1.1.シッキム入境
2005年3月、シッキムとアラハバードを回った。
シッキムの情報は日本のガイドブックには少ない。Lonely Planet(以降ロンプラ)のインド版とSikkim Infoサイトに詳しいため、情報は主にこの2つから得た。
シッキムに入るには、許可証が必要で、あらかじめ日本で取っていった。
成田からの空路は中華航空を利用。
この時期値段が安かったのと、行きは午前2時半デリー着、帰りは午前3時半デリー発で、出発到着だけのために宿をとる必要がないのがその理由、またすぐに国内線でバグドグラに飛ぶというのもあった。
行きも帰りも、成田−台北間は台湾人と日本人で混み、台北−デリー間はほとんどがインド人。台湾に働きに来ているインド人は多いようで、家族連れもけっこういる。
デリー空港に到着後、待合室で一眠りしてから国内線の空港へ。
このとき、空港の鉄道チケット予約センターで、ニュージャルパイグリからアラハバード行きの夜行列車の予約をとろうとしたが、8時営業開始時、既にかなり並んでいたため、あきらめる。
ロンプラ情報によれば、バグドグラからガントクまでヘリコプターが飛んでおり、デリーからの飛行機と連絡しているという。これが使えればかなり早くシッキムに入れるので、時間が有効に使える。
Jet Airが扱っているとのことなので、デリーのJet Air サービスデスクで尋ねるが、わからない、ここでは予約できない、という。
飛行機は10時10分発が遅れて11時半発、到着も1時半になってしまった。バグドグラの空港で、焦ってカウンターへ行き、ヘリについて尋ねると、今はメンテナンス中で運行していないという。ハイシーズンだけの可能性もある(シッキムのハイシーズンは一般的には4月からとのこと)。
当初、ヘリがだめな場合は、ダージリンを見てからシッキムを回るつもりだったが、せっかく許可証をとったのでシッキムを優先的に回ることにし、プリペイドタクシーでガントクに直行。
一人だと割高だが、4人いればそう悪い値段ではない。なお、空港タクシーの値段はFIXでボードにも書かれている(交通費その他の相場については5. おまけ)。
バグドグラ、シリグリは、のちにガンジス河に合流する Teesta 川流域に広がる平野で、まだ田植え前の乾いた田圃に、牛が放牧されている光景が続く。
道沿いには、竹細工店の一画を過ぎるとブリキ屋、次はレンガ屋、と同業種の店が固まって続く。
シリグリの街を抜けると、道は北の山岳地帯へ向かう。
今回は旅行中、ヒンドゥー教の祭りホーリーに重なるため、心配だったが、ドライバーの話ではこのあたりでは26日で終わる、とのことだった。
林を抜け、線路を越えると Teesta 川沿いの山道に入った。道端では、七輪のようなもので焼いた、焼きトウモロコシを売っている。
葉は落葉し、晩秋のような印象。ワップルという村で初めて、サンスクリット語で経典の記されたチベット仏教の五色の旗を見かけた。
日本の川沿いの山道のような風景が続く。岩に大きく、"We want Gurkhaland" というスローガンの書かれた箇所を通過。
Teestaという大きい町をすぎ、メリで一休み。メリは乗り合いジープやタクシーの休憩所となっている町で、沢山のジープが停まっている。シリグリ−カリンポン、シリグリ−ガントク間のジープ、バスもよく通る。この道は軍用車両も多く、国境の町を感じる。なお、バグドグラ−シリグリ間も、市バスが多く通っていた。
車道側はまだ西ベンガル州だが、対岸はもうシッキム州。やはり五色のダルチョがはためき、モンゴル系の顔立ちもいるが、ベンガル系もまだまだ多い。
休憩後、しばらく行くとランポのチェックポイント。登録所の人は今日は日本人は誰も来なかった、あなたがはじめてだ、と言っていた。
ロンプラ情報では、もう一箇所、シッキムに入境可能なポイント、ジョレサンから入る場合はあらかじめ入境許可証を取得しておく必要がある。ランポでは、許可証がなくてもここで仮を発行してくれ、ガントクに着いてから正規のものを取る形で入ることができる。
