ミャンマー旅行記(2000年)

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2月18日(金) 

イエジンのプロジェクト

 朝大学構内を歩く。ここはミャンマー唯一の農大で、緑の中に建物が点在する広いキャンパスが続く。大学の正門から村へ向かう大学通りでは、学生と思われる若い人たちが簡易食堂で朝食を食べていた。

ミャンマーの大学は閉鎖中と聞いたが、ここやピーの先で訪れた農業専門学校には、あきらかに学生と思われる若い人達がいた(丁度これを書いている最中、7月24日にミャンマーのすべての大学が全面再開されたとの報道があった)。

このときも朝、若い男女が次々と正門をくぐっており、自転車に乗って移動している人も多かった。

 YMCAで朝食。外の三連かまどで竹筒に水と餅米と塩を詰め、両端に葉を詰めて蒸している。

米農家の老人が、餅米の竹蒸しは日本でも昔やったな、と言う。イエジンでも餅米はハレの食べ物だそうだ。そのほか、油条も出た。これは近くの中国人から買ってきたという。

このあと、Melvin氏の案内でプロジェクトを訪問。


○ バプテスト連盟の教会:

献金箱が素焼きの壷で、上に開いた細い口にお金を入れるようになっていた。つまり、豚の貯金箱のように、割らないと中のお金を取り出せない。



○ YMCAの農場:

現在9エーカーの土地を持ち、5年前に1エーカー2万チャットで買った。今は1エーカー10万チャット以上するという。ワーカーには1日150〜250チャット払う。

このあたりは皆自作農で、早朝から10時か11時までと、1時から5時〜7時くらいまで働く。4月と12月が農閑期で、プエ(ポエ?)という祭りがある。

 鶏200羽を高床の小屋の中で飼っていた。

上の嘴をカットしたベビー口にしてあり、竹の床のすき間から下の地面に鶏糞が落ちる。
「これなら確かに病気にならない」
と元指導員。

こうした小屋も、細い竹棒にサトウキビを編んで先をカットした屋根で葺いている。三重くらいに重ねて葺いているので、雨季でも大丈夫。detroapple's leaf grass(?)も屋根に使うと言っていた。

 このあたりの田圃は条をつけて直播きしていた。

かなり密に植わっており、あとで間引くという。田植えと、直播きで間引くのとどちらが楽だろう?また収量は?

 井戸を3本、1本5万円くらいで掘った。

1分あたり5ガロン(約22l)の水が出て、1日で1反程度の水田に水を供給できる。

 奥の田圃は研究所の実験農場で、乗用型の大型機械を使用して田植えをしている。
皆ああいうのを見てまねしようと思わないのかな、と言う人もいたが、普通の農民にそう簡単に機械は買えない、と年配者ら。

元指導員は、日本は高度成長で人件費のほうが高くなったから、機械化するメリットがあって移行したんだよな、と言った。そして
「そういえば、昔台風前に収穫できるフジサカ1号という早稲種があったが、ありゃあまずかったねえ」
と昔話に花が咲く。

米農家の老人は乗用トラクターでの代かきを見に行き
「プラウが平行に取り付けられていないぞ」
と言っていた。

 道路脇の窪地を田圃にしているところで、農民が数人土手を鍬で掘っていた。除草を鍬をやるのかと思って見ていると、
「ありゃ昔の言葉でいう”せびる”じゃないか」
と林業家。そうやって少しづつ田を広げてゆく涙ぐましい努力が昔の日本にもあった、と言う。こうして税金の課せられる面積と実際の面積が少しづつずれてゆく。

 農場の小屋で、お婆さんが盆を使って米を選別していた。これも昔の日本と同じ。小屋には仏教の棚があった。



○ クリニック:

看護婦と産婆の資格を持つMelvin氏の奥さんが運営している。2カ月に一度、マンダレーから医者が来る。

夫婦には3人の子どもがいたが、長男は28歳のとき下痢で亡くなった。現在、長男の子ども(孫)と養子と合わせて8人家にいる。養子を受け入れている人が結構いるようだ。また、下痢で亡くなったという話もよく耳にした。先進国なら簡単に治る病気で命を落とす人がまだまだ多い。




