シッキム旅行記(2005年)
 

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 2.二等夜行列車

 朝7時前、ゼロポイントにスノーライオンのシリグリ行きバスが来た。そこから乗せてもらったい、少し下ったホテル街の正式な停留所前の店で切符を購入。

 大型バスだがヘアピンカーブの連続を下れるのか、と一瞬不安がよぎるが、ペリン-ゲイジン-ジョレサンの道は、ユクサム-ペリン間よりもはるかに整備されていた。それでも、大きくハンドルを切るときには、別の男性が一緒になって重そうなハンドルを回していた。

 乗客は地元のモンゴル系やベンガル人家族旅行客で、ほぼ満席。
 レッグシップへ下った後は、ガントクへの道と別れ、橋を渡らずに、タクシ経由の道を通った。道は Rangit 川沿いにどんどん下る。川っぷちに地元のゴンパが見える。

 ジョレサンは、最初ダージリンへ行った場合はここからシッキムに入る予定にしていた町。けっこう大きい町で都会だった。
 ここでバスの車両の調子が良くないとかで、別のバスに乗り換えて出発。

 次第に山谷の高低差が小さくなり、おだやかな山並みで日本に似た風景になる。メリバザールを越えたあたりからは、シリグリからガントクに来たときと同じ道を通る。
 このあたりでは猿が道に出でくる。見たところ、顔立ちも毛並みも体格も、ほぼニホンザルそっくりだが、長い尻尾のある点だけが違う。
 例の "We want Gurkhaland" のスローガンを通過、鉄道線路を越えるところまで来た。

 ここまで来ると平野になり、巨大な川となった Teesta 川を左手に見ながら南へ向かう。林を抜けると、典型的なインドの町並みになり、昼ごろシリグリ到着。


 シリグリから特急の停まる鉄道駅ニュージャルパイグリ(以降NJP)までは約4,5キロある。シリグリにも駅はあるのだが、ローカルなので本数の少ない可能性が高い。どのガイドブックにも、リキシャ移動については載っていても鉄道移動については言及していないので、おそらく現実的でないのでは。

 駅までずっと大通りぞいなので、バスは通っているはずだが、できるだけ早く駅について切符を買いたかったのでリキシャにした。最初50Rsと言ったので、歩き始めると20Rsまで下がった。おそらくこのあたりが相場のような気がするが、荷物もあるし、降りる際25Rs支払う。

 NJP駅はどの窓口も切符を購入する人で行列している。翌日以降の予約窓口、二等専用窓口など、番号によって扱いが分かれている。
 当日券は1番ホーム、と言われ、1番ホームの駅員室へ行く。「アラハバード?今日?」と数人でごちゃごちゃやっていたが、「ない、どうしても今日乗りたいなら、7番でセカンドを買って乗るしかない」と言うので、二等を購入。二等はNJP-アラハバード間の長距離が日本円で千円未満と格安だ。

 安くても座れない確立大なので(アラハバードに朝10時に着くノースイースト急行はNJP始発ではなく、アッサム州のゴーハティから来る)、駅のトイレで歯磨き、洗面をすませ、荷物を安全を考えつつ分けて詰め替え、すぐにでも荷物を置いて座って寝られる体制にする。また、かなり混雑して中でトイレ移動できない可能性も大なので、お腹をこわさないよう食事を避け、水も極力とらないようにした。

 ノースイースト急行が5時に来る3番ホームでは、先に出るバンガロール行きを待つ人が大勢待っている。
 ホームや陸橋では犬が惰眠をむさぼり、線路を牛が歩いてゆく。
 ホームには列車番号が電光掲示板で表示されるので、間違えないしわかりやすい。


 バンガロール行きのセカンドが最後尾だったので、そのあたりで待っていると4時40分頃、列車番号5621番、ノースイースト急行が入ってきた。なんとセカンドは先頭車両。焦って先頭へと 走る。