私はあらかじめとっていったが、知人は入境時もその後も、提示を要求されたことがない、とる必要ないかもしれない、と言っていた。チェックポイントを通過する際、ジープがすっとばしたのだろう。でも必ずそうとは限らないし(外国人がいれば、普通は停まらなければならない)、宿でも許可証提示を求めるところが多いので、持っているにこしたことはない。
シッキム州に入る。相変わらずの山道だが、山と谷の高低差が日本とは比較にならないほど大きい。山の風景も木々も、日本と似ているが、高低差だけは数倍ある感じ。
道はけっこう混んでおり、車の往来が激しい。シッキムに入ると、ガントク−パギョン間のジープ、バスをよく見かける。
ところどころ土砂崩れを起こしており、片側車線しか通れないところもある。
道路の補修工事もよくやっており、女たちが座って石を砕いたり、男たちが道をならしている。川原では砂をふるい、ダンプにショベルで放り込んだり、石をくだいたり運んだりしていた。
彼らが仮住まいする、アンペラのような掘立小屋やテントの一群も、道路沿いや河川敷によく見かけた。
道は次第に川から離れて山を登り始め、高度を上げてゆく。シンタムを通過、ラニプールというビルの立ち並ぶ町(ここからルムテク行きの道が分かれる)を過ぎると、もうガントクに近い。
ガントクは尾根の西斜面に広がる町で、何やらナガランドのコヒマに似ていた。こんな平地のないところに王宮を造ったのか、普通は平地に建てるのに、ちょっと不思議な都市計画というか、とれる土地の広さから考えても、山城で、そう大きな王宮じゃなさそうだ、と思う。
以前シッキムへ行った人から、ガントクまで来るとほとんどモンゴロイドだった、と言っていたが、やはりかなりアーリアンがいる。見るからに観光客も大勢いるが(この時期ホーリー休暇で故郷に帰ったり、旅行に出るインド人が多い)、いかにも地元民らしいアーリア系も結構いる。ヒンドゥーの祠もちゃんとある。
タクシーはガントク中心街のプライベートバススタンドに到着。ここからは、ブータン国境プンツォリン行きのタクシーも出ている(所要時間6時半だ、と言っていた)。
宿はバックパッカーで有名なところにとった。まだハイシーズンでないため、ダブルに一人でシングル料金150Rsでよい、という。オーナーも従業員も、もともとカリンポンの人だと言っていた。
「海外に出たことは?」と聞くとない、と言っていた。「宿の仕事があるから行かれない」とのこと。世界各国からのバックパッカーの世話をしているのに、その彼らができないのか、しないのか、海外旅行をしていない。何か不思議な気もする。
宿に併設の食堂で夕食。モモやトゥクパが美味い。宿もレストランもお客は欧米系ばかりで、相席になった人達はタシデレのカレーはおいしい、だの、アジアをあちこち回っている、この次どこ行く?日本は高いしつまらないかも、台湾がよいのでは、等々おしゃべりしていた。
グルカランド
西ベンガル州の北、ダージリンやカリンポン一帯は、もともとシッキム王国の一部だったが、18世紀初頭、カリンポンはブータンに占領され、18世紀後半、ダージリン周辺はネパールから来たグルカ人たちの土地になる。
インド独立後、グルカ人たちはネパール語の公用語化を求めるなどして西ベンガル州政府と対立し、1980年代には西ベンガル州からグルカランド州として分離したいと要求するに至った。
1986年には、GNLF (Gurkha National Liberation Front) によって暴動が起きる。1988年、大幅に自治が認められ、現在は落ち着いているが、まだグルカの武装勢力が存在するとのことで、ロンリープラネットでは、ダージリンを旅行する場合は地元の報道に気をつけるよう書かれている。
同様にカリンポンについても、2002年10月、グルカ武装組織の一方のリーダーが暗殺されるなどグルカランド関連の動きがさかんなので、訪れる前に情勢をチェックするよう書かれている。
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