シッキム旅行記(2005年)
 

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 1.2.東シッキム:ガントク

 ガントクは山稜のおもに西側に広がる町で、かなりの急斜面にある。西からハイウェイ、マハトマガンジーロード、チベットロードの順にメインストリートが南北に走り、その間を急な石階段がつないでいる。場所によってはビル5,6階分以上の高低差があり、歳を取ったらきつそうな町でもある。

 最近の経済成長からか、インド人(シッキムではベンガル人が多い)の国内観光も盛んになりつつあるようで、ガントクにも "Discover Sikkim" だのと書かれた看板が、歩道橋脇に大きくとりつけられていたりする。

マハトマガンジーロード
 マハトマガンジーロードはガントクの銀座のようなメインストリート。時間帯によるかもしれないが、歩行者天国になっており、大勢ぶらついている。ちょうどホーリー休暇の旅行シーズンで、ベンガル人の家族連れ観光客がいっぱい。そこへ白人観光客、クルータ姿のモンゴル系、チベット服のチベット人、白いイスラム帽を被った人など、様々な人が歩いている。左右には商店が並び、店主にもアーリアンの顔立ちが多い。

 マハトマガンジーロードと並んで、プライベートバス&タクシー乗り場近くの、歩道橋のある一角も人が多い。ポタラと書かれた巨大なビルがあり、中には小型テナントが多数入っている。おしゃれ、きれいとはほど遠いが、インド人観光客が子供のセーターやリュックなどを買っている。ネットカフェもあり、15分5Rs。

エンチェイ・ゴンパ
 町の北、ゼロポイントから斜面を登った尾根の上にある。1909年から1910年にかけて建立された、ニンマ派の重要な寺の一つ。すぐそばにテレビ塔がある。
 歩いて登ると、かなり登りがいがあるが、テレビ塔下はちょっとした高級住宅街になっていで、買い物帰りや勤め帰りの人も歩いており、彼らは毎日この坂道を上り下りしていることになる。

 参道は杉並木で、日本のお寺のような雰囲気。5時を過ぎていたため、堂内には入れなかったが、ちょうど広場でお坊さんたちが読経していた。

 帰り道、自宅から通っているという少年僧らと一緒になり、「チベット人か?」と聞かれた。
 僧院に寝泊りしている子らもいるという。朝何時に行くの、と尋ねると、一人は朝4時から夕方5時まで、と言い、もう一人は朝9時からだよ、と笑った。携帯を持っている子もいる。
 その後、地方の村でも、自宅の庭で携帯を使っている人を見かけたし、ジープで同乗したベンガル人や学生、ブチェア族のおじさんも持っていた。かなり普及しているようだ。

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White Hallとフラワー・ガーデン
 White Hall は、初代政務官(political officer)クローデ・ホワイトの記念に建てられた英国風建築(建物自体も白い)で、エンチェイ・ゴンパや王宮と同じ連なりの尾根にある。
 向かいにはフラワー・ガーデンがあり、小さいところだが、蘭がある。東北インドは珍しい蘭が多いので、好きな人にはよいかも。
 尾根に出ると、リッジ・パークという、道路脇に整備された、日本の町のどこにでもありそうな細長い公園がある。
 周辺には政府関係の施設が多い。

王宮
 リッジから尾根沿いに南へ行った小山の上にあるが、門に警備員がおり、外国人が見たがるが中には入れない、写真も撮ってはいけない、それを理解していれば通ってもよい、という。
 王宮は道から脇に上った小山の上にあるので、全貌は見られなかったが、ラマ僧が袈裟を干したり行き交うのが見え、現在は僧院になっているようだった。

ツクラカン・ゴンパ
 道なりに行くと王宮の寺だったツクラカン・ゴンパ。ここも入ってはいけないと言われたが、おばさんや制服姿の少女が通ってゆき、向こう側へ抜けてゆくので、一緒に、お坊さんや小僧さんの行き交う僧院を通り抜けた(ゴンパには入らなかった)。1年に一度のお祭りのときだけ、ゴンパの中を見ることが出来る。

