ミャンマー旅行記(2000年)

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ローカ村のバブティスト教会で。
讃美歌を披露してくれた子供達と一緒に。

ヤンゴン:インセイン − 2月13日(日)

 インセイン地区のプロジェクト訪問

 6時半頃外に出ると、縦に三重がさねのアルミの弁当筒をぶらさげた通勤人が結構歩いている。*2

 国会の入り口では、ロンジー、野球帽姿の体操おじさんを毎朝見かけた。どうやら日課らしい。白人男性が並んで体操している日もあった。

朝食後、ヤンゴンの北Insein地区とその北方のプロジェクト回りに出発。この日はラフ族のヂャムー氏とカレンバプテスト連盟の職員たちが案内してくれた。

 

○カレンバプテスト教会のクリニック

インセイン地区にある。クリスチャンの先生3人が診察しており、患者はクリスチャンに限らず誰でも診る。婦人科8床、一般病棟30床。

クリニックの前には大きな神学校(写真)があり、600人の生徒がいる。




○ローカ村:

ヤンゴンの水瓶、ロガ湖の西側にある。

村へゆく途中、「このあたりは、ヤンゴン市内の貧しい人たちが5年前に政府によって強制移住させられたところだ」という一帯を通った。麻薬王クンサーの所有地もある。

ダゴンビール工場を右手に通過。ヤンゴン在住Aさんの話では、ダゴンビールは在留邦人の間で二番目においしいミャンマーのビールと言われている(ミャンマー、ダゴン、スコール、マンダレーの順。マンダレーは酸味が強いらしい)。ダゴンは缶を出しておらず、レストランで置いてあるところも少なくて結局飲むチャンスがなかった。

 ローカ村はヤンゴンから25マイル、カレン族の村で、元教師の牧師が養豚プロジェクトをやっていた。

    

村人に子豚を貸し与えて仔を産ませ、何頭かが村人の手元に残り、残りは返してもらったり、市場で売ることもある。
「飼料はどうしているの?」
との質問には、屑米を与えたり買ったりしており、最初の3カ月の飼料代は子豚を売ったお金を使って補助しているという。

豚は6カ月で6000〜1万チャットで売れる。

 村には、アジア各国に井戸を掘っている宇都宮のNGOの井戸があり、1000ドルで井戸を10基掘った。このあたりでは30m掘れば水は濁らない、と言っていた。

 村のバプテスト教会を訪問。

150年の歴史があり、外見はトタン屋根だが中に入ると竹製で天井も竹だった。

ビルマ語とカレン語の聖書が置かれていた。

カレン族は1854年にこの地に来たという。教会はカレン族の村ごとにあり、礼拝は日曜に3回行われる。

カレン語は英語に似た語順だそうで、「お早う」wo mumu「こんばんは」ha mumu「私の名前はxxです」yami mei xx、「ありがとう」はタブル・ドマノ、これは旅行中よく使った。アラカンのカレン語は発音が違うそうで、なまりでアラカン出身だとわかる、またカレン族のビルマ語も訛でわかるそうだ。

 村の家々には、横に渡した竹棒に砂や水を入れたビニール袋がいくつもぶらさげられていた。防火用という。*3

 稲は6月から10〜11月、11月から6月の二期作だが、このあたりは潅漑設備が整っていないため、年1回しか取れない。

 国道をはさんだ村の向かいには、日本企業が10万チャットで建てたという小学校があった(立派な学校だったが、先の井戸と比較して安い気もする)。

 

○キンマリー村:

ヤンゴンのさらに郊外にある。牛や水牛を見かけるようになり、このあたりでは冬作もやっており青々とした田が広がる。稲刈りあとの田に山羊がいた。



この村にはカレン族とビルマ族が混住していた。

ここでも6軒の農家で養豚プロジェクトを行っていた。

農家は林の中に点在し、林の間の小川のあと(雨季には川になる)には、雨季に使用するボートがおいてあった。


 この村にはラフ族のヂャムー氏の養子がおり、連盟のプロジェクトとして孤児院を建てていた(写真)。1960年〜80年代まで共産主義その他の内戦が北部の州で続き、親をなくしたラフ族などシャン州の子どもが多いそうだ。

