1.7 韓国人バックパッカー
宿の食堂で、韓国人バックパッカーに会った。日本で1年ほど暮らし日本語を勉強したとのことで、かなり日本語がうまく、複雑な話もほぼ完璧にこなせた。
韓国人のバックパッカーは増えている。この後会った、インドで暮らす若い日本人のNGOスタッフも、「最近韓国人多いですよねー。あちこちでよく見ます。昔はどこ行っても日本人がいる、という話だったけど、最近は日本人をあまり見かけないです。みんなここまで来ないのかなあー」と言っていた。
バックパッカー君は世界旅行はこれでニ度目、会社を辞めてきた、という。大丈夫?韓国はすぐ仕事みつかるの?と言うと、たぶん見つからないかも、とのこと。前のときも会社をやめ、日本で1年間日本語を勉強した後、鑑真号で中国へ渡り、アジアをあちこち回った。
今回も中国からベトナム、ラオス、タイを回ってインドへ来た。
コルカタに入り、救世軍に宿をとったが、ベッドにいた虫に刺され酷い目にあった、と言うので、80年代にカルカッタを旅した際、救世軍に移ろうかイギリス人の女の子に相談したところ、「あそこは汚いし食事もまずい。行って見てきたほうがいい」と言われた話をすると、「そんな昔から汚いので有名だったんですが」とあきれていた。
ホテルマリアのほうがいいかも、と言うと、「そう、あそこのほうがきれい」、韓国人はパラゴンとセイントポイントにいるのだそうだ。パラゴンは80年代にもあったが、セイントポイントは初耳だ。新しいバックパッカーご用達宿だろうか。
これからベナレス、ブッダガヤに行きたいが、ブッダガヤは白人には有名ではないですね、仏教に興味のある人しか行かないようです、レーラダックにも行ってみたい、という。あと3ヶ月くらい旅行して、パキスタンで終える予定だそうだ。
家族は心配しないの?と聞くと、している、でも日本人にはもっとすごい人いるでしょ、20代で世界一周したとか、韓国人のバックパッカーは増えていますよ、中国にも中国人のバックパッカーがいっぱいいますよ、まだ海外には出ていないけど、国内を大勢歩いています、と言っていた。(中国人バックパッカーのエピソードは、『こころ熱く無骨でうざったい中国』(情報センター出版局)、『シルクロード路上の900日』(めこん)などにも出てくる。本を読んだ印象では、1日50キロ歩く、中国を北から南まで踏破するなど、男の子が満ち足りない思いをぶつけるかのように、軍隊の行進だか難行苦行のように歩いている感じだった。)
シッキムへは1週間前に来たが、ペリンではペマヤンツェもサンガチェリンもラブデンツェも見ていないという。
「シッキムのゴンパはつまらないですよ。みな新しいじゃないですか」と言うので、
「ダブディは良かったよ。1701年建立で一番古いほうだし」
「1701年じゃ新しいですよ」そりゃ極東アジアの感覚からゆくと、そうだ。1600年代後半以降だと、徳川時代の寺、ということになる。
「山だから、みな興味がなくて王国が残っただけじゃないですか?」
彼はトレッキングが好きで、ユクサムの近くにある湖に行きたいのだが、天気が悪く待っている状態だった。
インドもインド人の観光客増えたよね、シッキムなんかベンガル人の家族旅行学生旅行だらけ、という話になり、彼は中国にも小金持ちの観光客がいっぱいいる、そして中国人が中国人をだましている、バックパッカーはだまされない、川下りで彼らはバックパッカーには30元、小金持ち中国人用には100元のチケットを用意している。中国人の女の子から「そのチケットいくらで買った?」と聞かれたので「あなたいくらで買いました?」と聞くと「あたし、80元、イェーイ!」と言うので、「私は30元で買いましたよ」と答えたのだそうだ。
日本人に時々間違えられた、と言うので「殴られた?」と聞くと、殴られはしないが日本人に対する感情が良くないので、中国語が少しわかるため「あいつリーベンレン」と話しているのが聞こえると気になった、でもわざわざ否定しにゆくのも変でしょ、と言っていた。
日韓中関係の話になり、日本が北に厳しくしないのは、いずれ中国が強大になるから、南北、台湾、ベトナムあたりとゆるやかな連合を組むつもりではないか、と言うと、彼は「いや、日本政府は北は中国のもの、南と日本と台湾は一緒になることを考えているのではないか」と言う。
以前、有名な日本の作家で奥さんが在日朝鮮人の人が、中国へ行くと歓迎を受けるが、奥さんを伴うと近しさが全然違う、メイメイが来た、という感じで在日の奥さんには歓待度が高い、あくまでメイメイでジエジエではないのだが、日本よりも兄弟という感じで羨ましく感じた(文革期かその余波の残る頃の話)、という文章を読んだ話をすると「いつも攻められているから兄弟になったんですよ」と興味なさそうに言った。そして「日本は島だからいいですよ。ずっと安全じゃないですか」と言った。
