1.8 シッキムのチベット系中国人
中国から来たチベット人と話すことができた。差障りのある可能性もあるので、どこで会ったかなどは書けないが、彼のような人は多いと思う。
中国語を話す人は結構多い。シッキム地元の人は、英語の "How are you" と同じ要領で、よく使う中国語のフレーズを暗記して使っている。ただ、時に中国語で答えると急に流暢にしゃべりだす人がいる。そういう人は、まず中国からインドへ来たチベット人だ。
彼も、何かの拍子に中国語をしゃべったので、あれ、と思いつつ中国語で答えると、流暢に話しだした。なぜ中国語を話す人が結構いるのか尋ねると、最初は、台湾の観光客も多いしね、と言っていた。
それにしては流暢なのと台湾なまりがないので、どこで学べるのか聞くと、チベットから来たんだ、と言った。
現在26歳、21歳のときに中国を出て最初はネパールに2年いた。次にインドへ入りダルムサラに2年、そしてシッキムへ来た。両親も兄弟も青海省にいる。
なぜ中国を出たのか聞くと、皆アメリカへ行くとかいろいろ言っていて、自分も外に出たくなった、それでまずネパールへ出たんだという。
元々は蘭州にいた。15,6歳までは家族も周りも皆蔵語(チベット語)だった。その後家族で青海省に移り住んだが、蔵語だけでは生活できず、それで中国語を学んだ。
家族とは会えない、と言うので、「インドへ来ると中国へは戻れない?」と聞くとそうだ、という。でも電話はできるので愚痴を言っている。先生や友達はみな中国なので、懐かしくなることもあるらしい。
彼はダルチョのことは Oim Tsi zemmoとも言う、と言っていた。大きい布地は Dorma だという。(ダルチョ、ルンカは聞く人によって、いろいろ呼び方が異なる。)
ところで、シッキム地元民で観光に関わる人から、今までは英語だけだったが、ベンガル人観光客が増えているから、これからはベンガリを勉強したい、という話をよく聞いた。
必要から青海省では中国語を学びネパールではネパール語を学んだこのチベット青年も(彼はシッキムはもともと蔵語だった、それがネパール語が共通語になったんだと言っていた)、これからはベンガル語をやることになるのだろうか、とふと思った。
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