 尾根はここで終わっており、急に下へ落ち込む地形。ゴンパの下にシッキム政庁があり、さらにその下に2003年完成のロープウェーがある。
 ロープウェーは9時半営業とのことで、あと15分だったので待とうとすると、「いや、1時間かかるかも、メンテナンスがどうこう」と言っているので歩いて下りることにした(この日の午後、ロープウェーが動いているのを見たので、営業はしている)。

チベット難民センター
 政庁から下る途中、チベット寺院があり、死者を祀る壷のようなツァツァが、沢山あった。さらに下へ行くと、チベット難民センターと書かれた建物があり、この一画にチベット難民が住んでいるようだった。
 近くの斜面に建つアパートに入ってみると、中は迷路のようになっていた。

ドドゥル・チョルテン
 王宮のある尾根はいったん大きく下がったあと、南にまた小さい小山が一つある。その上に1945-6年に建てられた巨大なチョルテンがある。
 チョルテンの周りのマニ車を時計周りで回して歩いていると、ベンガル系の少年が逆からやってきた。お父さんが近くにいたラマ僧に何か尋ね、男の子に何か言った。私があれ?という顔をすると
「あなたが正しい。この子が間違っている、こっちへ回すんだ」とお父さんが言った。眼鏡をかけた、いかにも大切の育てられ、頭のよさそうな印象の一人っ子は、素直に逆向きに回し始めた。チョルテンの下に、ロープウェーの下側の駅がある。

 チョルテンから下りると、チベットロジーの学校がある。その先、オーキッドガーデン脇の小道を下の道路まで下ると、グルラカン・ゴンパに出る。時間的に5時を回っていたのでしまっていたが、お坊さんが鍵をあけてくれた。

鉄道予約センター
 出発前、訪問予定のNGOの人に、インドの鉄道事情について、いきなり行っても乗れるか、予約したほうがよいか尋ねたところ、時期によってかなり違う、混むときは混むので予約はとっておいたほうが無難、自分達はデリーに出るとき必ずとるようにしている、と言っていた。

 インドへ来る前、インド国有鉄道のサイトで希望日の列車の予約状況を確認したところ、すでに十数人のwaiting listだったので、気になり、町の北にある鉄道予約センターへ行った。
(サイトでは、カードを利用すれば引き落としでチケット購入が可能)。

 8時から営業を待っていると、そのへんにうろうろしている人が「絶対フルだ、前日にcomfortableチケットを買うしかない」という。
 8時に窓口があき、予定日のニュージャルパイグリ(NJP)からアラハバードまでの区間を調べてもらうと、第一希望は163人のwaiting list、第二希望は76人だ、という。
「まず買えないですよね?」
「無理だ、150ルピーよけいにかかるが、前日に来てcomfortableチケットを買ったほうがよい、でなければ当日NJP駅であたるしかない」とのこと。
 でも前日はペリンかダージリンに泊まる予定で、ダージリンなら予約オフィスがあると思うが、ペリンはまず無理。当日勝負で、いざとなったら二等でもいいか、ということにする。

その他
 ガントクから西へ行くと、中国との国境、ナチュラパスに出る。ここで人民解放軍の兵士と写真をとることが出来るという。行ってみたかったが、標高4000M以上とのことで、防寒対策も持っていないし高山病も怖く、あきらめた。

 ガントクではよく "How about Sikkim?" と聞かれた。タクシーの運転手、乗り合いジープで一緒になった地元ブチェア族のおじさんやチベット娘、お店のアーリア系の人など、地元民、移住者に関わらず聞いてくる。人も風景も日本に似ている、と答えると、うなずく人と、え、似ているの?という人といる。

 マハトマガンジーロードのようなメインストリートでお店やっている人にもアーリア系が多いが、一方、下層にもアーリア系が多いように感じた。道端にビニールを広げた小物売りや靴磨き、チョルテンへの道の脇にいた物乞い(シッキムで初めて見た)、皆色黒のアーリアンだった。
 国境の町は軍需もありお金も落ち、人も集まってくるのかもしれない。中国側のチベットでも、チベットで働くと他地域の2,3倍の収入になる、と漢族のタクシードライバーが増えているとの報道を新聞で見たことがある。

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Last updated:07/01/22 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.