○ 保育所:昼間働く親のために子どもを預かり、保育料は以前は月50チャット、現在は150チャット、弁当は持参する。

この保育料は他に比べて安い。





○ イエジンダム:

近くにある、周囲11キロ、1976年完成の農業用ダム。

水道代は1年1エーカーあたり300チャット。(山形でも、農業ダムができてから田圃の水がただでなくなった、という話を聞いた。逆に水不足や水争いは解消された。)

魚がいるが、採るには許可がいる。雨季には満水になるというが、このときは10メートルほど下の水位だった。ビルマ人観光客も遊びに来ていた。

 ここから見た景色は、ダム湖の東にはシャン州の山々が連なり、西側には緑豊かは平地が広がり、ところどころに金色と白色に輝くパゴダが浮かぶ、まさに風光明眉、といったところ。Aさんもこんなに良いところがあったなんて、他の人にも話そう、と言っていた。



○ シードバンク:

日本のJICAの施設で、会うには許可がいるという。Melvin氏が話に行ってくれ、会えることになった。

3人日本人がいるというが、2人はヤンゴンに出ており、残っている所長さんが迎えてくれた。Melvin氏を知っており、この前は横浜YMCAの人たちを連れて来たね、と話していた。横浜のYMCAからは毎年、看護婦やお医者さんがMelvin氏のところへ来るという。

1990年、JICAの無償援助で設立され、一時期中断したあと、1997年に再開された。5年計画の技術協力で、稲の原種、野生種を集めている。稲はアッサム、雲南、ビルマ、タイが原種地帯である。

ミャンマーは標高差があり、熱帯から温帯まであるので、陸稲も多く品種が多い。一見まだまだのように見えるが、ミャンマーも開発がすすみ、生産力を上げるための改良種がどんどん入ってきている。そこで手遅れにならない今のうちに、原種や在来種を集めている。

特に陸稲は、山間部とこの周辺に多い。陸稲は乾期の終わりに植え、雨季に収穫。

地方に残っている野生種を求めてカチン州等へ入り、地元の人と一週間くらい過ごしたりする。シードバンクの地元スタッフも一緒に行く。こうして集めた原種、野生種、在来種は遺伝子保存する。

ミャンマー一国の力ではできないので、技術指導を行っており、ゆくゆくはミャンマーの人が自分たちで保存できるようにしてゆく予定だ。このあたりは農大の一帯なので、辺鄙だが環境も人もいい。

バンクには、外国からはマニラのIRITA(国際稲作研究所)の人が一人来ており、近くインド人が来る予定だという。昨年11、12月には筑波農試の人と一緒に調査し、こんにゃくや雑穀についても見てきた。大学の先生等、かなり頻繁に日本人が訪れる。たとえば信州大学の退官教授が山岳民族に麻薬のかわりにそばの栽培を教え、現在ではJICAとの共同プロジェクトになっている。逆に、筑波のJICAの施設に、ここのスタッフを送ることもあり、今一人日本に行っている。

 ヤンゴン周辺なら肥料、機械を使ってもペイするが、周辺の山間地は難しい、有機農業も選択肢の一つだろう。




 YMCAに戻って昼食。

地酒が飲んでみたい、とユーコさんと言うと、YMCAの斜め向かいの一見普通の民家のような家に案内してくれた。高床の下に棚、椅子とテーブルが置いてあり、男の人たちがおちょこより少し大きいくらいのグラスで何か飲んでいる。

Be(イエ、と聞こえた)というサトウキビで作った25度の透明の酒を出してくれる。焼酎に似て飲みやすく、1瓶ほしいと言うと、はじめただでいい、と言ったが悪いので払うと言うと、90チャットだった。

Melvin氏がブドウで作った自家製のどぶろく(ワインの濁り酒)を持ってきてくれた。こちらは後で飲んだところ、甘酸っぱくておいしかった。青森で飲んだ濁りワインに似ている。



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Last updated:07/02/03 .  First uploaded:01/12/03 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.