さかんに話しかけるお婆さんに対し、2、3回に一度の割で面倒臭そうに答える。休憩所で休んだあと、再びお婆さんが話しかけると、彼はいきなり自分が食べていたトストゥをちぎって、ハルモニに差し出した。お婆さんは「アーニョ」と言って顔をしかめ、そむけた。うるさい婆さんよけの高級テクニックかと思ったが、その後の様子を見てそういうわけでもなく、対人関係が下手でこうした唐突な行動に出た気がした。しばらくしてまたお婆さんが話しかけはじめ、男の子は一言、二言、ついに文章で話すようになった。いったん文章で語り出すと逆に饒舌で、何か身の上話を語るような熱心さでひたすら話し続けた。お婆さんは聞き役に徹していた。これで彼の心は解きほぐれたのだろうか?やがてソウルにバスが近づくと、若者は再び寡黙になり、神経質そうに髪の毛をいじり始めた。ハルモニもそれ以上無理に話し掛けようとはしなかった。 汝矣島のオフィス街では、ビルの前で奇声を発しつつラジオ体操のようなまねをする中学か高校生くらいの男子がいた。もちろんまともな若者がほとんどだろうが、いわゆる”途上国”へ行くと決してみかけない(1980年代の韓国でも見かけなかった、そして今の日本では見かける)タイプの若者が現在の韓国にも存在することは確かだ。 このページは2002年春の韓国旅行に関するページです ソウル編1 ソウル編2 慶州 韓国のモギョクタン(銭湯記) 慶州銭湯マップ | モンゴル | チベット | ラダック | 東北インド | 中国 | 1999北京 | ミャンマー | 台湾の廟 | 韓国 | 台湾2009 | |