ミャンマー旅行記(2000年)

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ヤンゴン:トンチー − 2月14日(月)

トンチー地区の養魚プロジェクト

 ヤンゴン郊外トンチー地区の養魚プロジェクトへ。この日の案内は、シャカウィー氏とヂャムー氏。

 7時頃フェリー乗り場に着き、乗船名簿に名前を書く。事務所で公衆電話がないか尋ねると、事務所の電話を貸してくれてお金は取らなかった。

フェリーはイラワジ川を往復する二階建ての大型汽船で、ヤンゴンに到着した便から、円筒型の弁当箱をぶらさげた通勤客が大勢降りてくる。

乗り込むと、デッキ(写真下)にはモヒンガー屋(写真2つ下)さんなど朝食の屋台が出ていたり、物売りが歩き回ったりと賑やか、けっこう混んでいる。

膝から下のない少年が喜捨を求めて回っていたが、見ているとあっさり渡す人もいれば、急に寝たふりをする若い男の子たちもいた。十分か二十分くらいで到着。

 

到着した港(左)とヂャムー氏の出迎え

 連盟のチャーターした小型バスでトンチーへ。田圃と後ろの森の境あたりに白と金に光るパゴダが点在している。田圃の中にあるパゴダもあり、そのタイプはプライベートパゴダに多いという。

青々とした田圃が多いが、稲刈りもしており、束ねずに並べて干していた。トウモロコシ畑は腰丈以上のかなりの高畝で、ベッドに2列植えていた。家屋は竹で編んだ壁、バナナやヤシで葺いた屋根の高床式。

  

トンチーへの道

 途中、学校へと歩いている小学生らを次々乗せる。ローカルバスもかなり走っているが、どれも子どもで満員。

今日が期末テストだそうで、学校は8時始まり、2月で今期は終了し、6月にまた新学期が始まる。3〜5月は暑いので夏休みだそうだ。

写真を撮ってもいいか尋ねると、笑顔でOK、と言い、これはミャンマーどこへ行ってもそうだった。途中の村でサンキューと言って降りて行った。(子どもの話す英語はOKとサンキューのみであとは笑顔、説明はMBCの人たちがしてくれた。)

皆上は白、下は緑のロンジーの制服を来ており、この制服は有料だという。学校は、公立は学費は無料だが、制服、教科書、スクールバスは有料だとAさんが言っていた。

 8時半頃トンチーの町に到着。

市場は野菜や日曜雑貨などがメインだが、結構いろいろな種類の花を売っている。生活を楽しむ余裕はあるようだという感じがする*5

手漕ぎの小舟に乗って、イラワジ川の支流を一本渡る。

対岸に着き丘のようになった中州に登ると、網の目のように支流が入り組んでいるのがわかる。また別の支流の岸べまで降りてエンジンボートに乗る。こうしたエンジンは皆車のエンジンを活用したもので、ホンダやセスナのエンジンにシャフトを通してスクリューとつなげる。ときどき緩んでくるようで、何度かスクリューを叩いて押し込み、シャフトに固定させていた。

 ここからは典型的なデルタ地帯の光景で、両側にジャングルとかなり足高の高床式の家屋が続く。


しばらくすると両岸が土手になり、その向こうに村や田、池が広がる一帯に入った。

村人も手漕ぎボートで水路を利用しており、買い物袋を乗せたおばさんや、刈り草や竹、バナナを積んだ人が行き来している。

狭い(はば6〜10メートルほど)水路なので、手漕ぎ船とすれ違う場合は速度を緩める親切運転をしていた。

岸辺の草の下には、丸い木枠に網を張った仕掛けがいくつも設置されており、たまに漁師が網の中を確かめていた。水路の水深は1メートルくらい、1日5ドルになるかならないかの漁だという。

車のモーターを利用して田に水路から水を汲み上げ、潅漑を行っているのをよく見た。

 水路がY字路になっているところに来る。

中央が刑務所だそうで、右の水路を進んでしばらくゆくと、左側に軍の養魚池が続くようになった。(写真:刑務所の看板

 9時半頃、カレンバプテスト連盟のSaw Ay Koo氏(元大佐、退役軍人)の養魚プロジェクトに到着。シュプビーソー(はちどりの意)村というそうだが、ビルマ族の村は別名で呼ばれている。ここから海まで30マイル。

 高床式の木造の建物で解説を聞く。外にうなぎ漁用のうけがいくつも置いてあった。(写真下、右はシャカウィー氏)



回りは見渡す限り人工の養魚池。

このプロジェクトは、ミャンマーバプテスト連盟(MBC)とカレンバプテスト連盟(KBC)の合同プロジェクトで、1993年に31エーカーで始まり、3年後に90エーカーに広げた。

稚魚は1エーカーあたり3000匹(草魚は3500)。1年に一匹1.5キロぐらいに成長、1エーカー4500キロの計算。ただし稚魚の育つ率は、3500匹の場合3000匹くらい。稚魚池10エーカー、育成用30エーカー、成魚用50エーカーで年4回収穫できるようローテーションを組んでいる。1エーカー卵をかえすための池がある。魚は網でそうざらいして、池の間を移動させる(池の水深は2〜3m)。作業員は10エーカーに1人。