 中はすでにものすごい混雑で、と中の人はもう乗れない、と言うが、かまわず乗り込む。後から後から人が入ってくる。すでに廊下にも人がびっしり座り隙間もない。かろうじてトイレへの出入り口付近に場所を確保できそうだったので、荷物をおろそうとすると、車両内の人たちが「シスター、シスター」と声をかけ、「そこへ荷物を置け」と棚の上を指差す。大丈夫、と言っても、ベンガル爺さんたちが「そこに荷物を置け、さらにそこに登れ」と言う。通常は荷物置き場になる棚の上に、アーミーが一人ずつ乗っていた。奥のほかの棚にも2,3人ずつ乗っていたが、アーミートランクを抱えた彼らは、一人一つ占領していた。

 爺さんたちは「これからもっと乗ってくるから、上に登れ」と言う。また、半分開けてくれたモンゴル系の兵士も、人がよさそうに見える。そこで言葉に甘えて上がらせてもらうことにした。これはこの後の状況を考えると、非常に助かった。

 向かいの兵士は一人で占拠しており、誰かが何か言ったが、アーミー何たら、と彼が言うと誰も何も言わなくなった。
 出入り口付近は後から後から入ってくる人で押され、すごい騒ぎだ。ボックス型の長椅子には、片側6人くらいづつ窮屈そうに座っており、さらにその膝の上にも座っている。
 乗客はほとんどが男性だが、若干女性もおり、ほとんど夫婦連れ。ホーリーでピンクや紫の人に染まった人も多い。
 車内は進行方向右手にボックス席が並び、左手に横向きシートが続く作りで、ボックス席の上の棚は人一人十分寝たり座ったりできる広さと高さがあるが、左手の網棚は日本の電車の網棚と同じタイプ。そこにも人が寝ている(天井との距離が近く、座れる高さはない)。さらに、左右の棚に毛布をくくりつけ、ハンモックを作って寝ている人も何人もいる。よく落ちない、よく体重でほどけない結び方ができるものと感心。

 兵士は二人ともモンゴル系なので、ミゾラムか、と聞くと、なんとマニプールから来たという。マニプールに行ったことあるよ、と言うと、えー、どこ行ったの、という会話になった(マニプール訪問について、詳しくはこちら。おもにナガ族とクキ族の村を訪問した)。
 彼はメイテイ族でインパール出身。メイテイ族は元来山岳民族のナガ族やクキ族とは異なり、昔から平地に住み、稲を栽培するモンゴル系民族で、早くにヒンドゥー化した。かつて王朝があり、ビルマとよく交戦した尚武の民で、ポロ発祥の地とも言われる。マニプリダンスでも有名。彼もヒンドゥー教徒で、最初私のことをネパリかと思った、ジャパニなら仏教徒か?、とにかく同じモンゴロイドなので呼んだんだ、下はすごい騒ぎだろ、という(シッキムと異なり、車内は普通のインド人の顔立ちばかりで、モンゴル系はこの3人だけだった)。

 列車は定時に出発した。まだ入り口付近は座る余地もなく、立つのもやっとの人々でわさわさしている。だんだんに車内奥に移動していく。
 これだけ混んでいれば、逆に荷物丸ごとは盗られないだろう、という感じだ。アーミーも、同じ棚の一人はアーミートランクとナップをチェーンで棚に繋いでいたが、向かいの人は繋いでいない。

 次の駅でも次々に人が乗ってくる。下では騒ぎ声、さらに次の駅では赤ん坊連れの親子と老婆も含めた女性4人と男性一人の一家が乗ってきた。入り口の人がだめだ、もう乗れない、と言うが、母親がものすごい剣幕でまくしたて、強引に乗り込んだ。混雑で押され、母親は倒れそうになる。みなが赤ちゃんを守れ、赤ちゃんを守れ、という感じで騒ぎ出し、ハンモックで寝ている青年を起こし、いっとき赤ん坊を預かれ、と指図する。若者は上から赤ちゃんを抱き上げ、これまた慣れたようすで上手にあやす。その間に皆ワアワア、Ladiesがどうこう言いつつ、長椅子に座っている男性二人を促して立たせ、母親ともう一人の若い女性を座らせた。そして老婆と中年女性は疲れ切った様子で廊下に座った。赤ん坊は母親の手元に戻される。このグループの唯一の男性、大人しそうな父親は、出入り口付近で座る余地もない人々と一緒に立っていた。彼らは辛抱強く、この後も長時間立ちっ放しだった。

