東北インド(マニプール・ナガランド・アッサム)・カルカッタ旅行記(1997年)

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1.序章


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東北インド概要東北インドとの関わりマニプールへ

1.3 マニプールへ

11月8日(土)

 ツアーの一行は学校側スタッフ3名(引率の先生、アメリカ人の元校長、ボランティアの若い女性)および参加者16名で、さらにデリーからインドの農業大学の先生1名(日本人でインド在住30年、ヒンディー語が流暢)とインドを長期旅行中の男の子1名が合流した。3ヶ月前から申請していたマニプール、ナガランド両州への入境許可は、出発ぎりぎりになってやっと下りたものだった。日本側窓口は墓参団などでこの地域を扱っている財閥系旅行会社(その財閥グループの商社もこの会社を利用している。やはり一癖ある地域にはこういう旅行会社が強いか)で、墓参団等の場合でもマニプールの許可は取りやすいが、ナガランドの場合はやはり3カ月前から申請する、と言っていた。従来の墓参団ではなく卒業生訪問という特殊な目的のためかインド中央政府側の承認が遅れ(一説にはナガランド州政府側はとっくに許可を出していたというが)、やっと出たのが出発2週間前、しかも日本に送られずそのまま据え置かれたとかで、農業大学の先生がデリーで奔走して、許可書のコピーを手に入れてくれた。

 さて、3カ月前の時点では土曜日にあった成田−カルカッタ便が、エアインディアの秋のダイヤ改正でなくなってしまった。しかし、入境許可は日にち指定なので旅程は変えられない。そこで急遽成田からデリーへ飛び、翌日カルカッタに飛んでインパール行き便に間に合わせる日程に変更となったのだが、予定どうりに行かないのが普通のインド旅行、翌日やはりハプニングは起きた。

 一行はアジア学院の後援会や地元栃木の人、キリスト教関係者、戦友会など年輩者が約3分の2、残りが海外旅行フリークかアジアアフリカ好きの若者だったが、彼らも自分や家族が後援会に入っていたり、何だかの形で学校と関係があった。中にはメジャーな国からアフリカ中東僻地まで70カ国以上旅行したという強者もいて、デリーへゆく途中バンコクの空港で見慣れぬきれいな飛行機を見かけ、どこの航空会社だろうと話していると、彼女が「あれはロイヤルヨルダン。豪華よー、でももっとすごいのがUAEのエミレーツ。エコノミーでも椅子は全部特注、マッキントッシュのように背もたれの高い型で全席テレビ付き、機内食も特注ブランド物プレートだし、デザートにゴディバのチョコレートが出るの」と言った。彼女はここのスタディーツアーだと普通は入れないようなところにも行かれるので、参加するという。

 学院はキリスト教系のため、デリーやカルカッタでキリスト教の宿泊施設に安く泊めてもらうことができる。ちなみにデリーではIndian Social Instituteに泊まった。宿泊客は欧米の若者団体客ばかりでやたら元気が良く、そのエネルギーに圧倒される。個人は信者でないと宿泊不可。

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Last updated:07/02/15 .  First uploaded:01/02/23 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.