東北インド概要|東北インドとの関わり|マニプールへ
1.2 東北インドとの関わり
今回の旅行は、栃木県にある農村指導者養成学校、アジア学院のスタディーツアーとして、同校の卒業生を東北インドに訪ねるものだった。この学校は、主にアジアアフリカから研修生を受け入れ、農業とリーダー養成に関する授業を英語で行うキリスト教系の専門学校で(現在は日本人学生も受け入れている)、私はここでかつてボランティアとして働いていた。その当時ナガランド州とマニプール州からは5名が来日して学んでいた。「インドの研修生」とはいうものの日本人や韓国人によく似たモンゴロイド系で、あるおじさん研修生など、新橋でサラリーマンだかに間違えられて「今年の巨人軍はどうですか」と日本テレビの街頭インタビューを受けたことがある(彼は日本語ができないため、英語でインドのナガランドから来た等々自己紹介を始め、巨人軍のユニフォーム姿のタレントがびっくりしていた)。ナガの研修生は勤勉で仕事も速く、鶏舎の黒板に記された飼料の配合割合をまめにメモに取るなど、東南アジアやアフリカの研修生の楽天的アバウトさとは別な、東アジア的きまじめさを感じることが多かった。学校の先生の話でも、毎年ナガからは優秀な研修生が来る、とのことで、親しくなった人も多かったが、「自分達の国を見てもらいたいけれど、外国人が入るのは難しい。ただ、たまに日本やイギリスの墓参団が来るのでそれに混じれば入れるかもしれない」と言われた。
その後カルカッタに数カ月滞在してマザーテレサの施設でボランティア活動をしていた頃(マザーテレサの施設にて)、当時宿泊していた宿の一部がカルカッタの大学に通う地方出身のインド人女学生の寮になっており、その寮生の中にナガとシッキムからの学生が数人いた。彼女達と日本人女子ボランティアとは、やはり顔立ちやウェットな性格が似て落ちつくせいか、何となく誰かの部屋に集まってしゃべることが多かった。彼女らは私達に、ナガの地はもともとインド領ではない、イギリスから独立する際どさくさにまぎれてインドに併合された、シッキムは合法的にのっとられた、と怒っていた。私たち自分達をインド人だと思ってないよ、デリーやカルカッタではいつもインド人から差別される、郵便局や銀行では後回しにされるしお店では外国人と間違われてぼられることも多い、と語った。一方バングラデシュからの女学生(カルカッタの人と同じベンガル人)は、「あの子達はthiefだから気をつけたほうがいい」と真顔で言っていた。また別のナガ人からは、ナガ族はインドとビルマに分かれて住んでおり、ロンドンに独立のための共通の臨時オフィスがある、山道を伝ってネパールへぬけるルートでそこと連絡をとっている、という話を聞いた。
そんなこんなで偶然知り合いになるナガ人が多く、また彼らの故郷はかの第二次大戦のインパール作戦で有名な地でもあるのでその意味でも興味深く、いつか是非訪ねてみようと思った。いざとなったら墓参団に混ぜてもらうことを考えていたが、学校のスタディーツアーで入れるという話を聞き、一も二もなく参加を決めた。
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