周囲にはカレン族、ビルマ族双方の村があり、作業員には両方の民族がいる。仕事に出かける前には必ず礼拝をしているそうで、養魚プロジェクトはキリスト教布教のよいチャンスとも言っていた。

魚は1匹200〜400チャット(種類によって値段が違うというが高すぎる気もする。400チャットはwhite carpだと言っていた。鯉類の大きさは1尾4〜50cm程度*6)、氷につけてヤンゴンまで船で運び問屋におろしている。

餌には糠、ピーナツケーキ(写真下:ケーキは固めたものの意)、ごまケーキ、油粕を購入している。計算上は餌代100に収入200の利益率100%だが、なかなかそうはいかない。収益はミャンマーバプテスト連盟に渡す。餌は必要な分の40%くらいしか手に入らず、餌に投資すればもっと良くなると言っていた。



 池の回りを歩く。きれいに長方形に区画された池が並び、土手にはバナナ、椰子、グァバ、ほうれん草、唐辛子、葉物野菜が植えられている。土手でさらに山羊を飼いたい、と言っていた。

 この一帯は80年代まで田圃だったが、政府がこの周辺で養魚事業を進める政策をとり、養魚池が広がった。このあたりは雨季でも水位があまり変わらずPHは6.5、養魚池は民間人も軍もやっている。軍とコネがないとビジネスはできないとのこと。

井戸水はしょっぱいので飲料水は買ってくる。

 昼食をごちそうしてくれたが、やはりカレン料理で、ここで捕れた赤目鯉の唐揚げ、豚、白菜、さやえんどうの煮物、鳥の煮物、茹でた人参とブロッコリーのつけ合わせで、味付けは醤油(多少作り方は違うらしい)で日本人でも違和感のない味だった。


 黒板に在見、と漢字で書いてあったので、再見の間違いかと思いつつ、これは中国語? と聞くと元大佐のお嬢さんが近くの中国人から中国語を少し習ったという。

向かいに軍の池があるが、華僑か軍関係かは聞いていない(ミャンマー軍と中国軍の関わりはFar Eastern Economic Reviewで何度か報道されている)。

このほか、中国製のラジオやテレビがあり、中国から輸入されたリンゴがデザートに出た。

 船でMBCとKBCのもう一つの養魚プロジェクトへ行く。途中、土塊を頭にかついで水路の土手を補修工事していた。この暑い最中によくやると思うが、1日5ドルくらい、シャカウィー氏。

(先の網漁の5ドルにしろこの5ドルにしろ、農村の1日の賃金100〜250チャットと比べて高い気もする。しかしこれで一家4人ぎりぎりに食べられる月収になるようだ*6。シャカウィー氏は、在留外国人の雇う運転手の平均月給をAさんから聞いて驚き、MBCをやめて運転手になったほうがいい、と冗談めかして言っていた。賃金格差、都市と農村の格差は日本とは比べ物にならないほど開いているようだ。)



写真は赤目鯉

 到着した村は、Shwe mayin(シェンマニ)村というがビルマ語の村名は別名。

1997年にMBCとKBCが合同で始めたプロジェクトで、120エーカーの養魚池がある。最初の池を25万チャットで改修して、2回目の収穫を終えた段階で20ラック(200万チャット)の収入があったという。そんなに儲かるのか数字に疑問もあるが、1匹200チャットが本当なら1万匹の計算。ここでも収益はMBCに寄付。

 池で使用する船の底を松ヤニに似たヤニ(チン州やシャン州でとれる)を使って補修していた。

土手の両側を燃した跡があちこちに残っていたが、除草のためだと言っていた。

動物の害としては、水蛇の害がある。

近くのビルマ族の村から拡声器でお経が流れていた。カレン族の人たちは、3〜6時間交代で1日中流している、とうんざりした口調で言っていた。その奥にカレン族の村があり、小学校もある。


人なつこいミャンマーの人々

 午後同じ道を戻って帰り、夕食はTheik Di Shinという店のミャンマー料理。しかし半分中華のようだった。バンドが入り、歌手が次から次へと出てきて、ミャンマー語、英語、日本語で歌う。日本語の「故郷の春」のときだけ、私たちも含めて拍手があった。カレン族のクリスチャン歌手もいた。

チン州のバプテスト連盟総主事のサイモン・パオ氏も来ており、いろいろ話す。

 ところで、カレン族というと山岳民族のイメージがあったのだが、ミャンマー国内に1325の教会を持ち、半分はデルタ地帯に住んでいるという。ミャンマーのクリスチャンは60万人で、カレン、カチン、チン、ラフの順に16グループに分かれている。ビルマ族のクリスチャンもいるがとても少ない。

 

乗り合いバスを降りる子供たち(左)          現代的なヤンゴン市内



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Last updated:07/02/03 .  First uploaded:01/12/03 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.