シッキム旅行記(2005年)
 

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 4.デリー

 アラハバード−デリー間の列車は、スタッフがとってくれていた。アラハバード夜9:30発デリー朝7時着のプラヤークシのセカンド ACで、”この列車は遅れることがなく、ちょうど列車の中で眠れるので、非常に便利”、とお薦めの列車。
 車両の外に、コンピュータから予約者名簿と座席番号を打ち出した紙が貼られており、自分の車両がすぐにわかる。
 席は寝台車の2階で、結構広く、シーツ、枕、毛布完備でなかなか快適。車掌が座席をチェックに来る。席はほぼ満席だが、若干あいていた。ただ、この後の駅からも乗ってきて、デリー到着時には埋まっていた。
 各車両にはトイレが2つ、洗面台もついている。隣の車両との間はシャッターが下ろされ、移動できない。また、カーキ色の制服を着た警備員が銃を持って立っていた。

 知人から、ダージリンで会った3人のイギリス人女性たちは、一等車の夜行でパスポートから何からすべて盗られていた、一等車は護衛付きなのに、護衛がすりになるとも限らないということでしょうか、という話を聞いたが(彼女は”特等車に乗るのはやぼなこと”というポリシーの人)、夜トイレに出たとき、警備員が壁から引き出す形の寝台に何も敷かず、何も掛けずに横になっていた。
 大変な仕事だよな、と感じた。車両間移動ができないので、車掌がしょっちゅうチェックするわけではなく、途中で乗客のような顔をして入り込み、空いている寝台のカーテンを下ろしてしまえばわからない。一等客にもピックポケットはいるかもしれない。知り合いの男の子(日本人)は、スペインで日本人旅行者にだまされ、かなり盗まれたので、外国人旅行者だってありうる。
 警備員を悪く言う気にはなれなかったし、二等のほうが安全とか下層の人たちのほうが温かくて親切、とも単純に言えない気がする。状況によると思うし、そのイギリス人たちのことも、車内か乗り降りの際か、真相は不明の気がする。

 2nd A/C の車内は家族連ればかりで静かだった。二等でも、話はしていたが、そう騒がしいわけでもなく、うるさくて眠れないことはなかった。駅でもアナウンスも何もなく発着するし、インドの鉄道の総じて静か。中国や日本など、極東アジアのほうが騒音に満ちている。

 8時頃デリー到着。のんびりしている家族もおり、皆ゆっくり降りてゆく。
 コンノート側の出口に出る。多少リキシャの客引きはいるものの、しつこくない。コンノートで若者から、「政府の税金に反対するストライキで、コンノート一帯はお店は休みだよ、エンポリウムならやっている」と声をかけられるが、怪しいので適当にあしらう。
 デリーはかなり暑い。荷物を持ち歩かなければならないため、デリーのはとバスに乗ることに決め、アショカツアーで午後からのオールドデリーツアーに申し込んだ。このとき、ストについて聞くと、確かにやっている、3日間たいがいの店が閉まっている、と言う。嘘ではなかった。

 エンポリウムへ行くと、ここもほとんど閉まっていた。期末在庫チェックだの、他の理由で3月いっぱい休み、と張り紙されているところも多い。
 そこで国立博物館へ行くことにした。9時半からなので、ジャンパト通りをぶらぶら歩いて行った。手前の議事堂と勝利門の一画が、きれいに整備されていて美しい。それにしても、牛を見かけない。物乞いも減った、というかあまり見かけなくない(コンノートの地下では見かけた)。犬もうろうろしていない。1980年代に比べ、行くたびに普通のビジネス都市になってゆくようだ。

国立博物館
 博物館は、300Rsを払うと写真を撮ることができる。ただし、ハラッパー関連の部屋だけは撮れない。有名なハラッパー遺跡の踊り子の像が、かなり小さい(小指くらい)だったのには驚いた。

 1階はグプタ朝などの彫刻が多く、いいなと思うとたいていVishunu神像。
 南はやはり変わっていて、ケララの死神や、タミルナドゥの家の門の守り神など、かなりエキゾチックだ。
 細かい装飾の施された装身具、宝石類はラジャスタン、ムガール帝国の細密画も多数展示されている。西洋の肖像画風のムガール帝国の王や王妃の肖像を、多数陶器に描き、木製の屏風にはめ込んだ作品もある。

 2階は準備中の部屋も多かったが、海洋展をやっていた。3階は海外の美術展や、ナガ族関連のものを展示した部屋があり、これは貴重。古い写真も多く、収集品も多い。見ているとかなり土俗的で、現在のナガランドとは何となく雰囲気が違う。むしろ古い(戦前の)台湾の高砂族の写真などに、受ける印象が似ている。

 3階にはレストランがあり、外国人やインド人家族が入っている。地下にはCanteen(大衆食堂)があり、格安だがおじさんばかりだ。

 博物館は結構人が来ていて、特に1階は混んでいた。欧米系もいたが、大半はインド人、出てゆくとき、小学生を引き連れた一団に会った。

オールドデリーツアー
 ジャンパトホテルに1時半に集合、2時15分にオールドデリーツアーが出発。参加者は初老のイギリス男性とインド国籍で現在アイルランドに住むインド人一家の計5人、車はバンだった。

 まずラクシュミーナラーヤン寺院へ行く。ビルラ財閥が建てた新しい豪華寺院で、前回友だちと回ったな、と記憶がよみがる。
 ガイドがつき、いろいろ説明してくれるが、さかんにインドが世界一偉い、様々な宗教の元になった、イギリスはそういうものがないでしょ、と言う。老人は特に争わず、頷いている。