 この若い女性を優遇(ある意味事件を避けての隔離かもしれないが)する感覚は、極東アジアと異なり、正直違和感はある(老婆を座らせるべきだと思ってしまう)。以前カルカッタに数ヶ月滞在した際も、バスで老人に席を譲られることがあり戸惑った(インド女性は当然といった様子で座る)。
 一方、インド人は男性も子供をあやすのが好きだし上手だ。このときも、母親がバッグから何かを出したりする際、周りの見ず知らずの男たちがすぐに手を出して赤ん坊をひきとり、あやしている。しかも手馴れている。これはいいなと思う。
 この赤ちゃんはお利口さんで、さいごまでぐずったり泣きわめくことがなかった。

 いったん落ち着き静かになったところで、一人の男が急に立ち上がり、床に座っているLadies をここに座らせろみたいなことを言い出し、座っている男性に譲れだか何か言った。男性が言い返し、またワアワアしてくる。いったん落ち着いたんだからやめてくれよ、という感じだ。床に座っている人たちの中には、膝の上に顔を突っ伏し動かない人もいる。男は強引に例のグループの中年女性を座席に押し込み、老婆だけが床に残された。

 列車が駅に停まるたび、夜食売り、チャイ、パニボトル(水ボトル)売りが 窓の外に来る。兵士らは、小型のチャパティにカレーをかけたものを買って食べていた。あなたも食べないか?、チャイは?と聞かれたが、この混雑でトイレに行くのがこわいので、飲まず食わずでゆく、と言うと納得していた。
 奥の人は注文とお金を伝言で渡して行き、窓際の人がやりとりするのだが、一度、品物とお金の勘定が合わなかったようで、玉子売りの少年が動き出した列車の窓につかまり、何かワアワア言っていた。が、やがてあきらめ、降りた。

 夜8時頃到着したBarsoi駅では、警官が乗ってきて座席の下に何か仕掛けられていないか調べていた。NJPではバンガロール行きを警官が同じように調べていた。

 どの区間かはっきり覚えていないが、まだ夜中を回らない頃、列車に投石があった。このことは、ダージリンにトレッキングに行った人の旅行記をネットで読んだときにも出ていた。
 旅行記によれば、ローカル列車でNJPからパトナへ向かう際、窓際に座っていると制服の男に何やら警告を受けるが何を言っているのかわからず不安になる、列車が走り出し、しばらくして突然窓に石がぶつけられたような音がした、周りのインド人もきょろきょろして窓を閉めもっと奥に座れという、子供のいたずらか何か意味のある行為かわからず、不安だった、とある。
 ノースイースト急行も投石を受けた。車体にバラバラドスン、と小石や、やや大型の石をぶつけられた音がし、窓際の人たちがワアワア言いながら一斉に木製の雨戸を下ろしはじめた。一人の男は窓枠に頭を寄せて眠り込んでいる。他の人が閉めろ閉めろ、というのにその男はうすく目を開け、大丈夫というように手を振り、窓を開けっ放しのまま、再び眠り込んだ。しばらく車体にばらばらと投石が続く。やがて一段落すると、また皆雨戸を開けはじめた。男は何事もなく眠ったままだ。

 おそらく、ビハールやジャルカンド、オリッサなどで活動する反政府武装集団ナクサライトではないかと思うが、よくわからない。ただ、ネットの話からも、人々の反応からも、恒常的に投石を受けている感じがした。投石するくらいなら、置石をして脱線させることもありそうだが、今のところそうした話は聞かない。
 でも急行はかなり高速で走っており、気にはなる。NJPやコルカタからデリーへ向かう列車は、インドでも最貧州の一つ、ビハールを横断する。インドにもマオイストがいるというし、貧困から反政府という道筋は気になる。

