東北インド概要|東北インドとの関わり|マニプールへ
1.1 東北インド概要
1997年11月8日より22日まで、東北インドを中心とした諸州を訪問した。今回訪ねたのは、ナガランド州、マニプール州、アッサム州、そしてカルカッタを中心とした西ベンガル州である。東北インドに入るには入境許可が必要だが、1980年代までアッサムとメガラヤの一部の観光地を除いては外国人には事実上取得不可能だった。中国、ビルマ、バングラデシュ、ブータンと国境を接する地域であり、さらに少数民族の独立運動等があり政治的に不安定なことによる。現在でも、わずかに1970年代末よりインパール作戦の戦友会が遺骨収集団、墓参団として入境する許可が下りるようになったのと、まれに学術調査が許される程度である。文化人類学専攻の知人も、この地は文化人類学者垂涎の地なので学術調査を希望する人も多いが、なかなか許可が下りないと語っていた(1997年5月15日、読売新聞に国立民族学博物館(民博)による日本人学者初の公式調査の記事あり)。よって1999年現在、あの『地球の歩き方』にも東北インド諸州に関する記事はない。
現在東北インド7州のうち入境許可のいる州は、マニプール、ミゾラム、ナガランド、アルナチャルプラデシュ(AP)の4州である。メガラヤ、トリプラは州都近辺は現在不要。またアッサムも2年前(1996年10月)より不要になった。ただしインド政府観光局の話では、公式には不要でもそれが現地に行き渡るまでに数年かかる等の事情から、許可なしで行っても実際入れなかったケースもあるので、これらの州を訪れる場合は、事前に総領事館と相談したほうが良い、とのこと。マニプールは4人集まれば1ヶ月で許可が取れる。しかし、ナガランドとAPについては一般旅行者が許可をとるのは難しい。私たちも今回ナガランドには48時間しか滞在を許されず、常に警察の監視付きだった。この雰囲気は、経済改革開放前外国人旅行者と地元の人との交流を厳しく制限していた頃の中国によく似ており、訪問予定外の人と話そうとすると警官に阻止される一幕もあった。ただ、少数民族を対象とする学術調査は彼らの独立運動がからむのを警戒され許可が下りにくいが、一般旅行者に対しては少しずつ緩やかになってきている、との情報もある。またインド人がこの地に入る場合も許可が必要だが、外国人よりは取りやすい。ただしメガラヤ、トリプラも含めた各州内の下位行政単位である県(discrict)に入るには、さらに許可が要る。またマニプール州とアッサム州に対して出されている外務省の注意喚起(危険度1)が1998年8月に再延長された。
カルカッタにあるナガランド州政府事務所の職員の話では、ナガ族と日本人はよく似ているため、許可がいることを知らないままディマプールまで列車で入り、そこからナガランド州内をバスで田舎のほうまで回って誰にも疑われずに戻ってきた日本人旅行者がいるそうである(彼はその後カルカッタでナガランド州政府事務所を見かけ、懐かしくなって立ち寄ったため無許可旅行が発覚)。欧米人は列車で来てもチェックされるが、彼は見過ごされたらしいという。またナガ族は支族ごとに言語が異なるため共通語は英語であり、さほど流暢でもないので言葉でばれることもない。一方やはり無許可で入った日本人3人組は、カメラを沢山持っていたため疑われてコヒマで通報、拘留されたが、ナガランド州政府が日本に好意的なことから、無事カルカッタに送り返されたそうである。しかし意識的に無許可で入ることはやめたほうがよい。テロや独立運動があるためインド軍の治安部隊や警察がかなり緊張しており、また地元の人達がアンダーグラウンドと呼ぶ各種地下組織の抗争が激しく、火器による殺傷事件も多い。巻き込まれたり地元民に間違われても危ないし、スパイ容疑も恐い。どの国でも不法滞在者は公的保護の対象外。東北インド諸州の状況は流動的で、1980年以降だけでも、1983年アッサムでベンガルやネパールからの”外国人”とアッサム人との間で大規模な抗争があった。その後もアッサムでは各種分離独立派によるテロが続いている。1987年には独立運動の激化から、ミゾラムとAPが州に昇格した。また1992年から94年にかけて東北インド各地で内戦状態のようになり、無期限の外出禁止令が出されたり一時大統領直轄統治になる地域も出た。事前の情報収集は不可欠と思う。
なお、今回の旅行の見聞や以前に知り合った人々とのエピソードの中で、独立運動などに関するものについては内容を一部変更、割愛した。
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