 次にガンディー廟(ラージガート)へ行く。ここは初めて。
 ラージガートはきれいな公園で、丘の下に入り口がある。ここで靴を脱ぎ、トンネルを抜けると中庭で、中央に火がともされている。ガンディーはここで火葬に付された。大勢のインド人が参拝に来ていた。
 ネルーが火葬に付されたシャンティ・ヴァナ、インディラ・ガンディーが火葬に付されたシャクティ・スタルなどもこの北にある。

 最後、レッドフォートへ行く。ガイドはここはスリが多い、特にバングラから来た人たちにそういうのが多い、と言ったので、やはりみな隣国はきらいなんだな、と思う。

 前回は確か外国人もインド人も25Rsでお釣がないと言われたが、今回はインド人値段と外国人値段が明確に別れ、外人は100Rs。一方、バスでもお店でも、お釣がないと言われることがほとんどなくなった。何か国をあげてのクリーン作戦&外貨獲得でもやっているのだろうか?強引な客引きもいないし。

 ここでもガイドは、イギリスはインドの宝をみんな持っていってしまった、クイーンエリザベスの王冠の宝石はインドのものだ、これはあなたに言っているのではない、と男性に言いつつ、一席ぶった。私が、日本人が中国行けば同じようなこと言われるさ、と言うと、アイルランド在住インド人が yah と言った。

 ここも友人と来ているので、お城そのものよりも、建物の中でやっていた武器展を見学。古代から現代に至るまでのインドの武器の展示している。大勢インド人が来ており(家族連れも多い)大混雑で歩くのも大変なほどの賑わいだった。
 やはり冷房の入った車で移動できるのは楽で、自分で歩いたりバスに乗ったりリキシャと交渉するよりも疲れない(荷物がなければそれもよいのだが。博物館では預かってくれたが、町にコインロッカーのようなものがあればいいのに)。


 ツアーのあとは、空港行きバスの出るコンノートに戻り、周辺の本屋で地図を探す。ストで閉まっている店も多かったが、English Book Center が開いており、ここで東北インドやアッサム、シッキムなど州別の地図を購入。
 半坪ほどの別の小さい本屋で、ロンリープラネットから出ている車旅行用のインド地図帳を見つけた。いくらか尋ねると、後ろを見て15ドルとあるので750Rsと言った。ホテル内の本屋で285Rsで出ているのを見ていたので、帰ろうとすると、今日はもう店じまいするのでいくらでもいい、いくらなら買う、とおやじさん、手伝いの少年も同様に言った。ためしに250Rsと言うと、OKと言うので買った。仕入値売値の原価計算はどうなっているのだろう?

 コンノートのNブロックあたりには、今風のカフェやレストランが並んでいる。その一つ、バリスタカフェ(インドのスタバみたいな感じ)に入った。店内には若者がいっぱい、コーヒーフロートとアップルパイでほぼ100RSと決して安くはないのだが、このくらいの遊ぶ金を払える人も増えているようだ。

 バス乗り場へ行き、バスが来るまで駐車している車をチェック。半分くらいがスズキマルチ、あとタタ、ヒュンダイ、そしてたまに三菱、さらにたまにトヨタだった。ジープはシッキムでもよく見かけた、マヒンドラと書かれた車輌だったが、地元メーカーなのかよくわからない(タタならタタと書くと思う)。
 夜9時にバスが来て、EATSの職員が全員乗せ、確認して出発。このへんも以前に比べ、自分の職務を忠実にてきぱきこなすようになった気がする。

 大体、1997年にラダックに行ったとき、ジャンパトホテルからコンノートのバス乗り場まで、夜歩いたのだが、そのときは、通りに寝椅子を出して人が寝ているわ、犬がうろついて吠えているわ、といった感じだった。それが今では車の通りも激しく、日本の大通りと同じで、とてもそんなことができそうな雰囲気にない。

 空港に着くと大混雑で、セキュリティチェックに行列している。中華は朝3時半なので、2時にはさすがに空くのでは、とのんびりしていると、係の女性がやってきて「中華ですか?今セキュリティチェックに1時間半かかるから、並んでください」と言われる。
 空港にはこうした若い女性係員が大勢いて、テキパキ動いている。ちょっときょろきょろしていると、Yes, Mam なんですか?と聞いてくる。みなトランシーバーを携帯しており、トイレにまでガーガー言わせながら入ってくる。こうした若い女性の活用や、今風の制服でテキパキ働く指導など、働き方も感覚も、ここもなんだか随分変わった。

 セキュリティチェックでは横入しようとする人がいたり、間に合わない、と後ろに並ぶ人が泣きついて前に出たり、青い制服姿の人たちが一般客を尻目に次々チェックを受ける様子に、インド人爺さんが英語で、「みんな並んでいるのになんであの青い服来た連中は特別扱いなんだ、おかしいじゃないか、彼らも並ぶべきだ」とくってかかったりしたが、2時前後にはほぼ並ぶ人もいなくなり、大方の飛行機も出発して静かになった。

 中華の乗客の半分はインド人、シーク教徒もけっこう多い。残りは台湾人で、団体観光客がほとんど。
 機内に入ると、とたんに新聞雑誌のラックから、水着姿の女の子の写真が眼にとびこむ。台湾版グラビア雑誌の表紙で、見慣れた文化だ、やっぱり極東アジアは享楽的な文化だなー、と若干恥ずかしくなった。
 (インドの軍隊に入る若者の間では、東北インドに配属になると、モンゴル系の住むところは性のモラルがゆるいから天国だ、と大喜びする、と以前会議室で読んだ記憶がある・・・)

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   デリー
   国立博物館

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Last updated:07/01/22 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.