 列車が停車するたびに人が増え、遂に真夜中に着いたKhagaria駅かBegu Sarani駅では乗客が扉を開けないようにしたらしく、乗れない人たちがホームを走り回っている。殺気だった人たちが、ドアをバンバン叩き、怒鳴り声、それに対し中の客も何か言い返し開けない。正直、暴動になるのでは、ドアが破られたら中の人たちは仕返しにどやされるのでは、と一瞬緊張した。電車が走り出しても、まだホームを人が走り扉が叩かれていた。

 車内はひどい混雑ぶりなのだが、たまに空いているところがある。一つはアーミーのいるこの二つの棚で、もう一つは後ろのボックスのやはり棚の上だ。そこはもともと2人いたのだが、若い方が何か言って男性を下に追い出した。彼は一人で寝そべり、ゲームをカチャカチャやっている。
 また、ある男は、細いほうの網棚に置かれた2つの荷物を強引に下におろし、自分が登って寝そべった。アーミーはともかく、なぜこういうことが可能なのかよくわからない。回りも最初はワアワア言うが、降ろし始めるとそれに従う。そして荷物の上に座る。どういう力関係なのか(強く言った者勝ちなのか、カーストその他あるのか)よくわからない。
 またある者は、人の寝そべった網棚に浅く尻をかけ、脚を向かいのボックス席の棚にかけて座った。バランス悪そうだが、立錐の余地もない下よりましなのだろう。廊下をまたぐ格好になるので、トイレに行く人がじゃまだと怒り、周りも足を引っ張って下ろそうとする。寝そべった人もじゃまだとお尻を押す。その男は sorry sorry と表面下出に出た猫なで声でさかんにあやまるが、頑として下りない。でみんなあきらめる。

 メイテイ族の兵士は、棚を空けてくれたほうがガピー、向かいがボムサという名で、英語のできるガピーがボムサにマニプリで訳す。
 ガピーさんは3月始めに結婚したばかりで、2週間妻と一緒に過ごし、別の部隊に移動になりデリーまで乗るという。そこからさらに駐屯地まで移動すると言っていたが、どこかは言わなかった。ボムサはアラハバードまで乗りそこの部隊に入る(だから電車を下りるとき、駅を間違えないよ、と言われた)。分かれるとき、ガピーさんの新妻は crying crying、でも秋になったら3ヶ月オフが取れるからマニプールに戻るという。
 彼は4人の兄と一人の姉がいる末っ子で、兄はみな結婚しており、自分の妻が両親と住み家を守っている。
「結婚することが大事だ。あちこち行ってあちこち見るより、妻や夫と一緒に過ごすことのほうが大切だ」と若い彼に諭された。
 ガピーさんは楽にしてくれ、と言ったが、下の混雑を思えば座れるだけでOKなので、私は端に座って、彼は横になれるようにした(最初にこの場所を確保したのは彼らだし、それは横になるためだったと思うので)。
 彼らには、モンゴロイド特有の人懐こさと素朴さを感じた。何となく、ガピーさんの部隊は、デリーということは、パキスタンとのボーダー(カシミールなど)ではないか、と気になった。

 夜中2時頃停まった Barauni 駅で列車の前後が入れ替わり、セカンドが最後尾から2つ目となった。最後尾はluggage車両。スリーパークラスの車両がほとんどでセカンドは少ない。

 下のボックスでは、ぎゅう詰めに座った男たちが、膝の上に毛布を広げてトランプをしている。こういうとき、インド人は静かに淡々とゲームをしており、中国人のように熱くなって騒がない。たばこの回しのみも、黙ったままよくやっていた。それ以外の人は目をつぶっており、この頃は人の乗り降りもあまりなく、車内は静寂だった。

