近くの村まで歩くと(右写真は村への道)、帰りのバスの座席を登録してくれ、と男の子たちが寄ってくるが、Aさんがシーデー(もうあるよ、というビルマ語らしい)と言うとあっさり引き下がった(近くで椅子を出して涼んでいる人たちは、「彼らはbad 
        boysだ」と言ったが、これでbad boysならインドはどうなるのだろう)。この他、1泊5ドルの宿を紹介する少年も来たが、もう決まっているとわかると宿名のカードをくれてあっさり去っていった。 
        
        村には貝殻細工のみやげ物店が多い。市場では野菜や干し魚を売っている。紐状の植物の浸かった茶色い液体の入ったビニール袋があり、何かと思って聞くとシャンプーだと言っていた。
右写真は市場中央の広場で凧を揚げて遊ぶ少年たち
         稲刈り後の田圃には牛が放牧され、村のパゴダでは年老いたお坊さんが寝椅子に横になっていた。 
        
        運河沿いにゴミの散らかった多少スラム街のような地域があり、その一本内側は竹で編んだ壁と、竹やヤシ屋根のこざっぱりした家々が並んでいた。
        大抵の家の庭の東南側に祠があり(これはトンチーへ行く途中の道沿いでも見かけた)、興味を持って見ていると、家の人が手招きをした。 
        祠の中を見せてくれ、水牛の角を被り両手に魚を持った女神が2体の小さい神を従えている。
ブッダ?、と聞くと首を振り、ナッ?と聞いても首を振る。
ナンカライメドーだ、と答え、Aさんがメドーは女神の意味だ、と言った。2体の神像は息子だという。 
 
ナカライメドーの祠
         夕食は浜辺の店で海魚や野菜を焼いた料理。電気は夜6時から朝6時半までの計画停電。
         食後にヂャムー氏と色々話す。彼はシャン州の人で、ヤンゴンの連盟で5年の任期を勤めたあと、またシャン州に戻るという。祖父は中国人で雲南省には親戚がいる、中国語も少しわかるし漢字も多少読める。故郷のラショーからは3元払うと中国にビザなしで入ることができ、雲南、昆明まで行かれる。1カ月滞在する場合は40元(60元?)払う。 
        
         中国でシャン州の人たちがお茶の葉を買っているのを知り、茶の種を中国から持ってきてラショー周辺の34カ村に配って栽培し、うまくいっている。北部の州は、阿片とルビー、砂金の豊富なところで、ルビーをめぐっての喧嘩もある。 
        農業は焼き畑で、陸稲、雑穀、大豆、トウモロコシ、サツマ芋を栽培している。4月に薮を切って焼き、雨季の6〜9月に栽培。火は上からつけて焼く。周期は最低4年。 
        北部の州では、6〜9月が雨季、10〜1月が冬、2〜5月が夏で平野部と多少季節が異なる。麻薬は10〜2月に刈り取り、種に傷をつけて滲みだした汁をとる。
         国境貿易はさかんで、少数民族側からは阿片、中国、タイ、ラオスからはテレビ、ラジオのバーター貿易。ほんの少しの阿片でテレビが買えるという。 
        中国、タイからノービザで入る人たちは、マンダレーまで来られるが、お金さえ払えばヤンゴンまで来られる。 中国人はこの国に大勢いる。
         ヂャムー氏の名前は、ラフ語でジャはMr.、ムーは馬の意味だそうで、普通生まれた干支とジャを組み合わせて名前になる。女性はナと干支を組み合わせ、ナファ、ナムーとなる(ということは12人に一人は同じ名前になるが?)。 
        ラフ族の人たちは正月は旧正月で祝う。
         実はヂャムー氏の名前は、正式なビルマ式英語表記ではチャムー(Kya Moo)となっている。それでアジア学院関係の人達はチャムーさん、と呼んでいたのだが、彼自身の発音を聞くとヂャムーと聞こえたので、ここでもヂャムーを使用している。 
        
        この名前のつけかたの話を、アジア辺境ライターとして有名なラフー氏にメールで報告したところ、タイのラフ族の村はおそらく村長の名前をとって、ヂャムー、ヂャボー、ヂャトー、ヂャレーなどの名前がついている、チャムー氏も本当の名前はヂャムーまたはジャムーではないか、という指摘があった。このとき、おそらくチャムーはビルマ語式発音(表記の関係か何かで)ではないかと感じた。