3.2.アラハバード2−プロジェクト訪問
アジア学院の卒業生など数人のスタッフが、近郊のパイロットファームをまわる車に同乗させてもらうことができた。
最初に訪問した村は、養鶏プロジェクトをやっていた。ホーリーで150羽の鶏がすべて売り切れており、今はちょうど1羽も折らず、雛を注文しているところだという。
この養鶏プロジェクトはJICAのプロジェクトにもなっており、村人に貸付を行い、雛を育て、売れたら貸したお金を回収する仕組み。この訪問では、そのお金の回収も兼ねていた。今のところ、養鶏は儲かるようで、やりたい村も増えている。
お金の返済では、どの村でも、まず受け取った金額を数え、スタッフが何がどうこう、と言うと、村人がまた十ルピー札を数枚奥から出してきて渡したりしていた。お金は受け取るたび、必ずみなの前で淡々と数えていた。
その後、最初の村では年配の女性と、タイランドがどうこう、ビザ、パスポートがどうこう、という話になった。ちかじか、タイで有機農法や衛生などを学ぶトレーニングコースがあるそうで、インドからも、ムスリーその他から大勢参加する。この周辺の村からも3人が選ばれ、彼女もその一人だという。
このあと、牛糞によるバイオガス発生装置などを見学。
車で来る途中見た村では、ちょうど麦刈りの最中だったが(畑で働いているのは全員女性だった。通常、朝9時から12時、午後3時から6時まで畑仕事をするという)、この村ではもう刈り取りが終わり、麦わらが積まれていた。
麦は11月に植え、3月末に収穫、稲は7月から田植えがはじまり、10月に収穫。そのため、麦畑に畦がある。
次に訪問した村でも養鶏をやっており、ここもホーリーで売り切れ。雛代2200Rs、飼料代3600Rs、鶏肉は約280キロになる。1キロ40Rsなので11200Rsで売れる計算になる。
最初の村もそうだったが、村に入ると村の人たちが両手をあわせ、「ナマステジー」と挨拶をした。
村には、種がつくまで放っておいた大根の茎のようなものが干されており、聞くとマスタードだった。これから叩いて落とすのだろう。
背丈よりも高い、明日葉のように幹の硬いホウキ草のようなものも大量に干してあり、聞くとダール豆。
村の池は、魚を飼ったり水牛を洗ったり、野菜の水やり、家を建てるレンガをこねたりするのに使う。
この村からは、若い女性がタイでの研修に選ばれたが、父親が反対しているので、その説得に来た。父親は市場へトマトを売りに行って、留守だった。きれいな、頭のよさそうな娘で、心配そうにしている。
帰りを待つ私たちに、お婆さんがサモサに見えるものを持ってきた。聞くとサモサでない、ホーリーの時の食べ物で、皮の中にスージーが入っているという。つまり甘い揚げたお菓子だ。
なかなか帰ってこないので、では行くか、という時、自転車に乗ったあごひげをたくわえた父親が戻ってきた。
卒業生が説得にかかる。娘はいてもたってもいられないようすで、マンゴーを持ってきて「マダム」と私と年配女性スタッフに渡し、心配そうになりゆきを見守っている。ときどき、父親が怒ったように何か言う。
さいご、お互い「ダンニャバード」と言って握手をしたが、二人ともニコリともせず、話は最後まで(特に父親が)怒った感じなので、説得に失敗したのかと思った。
車の中で聞くと、卒業生も女性スタッフもにこにこしながら、成功した、許可してくれた、という。
三番目の村を訪問。ここでも大豆に似た豆を干しており、またブドウのような木の実を干していた。この実は干すと甘くなり、発酵させると度数の高い酒が作れる。どこも収穫時期で、日本の秋のような雰囲気だ(ただし季節はこれから暑くなるが)。
ここではまず、雛鳥にワクチンをつける作業を行った。雛をつかまえて卒業生に渡し、彼が雛の眼にワクチンを点眼してゆく。村人が大勢見に来ていて、小さい女の子も一緒になって雛をつかまえては卒業生に渡してお手伝いしてくれる。
このあと、頭をスキンヘッドにした白装束の男性と、タイでの研修について相談していた。ここからは男性が選ばれたのだ。最初はそのいでたちに某新興宗教を連想させられたが、彼は最近母親を亡くし、それで髪を剃り、白装束なのだという。つまり喪に服しているのだった。
こうしたパイロットファームはアラハバード近郊のあちこちにあり、この日は近いところを回ったが、1日がかりになる遠いところもある。
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