山岳地帯では小学校までしかないため、ここに孤児院を建てて上の学校へ通えるようにするそうで、今のところ15〜20人くらいの規模、散髪などの職業訓練も行う。

 

○ジェルサレム村:

日本の高速の料金所のような正式のtoll gate *4を越え、Hmabi(モービ街と聞こえた)に出て右折したところにある。

Kayin Baptest Convention Rural Misiion Development Centerという立派なMBCの建物が建つ。なお、このKayinについて、カレン族の彼らはビルマ語表記なので使用したくないという。彼らは英語の会話でも徹底してバーマ(Burma)とラングーンを使用していた。

Aさんから、こちらの人と話しているときにうっかりバーマやバーミーズを使うと、必ず「ミャンマー?」とか「ミャンマーランゲージ?」と訂正されると聞いていたので、最初カレン族の彼らに対してもミャンマーとヤンゴンを使用するようにしていた。

しかし彼らはバーマとラングーン(ピーはプロム、バゴーはペグー)を使っていることに気がつき、カレンとカイン云々の話を聞いた後は、カレン、ラフ、カヤ族の人に対してはバーマとラングーン、町や店で会うビルマ族の人に対してはミャンマーとヤンゴン、と使い分けるようにした。

 センターの建物は1996年に建てられた。センターそのものは1986年に開設され、5000軒のカレン族がお金を出しあい土地を買って建てた。所属はカレンバプテスト連盟だが、現在の責任者はミャンマーパプテスト連盟のヂャムー氏。

彼はラフ族だが、奥さんはカレン族で学校の先生。結構この2つの種族間で結婚している例はあるようで、ローカ村の牧師夫妻も、夫はカレン族で奥さんはラフ族だった。(ヂャムー氏に子どもはどちらの教会に行くのかと尋ねたところ、ラフバプテスト教会だ、男親に権利があると威張っていた。)一方、カレン族は中国人やビルマ人とは結婚しない、とイエジンで聞いた。

建物はトレーニングセンターとして利用されており、縫製、食品加工のトレーニング等を行い、遠くからの参加者のための宿泊施設もある。ミシンはいずれも中国製で、この国では中国製品をよく見かける。

このほか、地方の教会にトレーニングの講師を派遣したり、収入確保プログラム(養魚)も行っている。ただし、農村の教会でトレーニングを行う許可を得るのは難しい。

田舎から人を呼ぶのは比較的容易なため、この施設を建てた。60〜70人が収容できるが、150人泊まったこともある。経費は教会から出ている。

 アイルランドに留学したというソーラピー氏が、建物の周囲を案内。ここでも養豚プロジェクトを行っていた(ランドレースに近い品種)。





豚糞を使用してコンポーストを作っており、パパイヤ(写真右:植えて1年で実が付く)、パイナップル、胡椒、コーヒー、ザボン系の木が植えられている。

ここの井戸も相当深く、使用に耐えると見た人が言っていた。また、農家の人たちは「このあたりは土がいい」と感心していた。

 古いセンターの建物では、ミャンマー盲人協会の人たちがビデオ撮影を行っていた。カメラマンは日本人で、この協会の設立者の伝記ドラマを作っている。

 昼食はカレン料理。ゆがいた豚肉と玉葱炒め、鳥の唐揚げ、キュウリ、トマト、レタスのサラダ、春雨のスープ、ご飯というメニュー(写真下)。


 午後はボージョーマーケットとシェーダゴンパゴダを観光後(詳しくはこちら*A)、中華料理のEstherでヂャムー氏らと夕食カニや魚のつみれ、野菜の水炊きだった。

 ところで、当初宿泊する予定だったPandaホテル(華僑系)はミャンマーバプテスト連盟本部の隣だそうで、何となくカレンと中国のつながりを感じる。



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Last updated:07/02/03 .  First uploaded:01/12/03 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.