 強引に網棚を占領した男が、何に苛立っているのか時折大声をあげていたのだが、急に、水ボトルを投げて何かわめいた。上へ行きなさい、と指示してくれたベンガル爺さんと口論が始まった。爺さんは相当腹を立て、手を振り上げている。周りが一斉に立ち上がって爺さんを抑え、なだめている。なんとか収まり、爺さんはしばらく興奮して何か言っていたが、周りがなだめる中、窓に顔を伏せてしまった。なだめた男の一人が、網棚男をしばらく睨みつけていた。網棚男はその後、すっかり大人しくなった。
 車内に静けさが戻った。しばらくすると、今度はすすり泣きが聞こえてくる。突っ伏している爺さんかと思うと、爺さんの膝に頭を乗せ、頭に布を巻いた大男が泣いている。状況が読めない。それ以外は静か。二人の兵士はぐっすり寝ている。

 4時にパトナ到着。ここから人が下りはじめ、若干すいてきた。

 5時半ころから明るくなり、走行中の列車のドアを開け、外を見ている人もいる。今度は別の老人と男の間で口論が始まった。一人が手をあげ、シリアスになりかかると、回りが立ち上がって止めに入る。床に座っている女性や子供は、周りが立ち上がってもじっと座ったまま顔を伏せて動かない。男性にも、顔を伏せ動かない人がいる。この喧嘩にボムサが何か言ったが、ガピーが止めた。

 駅に到着するたび、朝食売りが来る。小型の紙の弁当箱に入っており、おいしそうだが、下痢がこわいのでがまんする。中身はチャパティを重ねた上に何かかかっているタイプで、ガピーさんたちは「自分たちはチャパティでなくライスなのだが」と言いつつ食べていた。
 長めの停車だと、人々は降りて外のトイレに行ったり、顔を洗ったりしている。一度、停車時間がそう長くなく、列車が動きだしてしまい、トイレに出ていた人たちが大慌てで戻り、ワアワア乗り込んでくる一幕もあった。

 外に出ない人たちは、指で歯を磨き、水でくちゅくちゅ漱いで窓からペッと吐き出している。女性たちもくちゅくちゅ漱いで吐き出していた。女性たちが、列車のトイレを使うため移動するのはほとんど見なかった(一度中年おばさんが移動していたので、タブーではないと思うが)。

 今度は、トイレ待ちをしていたボムサが一人の男と口論になった。体格のいいボムサが手をあげて威嚇し、ガピーが止めに入った。とにかく喧嘩が多い。ただ殴りあいまで至ることはなかった。

 8時ムガールサラニに到着、ここでも結構人の乗り下りがある。
 次はアラハバード。アラハバードに近づくと大勢の人が荷物を持って出口に移動しはじめた。下に座っていた男性も立ち上がり、出る準備をしながら、私の顔をじっと見つめる。何やら言うが、わからない。男は顔を指し「wet wet wet」と言った。汗をかいているとでも言いたいのだろうか?
 別の男もじっと見つめている。ニコリともしないので、外国人だからその他で、何か不興でも買ったのだろうかと不安になる。
 するとガピーさんが「顔を洗ったか聞いている」と訳してくれた。男がまた何か言った。「歯を磨いたか聞いている」
 「いや、まだです」と答える。ガピーさんが男に、トイレへ行けないのでチャイを買ってあげようと言っても飲まないようにしている、等々話し始めた。男らは笑ってうなずいた。
 インド人にじっと見つめられることがあり、何を考えているのかわからない、とよく思っていたが、意外に普通のことを考えているんだな、とこのとき感じた。
 男らは「ホーリー、ホーリー」と言った。ガピーさんがみなホーリーで故郷に戻ったり出かけていたんだ、という。

 ボムサが下り始め、私も後についてゆく。かなり降りるが、まだ残る人も大勢いるので、足の踏み場に苦労する。親切にしてもらった二人に挨拶して別れ、顔も洗わず歯も磨かない汚いジャパニと見られるのもいやなので、さっそく駅の洗面所(ホームにちゃんとある)で洗面をすませた。

train-3.jpg

ガピーさん(左)とボムサさん

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Last updated:07/01/22 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.