中国へは台湾企業がたくさん進出して失敗した、そのあと韓国企業が行って失敗した、と言うので、中国に進出している日本企業でも、本当に利益の出ているところはどのくらいあるのかね、という話もある(そこで「私が利益を出す最初の企業になるんだ」といきまいている知人もいる)と言うと、「中国は難しいです」と彼は言った。
部落差別の話になった。彼は日本にいたが、まったく知らなかった、という(まあ、きっかけがなければ、わざわざ話す人もいないと思うが)。そして、「日本人が日本人を差別しているんですか?」とひどく驚いた。同和、という言葉は知っていたが、「あれ、て外国人と日本人の話ではないんですか?日本人同士のことだったんですか?」とこれにも驚いていた。
韓国にも、似たような存在はあったという。やはり特殊な職業につく人達で、住む場所も決まっていたが、今では皆その土地を離れバラバラになって消えてしまった、という。族譜があるが、お金を出していい族譜を買うことができ、まぜてもらえる、有名な大きいグループには入りやすい。アンドン(安東)、今でも日本のちょんまげみたいに男が髪長くしている、ああいう有名でも特殊な小さいグループだと入りにくいが。
私はたまたま、NGO時代の友人がその後解放同盟で仕事をしていたことがあり、いろいろな話を聞いていたので、そうした話をした。日本だとその土地を離れてもついてまわる、職業は弁護士や医者になっている人も多いが、それでもついてまわる、関西に来ると興信所の広告がやたら目に付くがあれは結婚時に関西のいい家柄の人は必ず調べるからだ、逆に関西の人は、関東の人はちゃんと調べないで結婚するから混じっている可能性がある、と嫌ったりする(このへん、知人の受け売り)。また、企業でも関西支店は必ず調べる、うっかり入れて何か問題があったときに団体から難癖つけられるのを避けるためだ(これは某全国規模の企業の人事担当者から直接聞いたことがある)、関西や四国の山村の嫁不足のところでも、部落もんを嫁にもらうくらいなら外国人のほうがいい、と言う(これも友人から聞いた話)、と話すと「そんななんですか?」、関東ではやっていないが関西では同和教育を学校でやっている、と言うと「公立の学校でですか」と驚いてばかり。
起源に関する話になり、こうした話を某大企業のそうした部署に勤める知人とした際「うかつなことは言えない」とタブー視され口をつぐまれたことがある、と断りつつ、弥生系が来たときからある、もっとも古いもので室町期までさかのぼるのでその頃発生した、江戸時代に徳川幕府が体制を固めるためにわざと作った、など諸説ある、本当のことはわからないほうがいいのかもしれない、と言うと、彼もうなづいた。
話題は天皇家に移る。「この前やっと少し認めましたよね、韓国とかかわりがあること。でもまだ隠していること、ありますよね」とバックパッカー君、私も「まだ公にしていないことがあると思う」。彼は、「出て行った人達のことは、こちらでわからないんです、記録がないから」と言うので、日本も最初は古事記と日本書紀しかなく、あれは神話だ、他の史書、資料がないからよくわからない、と答えた。
彼は「でもおかしいですよね、韓国から出て行った人たちなのに、なぜ韓国を差別するんですか?」と言う。そりゃ2000年近くたてば全然別の国なんじゃないの、と言ったが納得しない。「おかしいですよ、なぜ韓国から出て行った人たちがあんなにひどく韓国人を差別するのか」。
韓国で知り合いの老人たちから「日本人の半分はもともと韓国人ですよ、百済が滅んだときに渡ったりして」と言われた話をした。彼は「そんなに大勢は行っていないんじゃないですか」と言いつつ、そういえば、と「今の韓国北朝鮮の人達は基本的に新羅高句麗の系統です、日本には百済の人達がたくさん渡りました、そういうのもあるんでしょうか」と言った。
そういう発想はなかったし、歴史ロマンとしては面白いが、そうした意識は日本人にはないと思う。で、「たぶん、そういう潜在意識から差別しているのではないと思う。単にどの国でも隣は利害関係が直接絡むからお互い仲が悪い、それだけだと思う」と答えた。
ヨン様ブームから韓国語を学ぶ人が増えている話になり、彼は「バブルじゃないですか?」と言いつつも、帰りに日本に寄りたくなった、寄って韓国語教師でもしてちょっと稼ごうかなと言った。
ところでバックパッカー君は、旅行を終えたら韓国に戻る、農業に興味があるという。「ひょっとして有機農業?」「そうです、自分で食べるものは自分で作るべきでしょ」なんだか発想が似ていて、身につまされる。
インドで活動するNGOスタッフの若い日本人にこの話をしたところ、「インドを旅する若者、てそういうタイプなのかもしれませんねー、どの国の人でも。でも、いいことじゃないですか、アジアにもそういう若者が増えるのは。韓国にも有名な有機農業の人がいますよ」と言っていた。
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